kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2003年09月25日

この画像,やめれ。

↓の記事,画像がアホすぎます。

Why making love is the Tories' new policy
http://news.bbc.co.uk/1/hi/magazine/3131444.stm

英国保守党,「産めよ増やせよ」政策に邁進!英文ではthe party's shadow work and pensions minister, David Willets, has urged us to go forth and multiply.

go forth and multiply... んな言い方するんかいな。マルチプライじゃあ「2枚重ねティッシュ」みたいですね。

記事には……出てる出てる,ヒトラーとムッソリーニ。(いやーん作為的。)ドゴールも出てますが(戦後フランス,人口減りすぎたので産めよ増やせよでした)。

記事内には先日書いたレーガンねたもあるのですが(過去記事),ブレアねたもあります。

ある記者会見で,美しいドイツ人女性記者が「私の番ですか?Do you want me now?」とブレアに訊いた。ブレアは「ええいつでも I want you any time」といやらしく答えた……だそうです。空気読め,ってかあんた首相だろう。アホ過ぎる。

この記事のへぇ。
In London's Stoke Newington - the new Islington - there are said to be more children under five than anywhere else in Europe. ストークニューイントン(トッテナムのちょっと南,ハックニーの東北)がヨーロッパで一番5歳以下の子供の比率が高い。へぇ。(ちょっと前までは移民街で,都心に割と近くても家賃が安いので,結婚したての若い夫婦が多く住むようになった。これがthe new Islington の意味。)

※この記事は

2003年09月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼