「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2006年09月01日

「市民メディア」に「紋切り型」というちょっとした絶望。

つい数日前に始動したOhmynews.co.jpが、立ち上げ早々「中東」についての特集を組んでいる。内容は、特にイスラエルとレバノンが中心になっている。

【特集】中東を読み解く
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000000439

この「特集」の記事の1つが下記の記事だ。

イスラエル人の「軍隊的思考」と「被害者意識」(1)
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000000431

イスラエル人の「軍隊的思考」と「被害者意識」(2)
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000000432

この記事は、テルアビブ在住の日本人女性のレポートで、マス(を相手にしているということになっている)メディアの報道に接しているだけでは知らずに過ぎてしまうような部分に焦点が合わせられたものだ。「イスラエルといえば、なんとなく(パレスチナ人の)テロ、というイメージしか浮かばないが、ほんとは何かもっとあるんじゃないか」と漠然と思っている人がもしいたら、これは今すぐに読むのに適している記事だと思う。既存メディアが取りこぼしてしまいがちな(あるいは、仮に新聞に掲載されていたとしても読者が見落としてしまいそうな)重要なことが、「イスラエル人でもなくユダヤ人でもない私から見れば」という視点から書かれている。

で、これからこの記事をお読みになる方は、「(1)」の方の第一パラグラフは飛ばして読んだ方がいいと思います。

「(1)」の第一パラグラフね、これがね、ため息をつきたくなるほどの紋切り型。私はあぶなく、第一パラグラフを読んだときに先を読む気をなくしてしまいそうになったんだけどさ。国連のアナン事務総長がイスラエルのオルメルト首相と会談して、オルメルトが「レバノンへのsiegeは解除しない」と言った(つまりsiegeは続いている)という報道があったのと同じ日に読むものとは、到底思えないんだよね。

問題のパラグラフを丸ごと下に引用:
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000000431
 イスラエルとイスラム教シーア派武装組織ヒズボラとの間で始まったレバノン紛争では、レバノン側で約1150人、イスラエル側で約160人(AFP通信)の死者を出し、レバノンのインフラ設備を破壊、民間人にも甚大な被害をもたらした末、ようやく停戦実施にこぎつけた。イスラエル・レバノン両国民とも安堵の表情を見せているようだが、局地的にイスラエル軍とヒズボラ間での戦闘は発生、事態はいまだに予断を許さない。

表層的には、こんなことは「マスメディア」も書いている――というか、「マスメディア」の書き方そのものじゃないか。こんなものが読みたくてasahi.comでもmainichi-msn.co.jpでもnikkei.co.jpでもsankei.co.jpでもyomiuri.co.jpでもなく(以上、アルファベット順)、ohmynews.co.jpにアクセスしたわけじゃない・・・というのが1つ。ま、これは「期待」の話かもしれない。

もう1つ、より重大なこと。この記事が書かれた時点(「ようやく停戦実施にこぎつけ」てから、だいたい10日から2週間後か)の実際の状況は、「両国民とも安堵の表情を見せているようだ」とか「局地的にイスラエル軍とヒズボラ間での戦闘は発生、事態はいまだに予断を許さない」とかいう“マスメディアが使いたがる紋切り型”で語れるものだったのか、ということ。

私はイスラエルでもレバノンでもなく、東京にいて、東京でのマスメディアのこの一連の紛争/戦争に対する扱いのあまりの情けなさに、テレビのニュースを見るという習慣をすっかりなくしてしまっていて、ネットでBBCとかガーディアンとかの(英国の)マスメディアの報道を見ている。で、それだけでも、「安堵の表情」とか「局地的戦闘」とかいう話じゃないだろう、ってことは知ることができている。つまり、「安堵の表情」とか「局地的戦闘」とかいう文字列は、この状況を説明するためのものとしては、見ただけでダメだこりゃというか、日本の新聞はこんなもんでしょという諦めというか、そういうものを脊髄反射的に呼び起こすものでしかない。

「マスメディア」に対置する概念として、わざわざ「市民メディア」なるものを看板にして「中東」を取り上げている以上、少なくともこれはどーよと私は思うのだが。

まあしかし、「事態は予断を許さない」なんて紋切り型が、「生の声」であるはずはないという直感で、記事の先へと読み進めたんだけども、ああいう紋切り型を見ただけで読むのをやめちゃう人は、多くはないかもしれないけど少なくもないと思うんだよね。

「事態は予断を許さない」で「伝えた」つもりになっているとしたら、大間違いだ。

結論としては、あくまでも推測というか直感なのだけれど、この第一パラグラフはメインの部分を書いたテルアビブ在住の日本人女性の原稿に最初から書いてあったものではない。第一パラグラフをないものとして、第二パラグラフから読み始めてみればわかる。第一と第二の間には何らつながりがないから(第二パラから読んでも、1つの文章として何ら違和感がない)。

つまり、いかにも新聞に書いてありそうな紋切り型のこの部分は、
イスラエルとイスラム教シーア派武装組織ヒズボラとの紛争である
レバノン側で約1150人、イスラエル側で約160人の死者(民間人にも甚大な被害)
レバノンのインフラが破壊された
・先日停戦が実施された
という「用語解説的な事実」(上記の太字部分)を述べるための「導入部」に過ぎない。つまり、いきなり「レバノン」とか言われても「何でしたっけそれ?」という読者がいることを想定し、丁寧に説明した(つもりの)、本論から見ればどうでもいい部分。私がダメだこりゃと思った「安堵の表情」だの「事態はいまだに予断を許さない」だのは、要は「最悪の状態ではなくなっているが、どう変わるかわからない」ということを、紋切り型で表現したものなのだ。

紛争の当事者や死者数についてなどの「事実」を記事の冒頭で並べておくことは必要なことだろう。

しかし、そのために(おそらくは「編集者」によって)選ばれた表現が、まったく血の通ったところがないばかりか、現場の状況にまったく即していない紋切り型だったということは、私には絶望的に思える。

絶望的ってのは、記事に名前がクレジットされているテルアビブ在住の方に対してではなく、誰か個人に対してでもなく、2006年8月末に日本で立ち上げられた「新しいメディア」に対して。

「編集する」ってのは「紋切り型を使ってそれらしい形を整える」ことなのか?と。

本編とは関係のない導入部についてガタガタ言ってるのは、気分のいいものじゃない。しかし、細部にこそ神は宿る。高邁な理想を掲げるんならそれに適うことをしてほしいと思うんで。

なお、私は「○○だから読む」とか「○○だから読まない」とかいうふうに、メディアの名称であれこれ決め付けることを、なるべく減らしたいと思っているんで、「OhmyNewsだから・・・」とかっていうんじゃないです。念のため。

ちなみに今の時代、レバノンからのブログってのもある。以前にもこのブログで翻訳紹介したZenaさんblogの、8月23日付けの記事とか、ざっと読んでみると無責任に「安堵の表情」という表現で語られた状況が、実際にはどうなっているか、少しはわかると思う。
http://beirutupdate.blogspot.com/2006/08/im-alive.html

っつか、Salam PaxやRiverbend後の世界で「爆弾を落とされる側のブログ(という形の“市民”の声)」に注目しないジャーナリズムってのもどーかと思うんだけどね。「特集」には「中東を旅したことのある日本人3氏」の寄稿があるけど、結局「日本人の書いたもの」が欲しいの?

「混迷を深めたままの中東情勢。しかし、私たちはどれほど中東のことを知っているだろうか」という問いかけの答えは、「中東では実際こうです」であるべきで、「私たちと同じ日本人で中東のことを知っている人はこう書きます」ではないはずなのにね。

(「日本で出す情報は日本人が書いたものでなければならない」って一種の強迫観念、プレプロダクションの段階で、ほとんど潜在意識のレベルで、あるよね。挙句、マークス&スペンサーの社長だか会長だかと結婚してた日本人女性が「紳士の国の都、ロンドンの地下鉄はすんばらしいざます」と英国を褒め称える「日本人の書いた(限りなくデタラメな)英国論」が商品として売られたりするんだから、まったくデタラメ。)

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■追記:
OhmyNewsのサイトの作りですが、「特集」としてくくられている記事の個別のページから、「特集」の目次のページへのリンクがない。これは、ユーザーの立場として使いづらいというだけでなく、制作サイドのコンセプトの説明や一緒に読んでもらいたい記事の提示ができない(をしていない)ということ。テンプレが未整備なだけかもしれないけど。

ついでに言うと、やたらと別窓で開くのは何なの。続き記事なんかは同じウィンドウでいいんだって。

あと、Ohmynewsでアカウントを取得すればコメント投稿ができるわけですが、ここに書いたようなことでその手間をかけるつもりはありません。第一にめんどくさいから。第二に、紋切り型はOhmyNewsだけの問題ではなく、こっちがいわゆるひとつのメディア・リテラシーをつけてかないとどうしようもないから。第三に、そんなヒマがあるんならZenaのブログの翻訳紹介でもしてるほうが直接的に生産的だから。

んー、OhmyNewsってトラバ送れないのね。つまり登録しなきゃ直接声を届かせることもできない。。。(ガーディアンのComment is Freeと同じようなものと思えばいいのかもしれないけど。)

※この記事は

2006年09月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 01:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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