kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2003年08月20日

Sobigウィルスはほんとにso bigだった

例のMSBlast(LovSan)ウィルスとは別に,6月に流行したSoBigが帰ってきたそうです。

うちはWin2kでもWinXPでもないからー,と思ってたら,昔ながらの「メールの添付ファイルで感染」のウィルスが存在証明の自己主張。

ZDNetさん記事:「帰ってきたSobig――爆発的に拡散する新亜種『Sobig.F』」
http://www.zdnet.co.jp/enterprise/0308/20/epn04.html

本日はパソコンを使わない仕事をしていたので,気付いたときにはメールボックスが溢れていました……。たまらん。105000バイトくらいのものが20通もあれば,そりゃーあふれますってば。

海外からのスパムが毎日来るアドレスで,知り合いがまったくいない海外の国から送信されているので,私のアドレスを持っているスパマーが感染したんだと思います。全部同一IPから来ている。5分に3通の割合。

今日はこれの対処で終わりそうな予感。

なお,感染はしていません。

こういう事情で,添付ファイルつきメール(マルチパートのメール)は当分の間無条件で削除しますので,私にメールで連絡なさる方はよろしくお含みおきください。

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追記:
夜にどんどんペースがすごくなって,1分に1通来るようになったため,たまりかねて送信元IPを管理しているISPをwhoisで検索して対処依頼のメールを書きました。でもまだとまらない……こんなことで徹夜はいやよ。

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追記2:(21日午前1時頃記す)
ウィルスメールの洪水はしばらく前にようやく止まりました。徹夜はしなくて済みそうです。とりあえず,ホッ。

しかし個人ユーザに過ぎない私が,メールボックスの容量がたった2MBのサーヴィスを利用しているからにしても,常時はりついていないとメールボックスが溢れてしまう,という目にあったことを思うと,世の中全体の被害はどのくらいのものだろう?と思わされます。

参考:
「がんばれゲイツ君」「ブラスター狂想曲」



タグ:ウイルス

※この記事は

2003年08月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 18:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼