kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年08月29日

あら、こんなところに・・・

BNP!!!

ruthkellyspeech.png

まさかGoogle NewsにBNPサイトの記事が。

私は私の目を信じることができません。

記事をみたい人は画像をクリック(スクリーンショットです。リンクは貼りませんが、URLは画像の中に書き込んであります)。

ruthkelly-bn.png

BNPのサイトが、アホみたいなRed White and Blueではなく、政府観光庁の観光案内サイトのような色づかいをしていることも、BNPについて固定的なイメージでいる人にはちょっと驚きかも、と思いますが、これがBNPのサイトです。少なくとも昨年の終わりにはこういうビジュアルになってたと思います。(めったに見ないからよくわかんないけど。)

BNPのこういうときのlanguageは、「なんちゃらヴァンガード」などでみられるthugs系のlanguageとは、まったく違います。で、これがニック・グリフィンのBNP。BNPは、最近はピーク・オイル論にも乗り出しているし、あーもういや。

オールダムとか
http://en.wikipedia.org/wiki/Oldham_Riots
バーンリーとか
http://en.wikipedia.org/wiki/Burnley#History
ブラッドフォードとか
http://en.wikipedia.org/wiki/Bradford_Riot
「9−11の前」のことは、簡単に忘れ去られてしまう。そして「昔っからあの連中はああだった」という都市伝説的な言説が、当たり前のものとしてなっていきかねない。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/5032166.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/manchester/5014764.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/4270010.stm

Google Newsについては、「これはニュースじゃないだろう」ということで、一応、Google Newsに連絡。Google newsはアメリカの極右のサイトは利用者からの意見で外しているはずだし。。。

ご意見窓口:
http://news.google.co.uk/intl/en_uk/about_google_news.html#27
タグ:BNP

※この記事は

2006年08月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼