「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2006年09月14日

Save the Astoria 〜「アストリアを救え」(むしろ、「小汚いmusic venueをロンドン都心部から消すな」)

London Astoria
http://en.wikipedia.org/wiki/London_Astoria

ロンドンの都心部、トッテナム・コート・ロード駅のすぐそこに、アストリア(Astoria)というハコがある。日本語でいう「ライヴハウス」ほど小さくはないが、ステージ上の人間がちっちゃくしか見えないような大バコでもない。客席というかフロアはスタンディングで、床は汚い(こぼれたビールでねちゃねちゃしている)。非常に「ロンドンらしい」ハコのひとつだ。

私も何度かここでライヴを見たことがある。何を見たかということになると、はっきり覚えているのはSpritualizedだけなのだが(このときに床のねちゃねちゃ具合に気づいた。観客全員床に座ってだら〜んとしていたので)、そこらへんの位置のバンドがよくやってるハコだった。有名な人たちではBlurとかのUKのバンドはもちろん、バカ売れする前のNirvanaもここでやっている(バカ売れした後もやってたと思うけど)。2000年滞在時にはBlink 182のライヴ@アストリアの告知ポスターをやたらとあちこちで見かけた。

というようなハコなのだが、そのアストリアが閉鎖の危機にある。

Timeoutの8月25日付けの記事:
Save the Astoria
http://www.timeout.com/london/music/features/1895.html

ガーディアンの8月29日付の記事:
From Stones to Spice Girls: fight is on to save legendary venue
http://arts.guardian.co.uk/news/story/0,,1860259,00.html

以下はアストリアについての説明など。そこらへんのことはもう知っているから説明は不要という方は、このハコの存続を求める音楽ファンのサイトと、オンライン・ペティションへ直行してください。
http://www.savetheastoria.org/
http://www.petitiononline.com/savethea/petition.html

アストリアの建物は元々食品加工会社の工場として建てられた。はっきりした情報がないのだが、たぶん19世紀半ばのことだろう。20世紀に入り、1930年ごろにキャバレーとして内部が改装され、その後ミュージックホール(<英国独特の娯楽施設)となり、1970年代には劇場になり、1980年代に音楽のライヴハウスとなった。ここでライヴを行なったミュージシャンにはデイヴィッド・ボウイ、U2、プリンス、エミネムなどがいる。またマニック・ストリート・プリーチャーズのギタリストが失踪する前の最後のステージもここで行なわれた。

1990年代終わりに英国の景気が回復して「都心部でも空きビルいっぱい」な状態が見られなくなったころ、このハコの存続は危ぶまれていたらしい。何しろ都心部の一等地も一等地、トッテナム・コート・ロード駅の真上みたいなところだもんね。

そのような中、2000年5月に、いくつものライヴハウスを経営するミーン・フィドラー・グループがこのハコの経営権を取得。これで「ライヴハウス」としての将来はとりあえず保証された。実際、ミーン・フィドラーはサイトでsecuring the future of live music at one of London's most famous rock 'n' roll venuesと書いている。このときに、アストリアの隣の「LA2(ロンドン・アストリア2)」が「ミーン・フィドラー」という名称になった。(「ミーン・フィドラー」は元々西ロンドンのウィルスデンにあった。)

しかし2006年6月に、アストリアとミーン・フィドラーが、Derwent Valley Centralという不動産開発業者に売られてしまった。このため、アストリアの存続が危機ということになっているのだ。

具体的には、不動産開発業者としては当然あのような一等地をライヴハウスにしておくのはもったいないと考える。さらに2012年にはロンドンでオリンピックが開催されることになっている。ビジネスチャ〜ンス。(<「アタックチャ〜ンス」風にどうぞ。)なぜ角を取らない?・・・という話のようだ。

音楽ファンの大学生が立ち上げたSaveTheAstoria.orgによると、不動産業者は現在の建物を取り壊し、商店とオフィスと住居(高級マンション)を建築したいとの意向。(ということは、Astoriaのあの建物はlisted buildingではない、ということだが。斜向かいの特に何もおもしろくないただの巨大なビルがGrade IIなのに。)

SaveTheAstoria.orgには、次のようなことが書かれている。

「不動産業者の開発計画は十分に考えられたものとは言えない。オリンピックの時期はいいかもしれないが、それが過ぎたら、本当にここに暮らしている私たちは大きなものを失ってしまったということになる。ロンドンは私たちの町だ。ロンドンを他とは違う特別なものにしているものは持ち続けていきたい。ビジネスチャンスも結構、だけれども、アストリアという伝説的なすばらしいハコを取り除くことでがっぽり金儲けというのはお断りだ」

「ロンドンのあのエリアであのサイズのハコはここだけしかない。それがなくなるのはひどすぎる。カムデンにも同じようなハコがあるが、遠いし、第一カムデンという場所は、夜遅くにはやっぱりちょっと不安な場所だ。アストリアはオックスフォード・ストリートからすぐのところにある。ずっと行きやすいしずっと安全だ」

「音楽シーンが今のようにどんどん拡大していくには、アストリアのような場所はこれまで以上に重要になる。ああいう中規模のハコをつぶしてしまったら、小さなバンドが大きくなっていくことができるだろうか。若いバンドのほとんどがアストリアでプレイすることを夢見ている。BBCのTop of the Popsが先日最終回を迎えたが(参考)、この上まだアストリアまでなくなってしまうのはひどすぎるのではないか」

SaveTheAstoria.orgでは今後Tシャツやポスター・ビラも作成する予定。また、サイトでは不動産業者への提案(アストリアを壊さずに再開発を行なうというプラン)も示されている。

取り壊しになるとすれば2008年には工事が始まるという。

なお、SaveTheAstoria.orgはmyspaceにもサイトを用意している。
http://www.myspace.com/savingtheastoria
※myspaceなので読み込み遅いです。

こちらには「リヴァプールでも同じだ。the capital of cultureとやらでいい建物がどんどん取り壊されている。結局は、もう売られているのと同じものを売る店を作ってるだけなのに」という書き込みや、「NYCのCBGB(参考)の次はロンドンのアストリアか」という書き込みがある。

というわけで、オンライン・ペティション。文の内容は、ここまで書いてきたようなことです。業者宛の請願書であるはずなのにSo join the revolution! Save the Astoria!とかなってるのは、ご愛嬌ということで。
http://www.petitiononline.com/savethea/petition.html
※やり方はシンプルなのでわからないということはないと思います。名前とメアドを入力し、書きたいことがある人はコメントを書く(コメントは空欄でもOK)。

なお、ミーン・フィドラー・グループはレディングをはじめとするいくつかの野外音楽フェスのオーガナイズもしているので、その辺のことが好きな人は同社のHistoryのページを読んでみるとおもしろいかも。

・・・以上、9月はじめに下書きを書いたままになっていたのですが、ガーディアンのNewsBlogでこの件が紹介されていたのでようやく整理してアップロード。

Space Opera
By Caroline Sullivan
13 September 2006
http://blogs.guardian.co.uk/culturevulture/archives/2006/09/13/space_opera.html

なんと、SOHOのThe Intrepid Fox pubも閉鎖ということです。詳細はガーディアンblogとSave The Intrepid Foxを参照。

ガーディアンblogから引用:
The protests are fuelled by the kind of love that attaches to places where the music/grubbiness balance is exactly right. Both the Astoria and the 202-year-old Fox had the exact recipe - they mixed spot-on bands (or, in the pub's case, spot-on beer, consumed by such customers as Slash and Lemmy) with a relaxed attitude toward cleanliness, and people came in their thousands.

That kind of alchemy is impossible to pull off with brand new venues, no matter how much cash is invested in state-of-the-art sound systems and decent toilets. Neither does it work with corporate barns ...

そうなのよね、最近作られたようなぴかぴかのハコは、こぼれたビールと適当な掃除が積み重なった結果のねちゃねちゃの貼りついた床を持つハコとはどこか違う。それはa relaxed attitude toward cleanliness(汚したらいけないと気兼ねすることなくいること)も関係している。今にもヴィクトリア・ベッカムが報道陣に追いかけられつつ足早に歩いてきそうな場所にレミーがいたら、単に似合わない。

あと、1996年にチャリング・クロス・ロードの店舗を閉じたマーキーは、一時期イズリントンのショッピングセンターに入ったのだけど撤退し(その場所は今はイズリントン・アカデミーになっている)、そのあと2004年にレスター・スクエアで開店したのだけど、これがオフィス・ビルの3階という、およそロケンローではない場所で、それが原因でわずか18ヶ月で閉店したのだそうです。

またガーディアンblogのコメント欄で、リーズのthe Duchess of Yorkが閉店してHugo Bossのショップになったということを知って、マジですか、と。バーミンガムも相当なことになっているらしく。オクスフォードもJericho Tavernがぐちゃぐちゃになってからはどうもいかんらしいし。

あとこのコメント欄、ハシエンダの話でかなり熱くなっている。

※この記事は

2006年09月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 08:01 | Comment(5) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
アストリア、昨年の11月に、相方が大好きなバンドの年に1度の恒例ライブがあるというので行ってきましたが、まさかそんな話になっているとは。

早速署名しました。

チャリングクロス近辺は本屋(フォイルズも、かつてほど尖った本屋ではなくなりましたが)と楽器屋、ちょっと南に文房具屋とフォトグラファーズ・ギャラリーと、私の行きつけが多数あり、個人的に大変思い入れのある地域です。家からも歩いて行けるし。

このロンドンでのVenue(という方がしっくりくる)状況が、いつのまにかそんなにお寒い状態になっていたなんて・・・。
バブル期の日本じゃないですが、不動産業者、ですか。
Posted by ぴこりん at 2006年09月14日 23:37
>ぴこりんさん
東ロンドンのSpitalfieldsも再開発が完了してますし、ロンドンはまさに「バブル」という感じですが、この「バブル」はやたらと長いですよねぇ。その上に2012年のオリンピックでさらに長くなっていくような。

チャリングクロスはほんの10分〜15分歩くだけでいろんなことが楽しめる。そういうのは保全したほうが、観光という点でも、結局はプラスになると思うんですけど。どうせまたHugo Bossができたりするのならなおさら。

私はこの「アストリア再開発計画」を知ったときに、東京の神田神保町を連想しました。
http://symy.jp/?h9N
(URL短縮していますが、http://www.kanroshobo.com/のコンテンツです。)

下北沢も今、再開発計画が進められようとしています。
http://www.stsk.net/
Posted by nofrills at 2006年09月16日 02:04
Daveという20歳の学生さんが、6月22日に、YouTubeで「アストリアを守れ」というドキュメンタリーを公開するそうです。現在鋭意制作中とのこと。

というわけで5月末にアップされた予告編。(1分ちょっと)
Save The London Astoria
http://www.youtube.com/watch?v=IzZCpXIech4

MS Paintでお絵かきして、Windows Movie Makerで編集したそうです。
Posted by nofrills at 2007年06月02日 13:22
ブクマだけしてこっちにアップデート書き込むのを忘れていました。

Astoriaはもうダメです。

London's Astoria venue 'can't be saved'
Astoria Theatre, London.
Capital's Mayor Ken Livingston confirms club will close
Mar 12, 2008
http://www.nme.com/news/various-artists/35082

[quote]
London's Mayor Ken Livingstone has revealed today (March 12) in a report that the Astoria will close due to a new building and transport development in the area.

With regards to preventing the closure, Livingstone said: "There are some instances where that just physically isn't possible. The construction of (new underground railway line) Crossrail means that the Astoria can't be saved."
[/quote]

つまり、Crossrailの新駅を建設するために、あの場所は空けなければならない、と。Astoriaの建物の取り壊しは、Tottenham Court Road development の一環として不可避である、と。

この再開発計画については、詳細は
http://en.wikipedia.org/wiki/Tottenham_Court_Road_tube_station#Future_developments
からソースを含めて参照。
The original Central line entrance and the Astoria theatre would also be demolished in order to expand the western side of the original ticket office to include escalators down to Crossrail.
Posted by nofrills at 2008年03月28日 08:45
アップデートが遅れましたが、2009年1月14日にAstoriaの最後のライヴが行なわれました。

London Astoria has its final night before being demolished
http://www.nme.com/news/various-artists/42088

本当は15日にイビザのManumission clubが主催する盛大なファイナルが予定されていたのが、TfLが出した退去通知の期限日との関係で、15日のは中止(無粋にもほどがある)。

London Astoria cancels its last-ever party
http://www.nme.com/news/kasabian/41991

ただし同じ建物の別の階にあるAstoria 2では15日にフェアウェル・パーティがあったとのことで、事情はあまりよくわかりません。

最後の日、既に足場が組まれていますが:
http://flickr.com/photos/danielrsilva/3216521996/

1月末には足場がなくなっていた……?
http://flickr.com/photos/absentmindedfan/3247625555/

Flickrタグ検索@日付順
http://flickr.com/search/?q=london+astoria&ss=2&s=rec
Posted by nofrills at 2009年02月03日 18:31

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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