kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2003年09月18日

何だかややこしくなってきた。

ええと,うーんと,あのー,ハットン・インクワイアリーはですね,あのー私は途中でオナカイッパイというか消化不良になってろくに追っていないのですが,本日新展開があったみたいです。

BBC admits dossier row mistakes
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/3116698.stm

政府の「45分で使用可能なWMD」書類を「大幅な脚色」とすっぱ抜いたアンドリュー・ギリガン記者(BBC)がハットン・インクワイアリに召還されて証言したところによると,he conceded making errors in live broadcasts. つまり「生放送で間違いを犯したことを認めた」。

何ですと? 何どすて? 何いっとりゃーすか。

これは当事者BBCの記事では歯切れが悪いだろうので(っていうか話がわからないので読む気がない)他メディアに。

たまたま見つけたCNN(米国メディアなので英国メディアよりはわかりやすいかと)
http://www.cnn.com/2003/WORLD/europe/09/17/uk.hutton/index.html

探しにでかけたMirror(タブロイドなので読みやすい)
http://www.mirror.co.uk/news/allnews/content_objectid=13418799_method=full_
siteid=50143_headline=-GILLIGAN%2DADMITS%2DMISTAKES-name_page.html


うーん,つまり「意図的に言いすぎをした」ということ? だとすればテレビの討論番組の司会者の常套手段ですが……。(日本でもこないだの「レイプは正常」発言を引き出した司会者の誘導がそうでした。)

わからんのでさらに。

こういう話を省略しすぎずにわかりやすく書いてくれるIndependentに頼ります。
http://news.independent.co.uk/uk/politics/story.jsp?story=444264

なるほど,スーザン・ワッツ記者の情報源だったドクター・ケリーを引っ張り出したのはギリガン記者だったということですね。

さらに,「“45分説”は疑わしいと知っていて,政府はそれを公にした」というのが,意図的な言いすぎであった,と。なるほど。しかも「あたかもそれがドクター・ケリーの言葉であるかのような印象を視聴者に与えたことは失敗であった」と。ふむふむ。

そして核心は,Mr Gilligan admitted an "error" regarding the phrase which accused the Government of "probably knowing it was wrong" in his broadcast.

つまり「政府が意図的に情報を捻じ曲げたのだろうと発言したことは誤りであった」と。

というわけで,ドクター・ケリーの死(自殺)についての責任を明らかにするというハットン・インクワイアリの目的は,これまでのさまざまな証言と合わせ,達成されつつあることになります。

※私の読み方が甘いまたはずれているかもしれません。その場合にはご指摘を。

ただし政府の「証拠でっち上げ」の追及は別問題。この先は議論のすり替えに要注意。

さらに別件ですが,
「ストロー外相がブレア首相に派兵中止を進言=イラク開戦直前に−英新刊本」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030915-00000938-jij-int
という記事もあったのですが,BBCでは
Straw 'had no war doubts'
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/3107380.stm
Foreign Secretary Jack Straw's suggestion that Britain should only give moral support to a US-led invasion of Iraq was only a fallback plan if MPs voted down war plans, says Downing Street.
つまり,「ストロー外相がブレア首相に対し、派兵を中止するよう進言していた(Britain should only give moral support to a US-led invasion of Iraq)」というのは,英国議会でanti-warが決定された場合のことだとダウニングストリートが言っていると。

何か苦しいよね。ほんとに議会で否決された場合のことだとしたら,いちいちリークされないでしょう。だいたいストローのあのディベイターぶり。あの人の発言は,注意して聞けば玉虫色なことが多い。Aという文脈で聞けばAだけど,Bという文脈を与えるとBになる。つまりある程度は何を言っても「そういう意図ではなかった」と申し開きができる(信用されるかどうかは別として)ことを前提にして発言が為されている。

ちなみに,『ブレアの戦争 Blair's Wars』という本は, John Kampfner著で,この人は political editor of the New Statesman magazineだそうです。NSはばりばりの労働党(アンチ・ニューレイバー)の言論誌で,ブレアに対する追及は最も激しいメディアです。

上記BBC記事によると,Liberal Democrat foreign affairs spokesman Menzies Campbell said: "If these reports are true, they emphasise how much the decision to go to war against Iraq was the prime minister's." これはLibDem(英国の第3党)の公の反応ですが,全責任をトニー・ブレアにおっかぶせて党首の座から追うことで何かがどうかなるのだろうと仮定すると,頭の中が道頓堀川の底のようにどろんどろんとしてきます。

政治の世界はどろんどろんということは昨今の自民党総裁選挙関連ニュースを見ていてもよくわかりますが,make our voice heardという目的のための裏でのかけひきを考えると,正直,ゲンナリします。

トニー・ブレアが親のあとをついで保守党に入っていれば,図式は単純だったんですが,何をトチ狂ったか労働党に入ってしまったのでこんなことになりました,っていう感じ。先日読んだ英国の小説には,「トニー・ブレアよりもジョン・メイジャーの方が左派だった」という一節がありました。

ついでながら保守党の動向。
Terror laws are 'needless totalitarianism'
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/3114552.stm
↑の記事のタイトルを見た時には,労働党左派かLibDemか市民団体か労組の発言だと思ったのですが,なんとそれが保守党からの声。まあ記事をちゃんと読めばなるほど保守党なのですが。

いつまでもいつまでも「ブレア政権=中道左派」でくくっていてはなりません。

※この記事は

2003年09月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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