「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年12月25日

【メモ】イングラム(ハースト)情報についてアップデート

下記のフォローアップ:

2011年12月23日 北アイルランド、スパイ大作戦の実相(イングラム情報)
http://nofrills.seesaa.net/article/242010580.html

まともに書こうとしても絶対書けないので、断片で上げておく。

これ、固有名詞がわかんない人は首つっこまないでください。集中乱れるんで。

上記のイングラム情報が、マガートランドにより確定された。
http://htn.to/uMbSm2

それに伴い、ベルテレのリーアム・クラークが「基本解説」のような記事を出しているが、これは一連のcollusion疑惑についての論説(特にPF関連)やテイラー本などを読んでいても改めて必読。
http://htn.to/FnhwDv

マガートランドの回想録は実は日本語訳がある。(絶版なので古書でしか手に入らないが、まずは図書館を)
4821105691IRA潜入逆スパイの告白
マーティン マガートランド Martin McGartland
ぶんか社 1997-10

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翻訳の質は非常によいのだが、タイトルが非常に残念な一冊(何が「逆」スパイなのか……マガートランドは一貫してRUCのスパイであり続けていて、「逆スパイ」の活動はしていない。RUCの「コマ」になってからIRAに入ったのだから。)

マガートランド手記再発(映画化されたときの版)
1844547515Fifty Dead Men Walking: The Heroic True Story of a British Secret Agent Inside the IRA
Martin McGartland
John Blake 2009-05

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映画は、最も重要な点が事実と逆になっている(ラヴ・ロマンス進行にするため?)とのことで、私は見ていないが(そのくらい、ハードル高くしといていいと思う。スパイ・サスペンスが見たいのなら別にNIネタじゃなくてもいい)、DVDが出ている。
B003A8FEX2Fifty Dead Men Walking [DVD]
Fifty Dead Men Walking
In2film 2010-06-14

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※この記事は

2011年12月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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