ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余裕(ゆとり)がない。伸んびり楽々と身を横に、日光を領しているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。懶さの度をある所まで通り越して、動かなければ淋しいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。
「自分は、どうしたんだ、夜中に小供の頭でも噛られちゃ大変だと云った。まさかと妻はまた襦袢の袖を縫い出した。猫は折々唸っていた。
萩の花の落ちこぼれた水の瀝りは、静かな夕暮の中に、幾度か愛子の小さい咽喉を潤おした。
――夏目漱石,『永日小品』より「猫の墓」
ひとつのいのちの終わりと,そのいのちの終わりの周辺を観察する夏目漱石の目と,それを言語化する夏目漱石の脳髄。
「猫の墓」に描かれた「猫」は,小説『吾輩は猫である』の「吾輩」として後世に伝えられているあの猫。明治41年9月13日に死んだという。
『永日小品』は翌明治42年の1〜3月に新聞に連載された。
とすると,「猫の墓」の結びの
猫の命日には、妻がきっと一切れの鮭と、鰹節をかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の箪笥の上へ載せておくようである。
は,「ペットロス」が話題となる今の感覚からするとたいそう短期間だったことがわかる。
同じく夏目漱石の『硝子戸の中』(大正4年1〜2月)に,漱石自身が幼少のころにいた犬,ヘクトーが出てくる(三〜五)。
『硝子戸の中』は高校生の時に読んだ。当時うちにも犬がいた。だから
日ならずして、彼は二三の友達を拵えた。その中で最も親しかったのはすぐ前の医者の宅にいる彼と同年輩ぐらいの悪戯者であった。これは基督教徒に相応しいジョンという名前を持っていたが、その性質は異端者のヘクトーよりも遥に劣っていたようである。むやみに人に噛みつくが癖あるので、しまいにはとうとう打ち殺されてしまった。
という「四」の書き出しはたいへんにショッキングだった。犬を打ち殺すということが,ごくごく当たり前のことのように書かれているからだ。それが当たり前だった時代があると,うちの犬には言えなかった。
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『永日小品』は時に身辺雑記,時に回想,時に夢想あるいは創作。文章は冴え冴えとし,大病を経て死の前年に書かれた『硝子戸の中』に比べると軽快で飄々としている。
「元日」は,カギカッコ(「」)をひとつも使っていないのにその場の会話が活き活きと想像される。
「下宿」「過去の匂い」「霧」「クレイグ先生」ではロンドンとそこの人間が描かれる。「昔」はスコットランドが舞台。
■『永日小品』
■『硝子戸の中』
■夏目漱石 年譜
※この記事は
2003年09月13日
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1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。