kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2006年04月28日

あの壁画はbeautifulでniceなんだろうか。

ココログ不調か、メンテ中か? 昼ごはん食べながらうにさんの記事(4月28日)にコメントつけようとしたらエラーになってしまったので、とりあえずこっちに上げ、トラバしておきます。

Banksyの「壁画」について。。。

ちょい長すぎたのかもしれん。

ともあれ、以下が投稿しようとしたコメント。。。で私は仕事に戻るぅ〜。

--------------------

うにさん、こんにちは。

Boston.comの画像集、写真の6枚目もBanksyです。
http://www.boston.com/news/world/gallery/wallart/

Banksyはロンドンなど英国の大都市で壁画&壁字を描き続けていて、彼の「作品」はflickr.coomを使っている人たちにも大人気、下記で2700枚以上閲覧できます。
http://www.flickr.com/photos/tags/banksy/

例えば風船少女とか爆弾少女とか花束男とか恋人たち(?)とか。

それにしても皮肉なことですね。昨年の夏、Banksyがパレスチナの壁にやったと聞いたとき、彼が「ゲリラ・アーティスト」としてあまりに著名なので「自由旅行者の壁画めぐりツアー」の状態になるのではないかとは何となく思っていました。Banksyとしては、壁をbeautifulでniceなものにするためにやったわけではないのですが、パレスチナの壁に描かれた絵は実際にbeautifulでniceで、「観客」の存在によってそれがよりいっそうそう見えるのかもしれないですね。

---------------------------

当方での「パレスチナの壁に壁画」の記事@2005年8月:
http://nofrills.seesaa.net/article/23248729.html

ボストン・グローブ
Israeli barrier draws artists to a cause
By Matthew Kalman, Globe Correspondent | April 27, 2006
http://www.boston.com/news/world/articles/2006/04/27/
israeli_barrier_draws_artists_to_a_cause/?page=full


---------------------------

私の脳内では「壁画 mural」といえば北アイルランドなんだけど(<偏りすぎ)、あれは日本の「なんちゃらエンペラー参上」系の落書きと同系列というと言いすぎだろうか、パラミリタリーが領域を示すために、あるいは示威行動として、またプロパガンダとしてやっているもので、無意識のうちにそれと比較するから余計に、Banksyのやってることが際立って見えるのかもしれない。

北アイルランドの「壁画」をめぐる最新記事:
Rival flags issue returns to town
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/4942650.stm

長い話を短くすると、ナショナリスト/リパブリカンの壁画(アイルランドの三色旗)と、ユニオニスト/ロイヤリストの壁画(武装組織UDAのもの)が向かい合っているような状態のBallymenaという場所で、「もうお互いに壁画消しましょう」という話になったのに、それがそのように進んでいない、ということです。(この話は、元々が非対称なところから始まっているので、「どっちもどっち」というのは短絡。BBC記事は、BBCにしてはしっかりしているというべきか、BBCらしくしっかりしているというべきか・・・)

デリー(英国はロンドンデリーと呼ぶ)の有名な壁画についての記事は:
http://nofrills.seesaa.net/article/23249256.html

----------------------------------
■追記
まったくの外部の者としては、Banksyが浴びたであろう「呑気にお絵かきか? え?」という目線を想像してみることが必要と思う。そこまで含めてBanksyという表現だろう。今回、珍しく製作中の姿も撮影させていたことだし。(私は外部の者が「私たちはあなたたちのことを考えています」ということを態度で示すことは否定しないどころかむしろ賛同するが、それによって連帯できるといったことは思っていない。)

あの「壁」がどうやって作られたか、写真入りの記事:
http://www.vtjp.org/background/wallreport2.htm

壁に反対する3都市(テルアビブ、ラマラ、ニューヨーク)のアーティストたち:
http://www.3citiesagainstthewall.net/

ぶらぶらニュース記事見て回ってたらこんなのもあった。
Palestine Press Releases
Roger Waters moves concert to peace village
http://www.waronwant.org/?lid=11955

ロジャー・ウォーターズが、今年の6月にイスラエルで行なうコンサートの会場を、パレスチナのアーティストとイスラエルの兵役拒否者と話をした結果、反占領の立場をとる会場に変更した、というニュース。

--------------------------
北アイルランドのポリティカル・グラフィティ(間違ってもniceでbeautifulには見えないもの):
http://people.ku.edu/~kconrad/dmural1.jpg
http://people.ku.edu/~kconrad/smural3.jpg
http://cain.ulst.ac.uk/images/photos/belfast/peaceline/peaceline3.htm#peaceline3
http://cain.ulst.ac.uk/images/photos/belfast/peaceline/peaceline6.htm#peaceline6

Banksyが壁にペイントしたのがこういうのなら、別の反応が得られた(そっとスルーされた)かもしれない。

注意書き:むろん、こんなのばっかりじゃありません。下記参照。

http://people.ku.edu/~kconrad/mur2boys.html
http://people.ku.edu/~kconrad/mur6896.html
http://people.ku.edu/~kconrad/murcan.html
http://people.ku.edu/~kconrad/smural1.jpg

最後のは、図柄的には「抑圧に抵抗する者」の図柄だが、赤い手(この図柄を「“アルスター”のシンボル」と主張し使用することには、その使用の実態によって、ある意味がつけられている)を中心に、レッド、ホワイト&ブルーでまとめられている。レッドハンドを囲むローレル(だと思う)の緑の色が暗いのは、写真の露出のせいだとは思うが、アイリッシュ・トリコロールの緑には見えない色を使っているのかもしれない。


※この記事は

2006年04月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 14:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。