kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2003年08月22日

導入から半年。

記事:「通行料定着し渋滞緩和 ロンドン、一部に不満も」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030822-00000036-kyodo-soci

今年2月に導入されたロンドン都心部のcongestion charge(←日本では「通行料」「渋滞税」など複数表記あり。詳細は過去記事参照)。東京都でも導入が検討されている,渋滞緩和の目的の課金制度。

開始前は「例によってカオスになる」という感じの記事をいくつか見ていたが,導入初日にもさほど混乱がなく,東京からロンドンを見ている野次馬的には「なんだーつまんねー」という無責任な感想すら抱くほど。(在ロンドンのみなさま,すみません。)

というように順調に導入され,上記記事によると,
市当局によると、対象地域の交通量は導入前に比べ16%減少。リビングストン市長は「極めて順調。市民も企業も観光客も移動時間が短くなった」と自賛している。
とのこと。1日£5(エリア内居住者は90%引き)といえば,いわゆるマイカー通勤はためらわれるし,確かに都心部では効果があったみたい。

でも,物流のトラックなどが迂回しているであろう,都心部ではないエリアはどうなんだろうか。混んでそうだなあ。

そのあたり,また資料がありそうなら見てみます。

記事には,ちょっと考えられないくらいに車の姿のないリージェント・ストリートの写真がついていますが,やっぱりああいうところでお買い物なさる方々は,お車でおいでだったのかしら?記事には
ロンドン商工会議所の調査では、小売店の75%で売上高が減少。
とあります。(写真と本文はどの程度関係あるのか,不明。)

軒並み売上減とのことで,その理由を,商店主は「コンジェスチョン・チャージだ」と言っているそうですが,まあああいうところでお買い物なさる方々がみなさんお車でおいでで,お車代をケチっていらっしゃるのならそうかもしれない。

一方で商工会議所は,「SARSや武力行使(戦争)の影響」との見解。

やっぱそっちでしょ。観光客が減れば売上減ります。




※この記事は

2003年08月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼