「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2006年09月12日

ブレアへの「大歓迎」@レバノン

Angry Beirut protests greet Blair
Last Updated: Monday, 11 September 2006, 12:35 GMT 13:35 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/5333728.stm

Blair greeted by protests in Lebanon
Will Woodward in Beirut
Monday September 11, 2006
http://www.guardian.co.uk/syria/story/0,,1869783,00.html

11日はアメリカでのWTCへの攻撃から5周年ということで、東京で私が見ていたテレビはその話題に満ちていた・・・あと「ハンカチ王子」の進路と飲酒運転と自民党の総裁選挙と。

5年前の9月11日がきっかけとなって、5年前の10月8日にアルカーイダをかくまうタリバンが牛耳るアフガニスタンが圧倒的武力を有する米英(とオーストラリア)に攻撃されたんだけど、今年、ヒズボラが牛耳っているからという理由で攻撃されたレバノンについては、2006年9月11日の東京のテレビには、私の見ていた範囲だけど、これっぽっちも出てこなかった。

しかし、1997年に首相となり、1998年に北アイルランド和平を成立させ、1999年にセルビアを空爆し、2001年には米国大統領とともに「テロに対する戦争」に参戦して2001年10月にアフガン、2003年3月にイラクを攻撃したトニー・ブレアは、「あれから5年」のまさにその日に、レバノンにいた。(正確には、3日間の中東訪問の最終日だった。)

どうやら最初は常のごとく笑っていたらしい

英国での報道によると、ブレアはレバノン政府との会談のためにレバノンを訪れた。レパノンの人たちはブレアの訪問に抗議して抗議行動をとった。

米国が耳を傾ける相手がいるとしたら、それは英国だけだろうというなか、英国は何もしなかった。そうして、米国がいろんな点でバックアップしているイスラエルは、レバノンを空からも海からも包囲し、破壊し続けた。民間人もたくさん殺した。インフラの破壊も行なった。赤十字も攻撃したし、国連も攻撃した。

ガーディアンの記事はブレアの写真つきだが、この写真は、記者会見の席で抗議者から「恥を知れ(Shame on you)」といわれたときのものかもしれない。
As Mr Blair was speaking at a press conference, a woman named as Caoimhe Butterley interrupted and stood 10 feet from the two leaders holding a banner which said "Boycott Israeli apartheid". She told reporters: "This visit is an insult to the memory of Lebanese, Palestinians and other Muslims. This visit is an insult to the memory of thousands of Lebanese who have died as a result of Blair's policies. Shame on you Tony Blair."

The woman, who officials said was Irish and working for a non-governmental organisation in Beirut, was hustled away.

記者会見でブレアが発言しているときに、Caoimhe Butterleyという名であるという女性が割り込んで発言した。彼女は両首脳から3メートルほどのところに立って、「イスラエルのアパルトヘイトをボイコットせよ」と書かれたバナーを掲げていた。彼女は記者らに対し「この訪問はレバノンやパレスチナの人々、またそのほかのムスリムの記憶に対する侮辱です。この訪問は、ブレアの政策の結果として死んだ数千というレバノン人の思い出に対する侮辱です。トニー・ブレア、恥を知りなさい。」

当局筋によるとこの女性はアイリッシュで、ベイルートのNGOで働いている。女性は会場から連れ出された。


記者会見の席には、背中に「英国人であることを恥じる」と手書きした白いTシャツを着た別の女性もいた。(写真:BBCのin picturesの5枚目。)

このほか、ベイルートの殉教者広場でのデモでは数百人の人々が次のようなプラカードを掲げていた。
"Blair go to hell" (ブレアは地獄に行け)
"Blair you are not welcome in Lebanon" (ブレア、あなたはレバノンでは歓迎されない)
"This is what intelligent bombs do" (コンピュータを搭載した賢い爆弾がするのはこういうことだ)


また、BBCの記事によると(写真:BBCのin picturesの6枚目)
Up to 5,000 protesters gathered nearby in a stand-off with security forces, shouting slogans and waving banners describing Mr Blair as a "killer" and "war criminal".

ブレア首相とシニオラ首相との会談の会場となったベイルート中心部では、最大で5000人が抗議行動をおこない、治安当局と対峙した。抗議行動者はブレア首相について「殺人者」「戦争犯罪人」というスローガンを叫んだりバナーを掲げるなどしていた。


だが、トニー・ブレアは「テフロン・トニー」とあだ名されたくらいの人物だ。俗に「なんちゃらゲート」と呼ばれるような汚職疑惑も軽くつるんとはじいてしまったし、イラク戦争前の英政府の危機感を煽るような演出書類についての報道をめぐって国防相顧問が自殺したとされる件での独立調査委員会の最終報告でも、あれこれつるんとはじいてしまった。

BBCの記事では、ブレアは、私の政策には確かに異論もある、英国でもアラブでも異論はある、と述べた上で、イスラエルの爆撃で家族らを失った人々に「深くご同情申し上げる」と述べ、レバノンのシニオラ首相は抗議行動者に対して「民主的な形での批判だ、すばらしい」と述べ、ブレアもそれを繰り返した。

(「民主主義だから、いろいろな意見があっていい」というのは、究極の無力化兵器だと思う。)

なお、今回のレバノン訪問で、ブレアは、ヒズボラの政治家(2人の閣僚)との会談は断られた(snubbed, refused)。またシーア派でヒズボラとのパイプ役であるレバノン国会の議長もブレアと会わなかった(予定では会談することになっていたが、土曜日に「私用で」イランに行ってしまった)。(ソースはガーディアン、以下最後まで同じ)

この点について、首相官邸スポークスマン筋がおもしろいことを言っている。いわく、「今回の訪問はレバノン首相に会うことが目的だった。だから問題ない」。さらに(以下はスポークスマン筋の発言そのままのような気がする):
The two men had spoken "almost daily" in August as the British PM supported the push to a UN resolution to end the Israeli offensive in Lebanon. Mr Blair believes that, despite the protests, his visit was a success, an important demonstration of the role he believes he can play to kickstart the faltering Middle East peace process in the last few months of his premiership.

...

Mr Blair's spokesman said the prime minister had "an important role, indeed a historic role, in trying to move forward on the issue of Palestine".

8月、英首相が攻撃終了の国連決議採択を支持していたときに、両首脳は「ほとんど毎日」話をしていた。ブレアは、抗議はあったけれども今回の訪問は成功したと考えている。また、自身が任期の最後に混迷する中東和平プロセスを進めるために果たすことができると信じている役割を示す重要な機会となった、と。・・・中略・・・ブレアのスポークスマンは、ブレア首相には「パレスチナの問題について前進しようとするという点において、重要な役割、いや、歴史的な役割がある」と述べた。


「中東和平プロセス」と英国ということでいえば、先日のジェリー・アダムズの訪問もつながっている。英国政府は「北アイルランド和平」を全世界の紛争解決モデルにしたくてたまらない。(GAは英国政府に反対しているのではなく、両者話し合ってことを進めている。)

そして何より、ブレアとニューレイバーはhistoricな何かが大好きだ。

さらに記事には次のようにある:
Officials reported that the two leaders had agreed privately that there was "a window of opportunity" in the aftermath of the Israeli attacks on Lebanon. Mr Siniora was said to have told Mr Blair: "Now is the time. The moment will pass unless we use it. The moment is now."

当局筋によれば、両首脳は非公式に、レバノンに対するイスラエルの攻撃の後だが「まさに好機」であるということで合意している。シニオラ首相はブレア首相に対し「今がそのときだ。利用しなければ過ぎてしまう。今がそのときだ」と告げたという。


というわけで、今後早いうちにいろいろと動く可能性もなきにしもあらず。動く場合には、オスロ合意並みの何かになるかもしれない。(ブッシュの失敗した「ロードマップ」と同じくらいのことなら、ブレアはやろうとしないと思う。)

※この記事は

2006年09月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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