kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2003年09月21日

チップス先生 こんにちは。

BBCのトップページにHello Mr Chipsという言葉遊びをしたヘッドラインがあったので見てみました。その記事が↓。

Kids get chips delivered to school
http://news.bbc.co.uk/cbbcnews/hi/uk/newsid_3122000/3122518.stm

ヨークシャーのある学校で,「近隣住民が子供たちの集団をおそれるため」(←スゴい理由だけどそういうことなんでしょう),生徒が昼休みに外出することを禁止することにした。

が,そうなると打撃を受けるのは,この学校の生徒がお得意様である近隣のフィッシュ&チップス屋。

そこで校長,「フィッシュ&チップス屋に来てもらえば生徒が外出しなくても大丈夫♪」

フィッシュ&チップスは栄養が偏っていて(脂質が多いことが特に×),最近では批判を受けている伝統食のひとつだが(かつてはカロリーを多く必要とした肉体労働者がよく食べていた),「週1回なら大丈夫♪」と校長。

先日どこやらのパブリックスクールにスタバ(よりによってスタバかよ)がオープンという記事も見かけました。

私の通っていた高校でも,正門の真正面にお菓子やパンを売っている小さな店があり,昼休みには「無断外出」したこともあります。それも靴を履き替えるために下駄箱に行くのが面倒なので(校舎の工事で正門とは反対側に下駄箱があった),上履きのまま行くわけです。すると,竹刀を持った(←誇張)生活指導担当教諭が「ゴルァ!お前ら!」とどなりながらどこからともなく現れます。そして「外出するなら上履きのままで行くな!」と。……つまり,「無断外出」は半ば公認。そのお店は,その高校ができたとき(旧制中学時代)からのお付き合いだという噂でした。

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■2006年9月追記:
イングランドの学校からは揚げ物がほとんど姿を消しました。
http://nofrills.seesaa.net/article/24380174.html

タグ:食生活

※この記事は

2003年09月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼