「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年12月25日

英議会、この100年の重要議員11人についての、現役の議員11人によるレクチャー

今年2011年は1911年から100年で、1911年に起きたいろいろな出来事の「100周年記念」のイベントなどが行われた。今ごろウィキペディアで「1911年」の項をつらつらと眺めては、「へー、ドナルド・レーガンって生きてれば100歳だったのか」みたいなことをぼやーっと思っているのだが、そんなことはどうでもいい。

1911年2月、英国で「議会法」の法案 (Parliament Bill) の採決が行われた。修正を経て、最終的に3度目の採決で可決・成立となったこの法律で、上院(貴族院:議員は選挙されない)に対する下院(庶民院:議員は選挙される)の優越が定められた。
http://en.wikipedia.org/wiki/February_1911#February_22.2C_1911_.28Wednesday.29

この「議会法」の成立から100年となるのを記念して、今年、英国会では一連の記念レクチャーが開かれた。
http://www.parliament.uk/business/commons/the-speaker/speeches/speakers-lecture-series/

下院議長主催のこのシリーズは、月に1度のペースで、現役の議員(下院・上院とも)11人が、それぞれ、過去の偉大な議員11人について話をするというもので、すべてBBCの「デモクラシー・ライヴ」のサイトで公開されている。1本1時間弱。
http://news.bbc.co.uk/democracylive/hi/house_of_commons/newsid_9487000/9487828.stm

担当議員とトピックとなった過去の議員の一覧:
Series includes:

* Lord Morgan on David Lloyd George
* Sir Peter Tapsell MP on F.E. Smith
* Baroness Williams on Nancy Astor
* Nicholas Soames MP on Sir Winston Churchill
* Gordon Marsden MP on Aneurin Bevan
* Lord Norton on Enoch Powell
* Lord Kinnock on Michael Foot
* Lord Hurd on Ian McLeod
* Lord Adonis on Roy Jenkins
* John Whittingdale MP on Margaret Thatcher
* Tristram Hunt MP on Tony Benn.


正直、私では知識がなさすぎて「それ誰?」という人もいるのだが、そういった点の情報についても、BBCのサイトで簡単に確認できるようになっている。

1人目のロイド=ジョージについては説明不要だろう。

2人目のF. E. スミスは、アイルランド自治法関連(ユニオニスト)。これは来年(アルスター誓約100周年)になる前に聞かないと>自分。

3人目、ナンシー・アスターは、私は名前も聞いたことがなかったのだけれど、第二次大戦直前の対ナチ和平派との由。こういう話が聞ける(そのためのプラットフォームが誰にでもアクセス可能な形で提供されている)のはすごいね。

4人目はウィンストン・チャーチル。語り手のニコラス・ソームズ下院議員はサー・ウィンストンの孫だ。

5人目は……こういう人物についてのネット上の日本語圏の情報の薄さは本当にひどいね……英国の国民健康保険制度のアーキテクトであるアニュエリン・ベヴァン

続いて6人目、きたきた、イーノック・パウエル。2011年は8月暴動のときによく名前出てましたね。40年以上前の化石的なこのスピーチが、「現在進行形の何か」として言及されるという……。でもまともな言論世界からはすぐに消えたけど(暴れてた連中は「移民」ではない、ということがすぐに明らかになり、事実として共有されたので)。

7人目はマイケル・フット。語り手がニール・キノック。労働党党首串刺し検索みたいな。

8人目がイアン・マクロード……って、誰?ということでウィキペディア。1970年、在任中に亡くなった財務大臣だが、それ以上に、旧大英帝国の植民地独立への関わりと雄弁さで保守党の記憶に残る政治家であるらしい(イーノック・パウエルとは反対)。それよりこれ、語り手の「ロード・ハード」ってダグラス・ハードじゃん。「東西冷戦末期の英国」の人名のひとつ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Douglas_Hurd

で、ここまで労働党は「左派」ばかりだったのが、9人目でようやく「右派」登場。ロイ・ジェンキンズ。

10人目は鉄の人。この人は、語られるべきことは大量にあるね。ありすぎてうんざりするほどに。でもこのレクチャーはちょっとおもしろそうな「内幕」話かも(BBCのサイトにある説明文を読む限り)。

そして最後、11人目がトニー・ベン。息子(ブレアライト)ではなく、トニー・ベンと同じようなバックグラウンド(貴族の家の子で、労働党の政治家となった)を有するトリストラム・ハントが語り手。

以上のシリーズ、バックグラウンドで流して聞いて「ほほう」とか「なるほど」というには内容が高度すぎるわけだが(集中して聞いていないとならない&予備知識がないと話がわからない)、レクチャー主によってはスクリプトを公開してくれているようだ。

といっても、トリストラム・ハントによるトニー・ベンについてのレクチャーしか確認していないのだが……。
http://www.tristramhunt.com/web/2011/12/12/1911-centenary-lecture-tony-benn/

なお、主催の議長はこんな人。12月14日、今年最後の英下院での党首討論のときのメモから:
http://twilog.org/nofrills/date-111214/asc

英国会党首討論、今日の議長のとばしっぷりは異常www http://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-16180353
posted at 21:14:07

英国会党首討論、議長、さっき、エド・ミリバンド発言中に "Stop" という野次が飛んだときの対応はネ申。「議員は発言するためにここにいる。誰もそれに対し『黙れ』などと言う権利はない!次に言ったらあなたに退席していただく」。かっけー http://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-16180353
posted at 21:15:08

英国会党首討論、BBCウェブストリーム終了。で、議長かっけーシリーズ。今日は年内最後のPMQsで、さっきから「クリスマスなので」というquipが多いのだが、議長、最後に「今日は私もクリスマス的に寛大な気持ちなので最後ひとり、○○議員」と指名。
posted at 21:37:32

英下院、議長17RTs http://favstar.fm/users/nofrills/status/146926192489005056 反響でかすぎw この方→ http://en.wikipedia.org/wiki/John_Bercow 1963年生。19世紀にルーマニアから移民したジューイッシュの家でお父さんはタクシー運転手。本人は普通の学校からエセックス大、学生時代から保守党
posted at 21:49:05


前日の13日(英国が欧州首脳会議で「EUの新条約」に拒否権突きつけたあとの、英国内での説明の日):
おもしれぇwww http://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-16136672 議長、「静粛に、静粛に。○○議員、騒ぎすぎです。血圧が心配です」
posted at 00:50:20

※上記は「意訳」です。もう少し正確には、「倒れてしまうのではないかと、あなたの健康が心配です」という内容。

※この記事は

2011年12月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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