「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年12月02日

ウィキリークスの新プロジェクト、The Spy Files #wl_jp

あのCablegateから1年と2日ほどが過ぎた12月1日、ウィキリークスが新規のプロジェクトを発表した。今回のテーマは「政府・企業による監視」で、プロジェクト名はThe Spy Files(またはThe Spyfiles……統一して!)。
http://wikileaks.org/the-spyfiles.html

大手メディアと組むという試みを重ねては失敗したアサンジ君、今回はワシントン・ポスト(米)、ヒンドゥ(インド)、レプブリカ(イタリア)、レクスプレッソ(同)、プライヴァシー・インターナショナル、ARD(ドイツ)など新しいパートナーと、これまで組んだことのあるOWNI(フランス)、ビューロー・オヴ・インヴェスティガティヴ・ジャーナリズム(英など)と一緒にやっていると書かれている。

特にOWNIは、例によって、「見やすくする」という点でものすごくいい仕事をしている。



で、趣旨説明のページみたいなところは、出だしがいきなり文字量の多さと情報量の少なさと自画自賛の多さに辟易とする大風呂敷文体で書かれていて、ごめんなさい、全然ちゃんと読んでません。「あとで読む」です。
http://wikileaks.org/the-spyfiles.html

報道記事としては、AFPのこれが。がっつりした記事なのでちょっと読むの時間かかります。

New WikiLeaks 'spy files' show global surveillance industry
By Alice Ritchie (AFP)
http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5g1hmBkqANZQIpmhu3oY-kKxPgjIQ?docId=CNG.68fcf6470e3486d0144305bd27e4ea93.721

いわく、アサンジがこのプロジェクトのことを発表したときに、フランスのOWNIが、「ムアンマル・カダフィの政権側が、英国に暮らしている反カダフィ政権のリビア人を監視していたが、それにフランス企業が関わっていた」ということを示す証拠を公表した。

エレクトロニクス企業のAmesysがリビアの(旧)政権に協力していたことは既に周知の事実で、フランス国内では人権団体がこの企業をこの件で訴追しようとしているが、そこにこの証拠が明らかになったことでAmesysにとってはembarrassingなことになるだろう。

……という前置きに続き、Amesysが実際にどうカダフィ政権に関わっていたか(ネット監視)、OWNIが公表した「証拠」とは何か(カダフィ政権に渡されたマニュアル)、監視されていた側の反カダフィ派の74歳男性のこと(文筆家のマフムード・アルナクさん。現在は新政権によって駐ロンドン大使に指名されている)、60歳男性のこと(アティア・ローガリさん、新政権の文化大臣)……といった具体的な説明。

これが「問題」でないとは言わないが、しかしカダフィ側のエージェントと在英リビア人(亡命者たち)の問題に関しては、英国政府そのものが……という、ね(香港で拉致されトリポリに送られ拷問された反カダフィ派の人とその家族が法廷で何を語るかに注目すべき)。

なお、OWNIが入手した「マニュアル」によると、カダフィ政権は電子メール(POPメールもウェブメールも)、VOIP電話、インスタントメッセージ、検索エンジンのクエリを傍受できていたらしい。

リビアといえば、2月に蜂起が始まる前は「あそこでは何も起きないだろう」と決めてかかるような扱いがされていた。何しろ、エジプトの#Jan25 に相当するハッシュタグが、当時アルジェリアやモロッコなどでも続々と出てきていたのだが、リビアの場合、#Feb30 だったのだ(2月30日wwwwww)。

ただ実際には、#Feb30だなんだと笑っていたときには既に、後に#Feb17のハッシュタグで情報を集約する人々は動いていたはずで、それもネットで繋がっていた。ただ、もちろん普通に「俺らも革命やろうぜ」などと書けるわけではないので、「当方20代男性、理想の女性を探しています」、「こんにちは。砂漠のバラといいます。あなたのプロフを読んでお会いしたいと思いました」的な暗号で集っていたという(ネカマ作戦)。詳細は下記:
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/news/20110302/1030525/

閑話休題。SpyfilesについてのAFP記事に戻ると、問題のフランス企業Amesysは、2003年でリビアに対する制裁は解除されたので、法的には問題ない、当方に責任があるのは納品までで、それらがどう使われるかはコントロールできる範囲ではない、云々とコメントしている。

そして私は、BBC Newsのトップページで報じられていた「ヒラリー・クリントン米国務長官が、ビルマを訪問した」の件を思い出し、どよーんとした気分になる。

このAFP記事によると、今回ウィキリークスが公表したファイルは、25の国の160の企業(携帯電話や電子メール、インターネットの閲覧履歴などにより個人を追跡・監視することのできる技術を開発している企業)の活動を明らかにするもの。ファイルの件数は、12月1日に公開された分だけで287件。

ロンドンでこのプロジェクトをアナウンスしたジュリアン・アサンジは、これについて「国際的な大量監視産業の現実」、「人口全体をインターセプトするため、独裁者にも民主主義にも等しく装備を販売する産業」、「この10年で、国の情報機関を顧客にする影の存在から、大きく成長した」などということを述べているそうだ。

(こういう形で読むとまっとうなのだが、きっと生で聞いたら耐え難いほど大袈裟で、何より「おまえがいうな」なんだろうな、と思う。)

ジェイコブ・アペルボームは今回明らかにされたような監視システムについて、「東ドイツのシュタージもうらやむようなシステム」、「こういったシステムが、西側企業によって、シリア、リビア、チュニジア、エジプトなどに売られてきた。これらのシステムは人々を追跡し殺すために使われてきた」とコメントしている。

こういうコメントに対し、「俺たち(西側企業)がやらなくても誰かが」云々で正当化する人々もいるし、Twitterなどではそれが可視化されるのだが、このAFP記事はそういうところで「両論併記」で「公平さ」を取り繕おうとしていないのがよい。

記事の最後のほうから:
Experts who worked on the release warned that at present the industry was completely unregulated.

"Western governments cannot stand idly by while this technology is still being sold," said Eric King, from the Privacy International campaign group.


なお、12月1日に稼動するはずだった「安全な新しいリーク受付システム」は公開延期となっている。


※この記事は

2011年12月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 04:59 | TrackBack(0) | Wikileaks | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼