「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年12月15日

いわゆる「アラブの春」の始まりから丸一年になろうというときに、「抗議する人々」の話題

2010年12月17日、チュニジアのシディブジドという町で、警察に商売道具を没収された露天商のモハメド・ブアジジさんが、警察署の前で自らの身体に火を放った。今週土曜日で、それからちょうど1年になる。

個人的に「今年の人」はマーティン・マクギネスなのだが(<お笑い大統領選挙)、「今年存在を知って、強く印象付けられた人」の1人であるジャーナリストのエイマン・モハルディーン(元アルジャジーラ・イングリッシュ、現NBC)のレポートで私が最初に見たのは、ブアジジさんが息を引き取り、ベンアリ大統領が国外に逃亡したあとのこの現地からの報告だった(これを見たときはまだ、彼の名前など把握してもいない)。YTへのアップロード日は1月19日となっている。



続いて、これも見た。農業がさかんな地域だと説明されているシディブジドの人たちは、首都チュニスの人たちとは全然雰囲気が違う。



チュニジアからこれらの報告をしたエイマン・モハルディーン(カイロ生まれ、米国育ち)はその後、自身のルーツのあるカイロから――特に広場から、政権側のメディアに対する嫌がらせに対応し、時には匿名で――、連日、「革命」を伝えることになった。彼のTwitterの背景画像は、モハメド・ブアジジさんの眠る墓地で撮影されたものである。チュニジアの旗を身体に巻きつけて立つ彼の右のほうにある真新しい墓の下に、ブアジジさんは埋葬されている。

その彼の、15日午前1時ごろ(日本時間)のツイート(FBからのフィード):

米TIME誌の「今年の人」はThe Protesters(抗議する人々)――この話題自体は、エイマンが「これはモハメド・ブアジジと『アラブの目覚め』、そして圧制や権力乱用、汚職や強欲に対する世界的なノーの声を強く肯定するものだ」とFBで述べ(てTwitterにフィードす)る何時間も前に、多くの人たちによってツイートされ、多くのニュースサイトによってフィードされていた。

The Protestersが選ばれた背景というかコンセプトは下記、Introductionに説明されている。
http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,2101745_2102139,00.html


アイキャッチの写真の中央にいるのは、チュニジアのラッパーEl Generalだ。ほかはわからないが、おそらく北米各地のOccupy運動や欧州の抗議行動の人たちと、右端のニカブの人はイエメンだろうか。

下の個別記事のところでは、Yuri Kozyrevという写真家が追った「革命」、写真家のPeter Hapakが撮影した「抗議する人々」の肖像写真――これは、11月に両目とも視力を奪われた歯科医のモハメド・ハララさんが、まだ片目しか奪われていなかったときの写真だ――、そしてギリシャのあの犬。

で、記事は、これはもう紙のほうが圧倒的に読みやすい編集になっているので(ウェブでこんだけ閲覧性悪く仕上げるのは逆に大変だろうと思うのだが、TIMEとRolling Stoneは本当にウェブ版は読みづらい)、少し見てみて、本気で読みたいと思ったら紙の雑誌を買うか、というところである。

といいつつ、ウェブ版でも十分に見やすいPeter Hapakのポートレイトのコーナーを見た。

Photo Essay | Wednesday, December 14, 2011
By Patrick Witty
The Protester: A Portfolio by Peter Hapak
http://lightbox.time.com/2011/12/14/person-of-the-year-2011-protesters-2/

最初はモハメド・ブアジジさんのお母さん(モハメドさんの写真が印刷されたバナーを持っている)。以下、全部で36点なのだが、別々の抗議行動の参加者2人が組み合わされているなどしていて、撮影されている人の数は非常に多い。エジプトの「砂猿」氏もいるし、エジプト系アメリカ人活動家のモナさんもいる。チュニジアのブロガーもいるし、息子を殺されたお母さんもいる。スペインの座り込みの人たち、ギリシャの抗議行動の人たちもいる。国外に逃れざるを得なかったシリアの人たちもいる。

これまで一連の「アラブの春」からOccupyへの流れに位置付けられているのを見たことがないインドの汚職と利権政治への抗議行動のアナ・ハザレさんや、メキシコのドラッグウォーで麻薬とは無関係の息子を殺された詩人もいる。それどころか米国のティーパーティの人たちまでいる(あれはProtestといっても、性質がまったく違う)。それぞれ、モデル(被写体)となる人に、抗議行動の「品物」を持ってきてほしいと依頼したそうだ。結果の写真の中では、手ぶらの人もいるが、プラカードとか、デモ隊に向けて撃たれた散弾のカートリッジといったものを持っている人もいる。

こんなに幅広そうなのに、この写真集はものすごく偏っている。まず、この写真集にはバーレーンが存在していない。エジプトの労組・左翼の若手が(少なくともそれとわかる形では)存在していない(チュニジアも)。また、イエメンかと思ったニカブの女性はエジプトとのことで、イエメンが抜けている。そしてモロッコ、モーリタニア、ヨルダン、オマーンなど「アラブの春」でもさほど「目立たなかった」ところの人たちもいない。パレスチナのUnityの動きなど、たぶんなかったのだろうと思えてくるほどだ。何より、リビアがない。

むろん、これはこの写真家が取材・撮影していたかどうか、というだけの単純な理由によるもので、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。この編集には釈然としないものがあるにせよ。

で、この写真集には出てこない側面も、特集内の別の記事には出ていたりする。例えば下記記事:

People Who Mattered
http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,2101745_2102309,00.html

これ、「今年を振り返る上でのキーパーソン」という感じで中身は薄いのだが(ビジネスランチで恥をかかないための……的なものだと思う)、パレスチナの2トップ(ファタハのアッバスとハマスのメシャール)、ソマリアの武装勢力アッシャバブ、IAEAトップの天野さん、それから……アノニマス? 去年、ウィキリークス周辺はすべてあんだけ無視しておいて? 馬鹿馬鹿しい。

そのあとはチュニジアの新たな政治シーンの重要人物(エッサム・エル=アリアンとラシド・ガヌーチ)、シリアのバシャール・アサド……ええっと、あと米国内だけで重要な話とかも混ざってるし、飽きてきたのでこのへんで。一体何人取り上げられているのかもわからない(閲覧性が極めて低い=目次がないので)。

あと、Runner-up(次点)として、アイウェイウェイさんやケイト・ミドルトンさん(ケンブリッジ伯夫人)なども挙がっているのだけど、この次点のトップのWilliam McRavenという人は、私は名前も顔も見たことがないのでアメリカのテレビで話題になったとかいう人かと思ったら、ビンラディン殺害作戦の軍人……それさ、「今年の人」でも何でもなくね?

こんなアメリカのローカルニュースに付き合っている必要はないのでこのあたりで終了。

アメリカに特に興味でもない限り、TIMEのこの特集を入念に読むより、これまでTIMEに掲載されてきた記事を読んだ方がいいし、それ以上に、例えば下記のようなものを読んだ方がいい時間の使い方ができるはず。

Arab World: Congratulations Tunisia!
Posted 13 December 2011 21:40 GMT
http://globalvoicesonline.org/2011/12/13/arab-world-congratulations-tunisia/

チュニジアで、人権活動を続けてきたマルズーキ氏が暫定大統領に選出された、というニュース(→毎日新聞)について、Global Voicesのアミラ・アル・フセイニさん(バーレーン)がまとめた記事。アミラさん自身、バーレーンで大変な思いをしているのだが、その彼女がTwitterでMENAの英語話者の反応を集めたものは、アメリカのローカルニュースの感覚や、アメリカの外交政策(国務省)の都合で編集された情報とは、視点からしてまったく違う。

それと、TIMEの記事執筆やら何やらのタイミングの問題なのだが、「抗議する人々」はこのTIMEの射程をはるかに超えたところに及んでいる。

ロシア。



中国。※チベット、東トルキスタンなど「少数民族」の抗議行動ではない動き。



※中国のこれは、9月からずっと続いているある村の抗議運動なので、TIMEは単に取材していないのだろうと思う。

※この記事は

2011年12月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 11:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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