◆「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

◆「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2003年09月29日

訃報:エリア・カザン死去。

Hollywood director Kazan dies
http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/3147668.stm

昨日たまたま,ヘンリー・ミラーについての文章を読んだところだった。短い文章だったが,赤狩りについてのものだったので,もちろんエリア・カザンも出てきた。94歳は「天寿」といえるかもしれないけれど,リーフェンシュタールに続き,また時代の証人がいなくなった。


上に挙げたBBC記事には赤狩りのことは出てきてないみたいです。

エリア・カザンと赤狩りとヘンリー・ミラー:
赤狩り(共産党員に対する迫害@自由の国)の最中,多くの映画関係者が非米活動委員会に脅されたりすかされたりした。カザンもミラーも脅された。カザンは自分の知っている共産党員の名前を白状した。ミラーは白状しなかった。このため,カザンとミラーは決裂。99年にアカデミー名誉賞がカザンに与えられたときも,このときの“裏切り”のせいでブーイングが起きた。もちろん『エデンの東』や『波止場』の監督に対する拍手もあった。……と記憶していますが,記憶違いかもしれません。ご指摘歓迎。

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転記前コメント:

エリアカザンの暗い面・・・
は知りませなんだ。アメリカ全体が妙な方向に流された時代なのでしょうが、今のイラクに対する流れにも共通のものを感じます。
http://www.geocities.co.jp/Broadway-Guitar/2007/america.html

上の中のエリアカザンと赤狩りを読んでみました。
http://www.geocities.co.jp/Broadway-Guitar/2007/akagali.html
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaaap100/column/column2.htm

by kuronekokotoshan @ Yokohama
投稿者: ゲスト at 2003 年 09 月 29 日 17:09:18

>ことしゃんさん
マッカーシズム時代,ハリウッドの言論封殺はそれはそれは熾烈を極めたと聞いています。それに比べれば,チョムスキーとかサイードとかが批判と非難を矢のように浴びせられながらも発言ができているのは,多分better worldなんだろうと思います。

しかし,あれだけの多様性があるように見える社会(キリスト教ひとつとってもいろいろあります)が,一斉にひとつの方向を向くのは,どうしてだろうと思います。多様だからこそまとまるのかもしれません。まとまらなければ存続しえないから。

教えてくださったサイト,あとで読んでみますね。
投稿者: nofrills at 2003 年 09 月 29 日 17:43:29

※この記事は

2003年09月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 15:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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