「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年12月22日

北アイルランド、2009年3月の英軍基地襲撃事件の裁判、一通り終了

2009年3月7日、北アイルランド、アントリム州にある英軍のマセリーン基地 Massereene Barracks が襲撃を受け、宅配ピザを受け取りに出てきた兵士2名が殺され、ピザの配達の店員らが負傷した。事件後ほどなく、Real IRAが犯行声明を出した。
http://nofrills.seesaa.net/article/115346246.html
http://nofrills.seesaa.net/article/115350864.html
http://nofrills.seesaa.net/article/115354564.html

数週間後の09年3月末には、「実行犯と思われる人物」が起訴されていた。彼、コリン・ダフィは、英国ではほぼ「例外的」といってよい措置だが、そのままずっと身柄を拘置されていた。そして逮捕・起訴から2年半以上が経過して、彼ともう1人の被告に対する裁判が、今年11月にようやく開始された。

その裁判が一通り終了した。判決は年が明けてから言い渡される。



なお、英国では裁判は陪審制だが、北アイルランドの特定組織(テロ組織)関連の裁判では、例外として、陪審なし・判事のみの裁判となる(これを通称「ディプロック法廷」という)。

できればこのあと書き足したい。

※この記事は

2011年12月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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