「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年12月30日

大学の研究資料は、刑事訴追を前提として警察に渡されるべきか。(北アイルランド)

【ご注意(2014年5月記載)】本稿アップロード後、時間が経過して、その間にリンク先のサイトの一部にマルウェアが埋め込まれているという警告が出るようになった時期があります。以下、本文のリンク先では、本ブログ (nofrills.seesaa.net) は安全ですし、報道機関(ベルファスト・テレグラフなど)やSlugger O'Tooleは私が毎日のように安全を確認していますが、ひょっとしたら危険な状態にあるリンク先もあるかもしれませんので、ご注意ください。以下、本稿アップ時のまま。






米東海岸、アイリッシュの多い町ボストン。当時、米国においても差別的待遇を受けていたカトリックの人々の高等教育機関として、イエズス会によって設立されたボストン大学(Universityではなく、Collegeの方。以下「ボストン大学 (BC)」と表す)が、「アイルランド研究」の一環としておこなっている大掛かりなプロジェクトがある。「北アイルランド紛争」の当事者にインタビューし、「紛争」の細部を記録し、明らかにしようというものだ。Oral History Archive Projectとして進められている。

ここでインタビューされるのは武装組織IRAやUVFのメンバーで、記録されたインタビューは原則、当人の死後でなければ公表されないというのが前提だ。インタビューをおこなうのは、北アイルランドでパラミリタリー活動容疑で有罪となり投獄され、後に大学院でPhDを取得した学究たち(カトリック側とプロテスタント側、それぞれに)。

これを「紛争」を伝えてきたベテランのジャーナリスト、エド・モロニーが本の形にしている。既に他界した2人(IRAのブレンダン・ヒューズ、UVF出身で後にPUP党首となったデイヴィッド・アーヴァイン。2人とも2000年代後半に病死した)のインタビュー部分が、書籍化されている(→この本については昨年、少し書いた)。このエントリ冒頭の写真はこの本の前書き部分の出だしだ。

0571251692Voices from the Grave: Two Men's War in Ireland
Ed Moloney
Faber and Faber 2011-01-06

by G-Tools


そのプロジェクトで「生き証人」としてインタビューを受けたある人の証言が、現在の北アイルランド警察(PSNI) のHET (Historical Enquiries Team) にとって、「証拠」として非常に価値の高いものであるらしい。PSNIはボストン大学 (BC) に対し、まだ存命中の「生き証人」のインタビューテープの提出を求めた。米当局はPSNIのその要求を認め、subpoenaを出した。

この5月のボストン地域メディアのOp-Ed:
BC should hand over Irish archive tapes
May 23, 2011|By Juliette Kayyem
http://articles.boston.com/2011-05-23/bostonglobe/29574992_1_human-subjects-institutional-review-boards-oral-history-association

上記Op-Edで指摘されているような齟齬もありつつ(特に「語っている当人は死んでいても、その人によって語られている人々は生きている」ことについて、正直、エド・モロニーのスタンスを「調査報道」ではなく「学問」と見るには無理があると思う)、米裁判所からsubpoenaを出されても大学側はまだ粘っている。

PSNI move for IRA tapes should be ruled illegal: researchers
Friday, 2 September 2011
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/psni-move-for-ira-tapes-should-be-ruled-illegal-researchers-16044336.html

だが、最終提出期限が今日ということで、さて、どうなることやら……という局面を迎えている。

Jean McConville files: D-day for Boston College
By Anne Madden
Friday, 30 December 2011
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/jean-mcconville-files-dday-for-boston-college-16096941.html
Boston College was ordered by a federal judge to turn over recordings, transcripts and other items related to Dolours Price to federal prosecutors in Boston.

The material which was collected for the Belfast Project, an oral history project about the Troubles, was subpoenaed on behalf of the British Government.


この件は、Slugger O'Tooleがフォローしているので、Sluggerをウォッチしておくのが一番情報が早く、確実で、議論の中身もあるものになると思う。

とりあえず、20日の段階での話だが:

“Boston College declined Judge Young’s offer to seek a stay and appeal his decision”
http://sluggerotoole.com/2011/12/20/boston-college-declined-judge-young%E2%80%99s-offer-to-seek-a-stay-and-appeal-his-decision/
※Sluggerの中身はアイリッシュ・タイムズの報道の紹介&コメント欄での議論。

あと、インタビュアーがどのブログの人かなど、報道記事を読めばわかると思うので省略。

インタビュイーのDolours Priceは、32CSMのMarian Priceの妹で、この姉妹とジェリー・ケリー(現北アイルランド自治議会議員&自治政府要職)らは1973年にロンドンのオールド・ベイリーをボムった(負傷者200人超、負傷が原因での死者はなかったが、心臓麻痺で亡くなった人が1人)。

逮捕・有罪判決・投獄・苛烈な獄中闘争(女子刑務所内で)……を経て、病気のため恩赦を受け、その後、北アイルランドの俳優のスティーヴン・リー(英国映画にたくさん出演している名優。本人はプロテスタントのバックグラウンド)と結婚(2003年に離婚)。政治的にはジェリー・アダムズのシン・フェイン(の欺瞞)に非常に批判的で、かといって姉とは違って武装闘争継続路線は選んでいない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Dolours_Price



UPDATE:

Boston College to hand over Dolours Price interviews
Pete Baker,
Fri 30 December 2011, 2:15pm
http://sluggerotoole.com/2011/12/30/boston-college-to-hand-over-dolours-price-interviews/

Sluggerの中身はこれだが:

The Irish Times - Friday, December 30, 2011
US college agrees to give interviews with Dolours Price to prosecutors
KEVIN CULLEN in Boston
http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2011/1230/1224309632563.html

ボストン大 (BC) のオーラル・ヒストリー・アーカイヴでリパブリカンのインタビューをしているのは、アンソニー・マッキンタイアだ。これまでにも彼自身のブログで関連の発言をしているが(そしてコメント欄には読者による議論)、28日の記事:
http://thepensivequill.am/2011/12/chris-bray-on-boston-college.html

結局、プロジェクト自体が大学がやりましょうと言って始めたものではないようで、なんだかねー。

マッキンタイアは以前、The Blanketというオンライン言論誌を運営していた。彼は「IRAが圧力をかけて喋らせない」とか「人が空気を読んで喋らない」とかいったことをなくそうとしていた。どんな言論であっても「言論の自由」を認めなければならない、という立場で、検閲や焚書に徹底的に反対していた。そしてノルウェーのアフテンポステンが、イスラームをおちょくった、センスの悪いくだらない戯画を掲載したことでの騒動の際、あの戯画を書いた側・掲載した側を、かなり積極的に弁護した。しかし元があまりにぐだぐだで(あの戯画にあったのはただのhateであり、怒っていた人々の多くはそのhateに対して怒っていたのだが、一部がまた例の「ジハード」論を振りかざし、話は「思想の自由」云々ではなく「殺人脅迫に屈さない我々」のことになってしまった)、さすがのマッキンタイアの言い分も、あのときのものはかなりぐだぐだで――抽象化された結論が一致するからといって、すべてが一致するわけではないのに――、読んでいて非常につらかった。

それからほどなく、彼は確か家族と一緒にいる時間を増やしたいということで、上記のサイトの更新を停止した。ブログは、そのあとしばらくしてから開始されたものである。
http://chrisbrayblog.blogspot.com/

1981年ハンストについての(IRAとシン・フェインの築いた)「神話」に対し、内情を知る人々の証言をぶつけているLongkesh.infoにも、マッキンタイアは参加している。
http://www.longkesh.info/category/commentary/anthony-mcintyre/

で、このLongkesh.infoの情報と付き合わされるべきが、この12月30日に公開されたサッチャー政権の機密文書である。
http://nofrills.seesaa.net/article/243395625.html

それから、ボストン大学 (BC) に英国政府がファイルの開示を求めている理由と思われる事件、ジーン・マコンヴィル殺害事件については、過去にこのブログで書いている。既に公に去れているブレンダン・ヒューズのインタビューで、「驚くべき真相」とでも呼びたくなるものが、公表されていた。
http://nofrills.seesaa.net/article/167381847.html

※この記事は

2011年12月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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いったん「北アイルランド警察に引き渡すべし」との結論が出されたボストン・カレッジのテープの件
Excerpt: 正直なところ、もうまったくついていけなくなっている件だが、とりあえずの区切りとしてメモ。 北アイルランド警察が「証拠」として請求している米ボストン大学(BC)のオーラル・ヒストリーのプロジェクトでの..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2012-10-18 23:32

ボストン・カレッジの研究プロジェクトのインタビューテープの件、最終結論
Excerpt: 気づけば「1か月前のニュース」になっていたが、過去に何度か言及した(下記リンク参照)米ボストン・カレッジ(ボストン大BC)の「ベルファスト・プロジェクト」のテープの引き渡し要請の件で、米国で最終的な判..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2013-05-14 20:01

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼