「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2011年09月26日

カダフィと、北アイルランドの武装勢力(今日の英国のテレビ番組)

リビアから、トリポリで数多くの遺体が埋められているのが発見された、1996年のアブ・サリム刑務所(政治犯収容所)の大量虐殺の犠牲者たちだと思われる、というニュースがあった。
http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-15055109

ベンガジはカダフィ政権にとって常に「反体制派」の町だったそうだが、今年2月15日、今に至る大きなうねりの発端となったベンガジでの抗議行動は、この大量虐殺事件で身内を殺された人々も多く参加していた(ベンガジではアブ・サリム事件被害者遺族の真相究明を求める動きはずっとあったそうだ)。この人々の願いが――身内がどうなったのか確認し、殺されているのならちゃんと葬ってやりたいという願いが、ようやくかなうことになるのだろう。そしてまた、この人々を誰がどのように殺したのか、ということも、うまくいけば解明されるだろう。

(ただしその点、決して楽観はできない。そう思うのは、私が見ているエリアが「1972年1月30日に軍隊が射殺した13人の死の真相が公式に認められたのは、2010年6月だった」とか、「謎の火災で証拠書類が焼失した」とか、「建物がアスベストで汚染されているので中にあった警察の書類は写しも取らずに全部廃棄」とかいったことがぽこぽこ発生し、同時に調査報道ジャーナリストが「公式のshoot-to-kill policyがあったとは考えられない」と結論するようなことが普通にあるエリアだからかもしれないが……。)

そんなときに、北アイルランドからこんなニュース。

Gaddafi 'in £1m gift to dissidents just before his ousting'
By Deborah McAleese
Monday, 26 September 2011
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/gaddafi-in-1m-gift-to-dissidents-just-before-his-ousting-16055060.html

「カダフィが政権の座を追われる直前に、ディシデント・リパブリカンに£1mを贈呈」。

んまぁ。

記事曰く、26日(月)の英ITV 1でのドキュメンタリー/調査報道番組で、リビアのムアンマル・カダフィと、アイルランド(北アイルランド)の「非主流派リパブリカン」(Real IRA, Continuity IRAなど)との関係について取り上げる。

記事には概略、次のようなことが書かれている――「番組プロデューサーらにMI6の情報筋(1名)が語ったところによると、今年6月、既に継続的にNATO軍がカダフィ政権の軍隊を標的として攻撃を加えていたころ、リビアのカダフィ政権の使節がロンドンを訪れた。手にしていたスーツケースには、ビニールで梱包した札束が入っていた。この使節はロンドンで、カダフィ一族がナイツブリッジ地区に所有する高級アパート(か何か)に潜伏した。そして札束をあるビジネスマンに渡した。その額、200万ドル(=約130万ポンド)。そのビジネスマンは非主流派リパブリカンのセルを支持していると思われる。」

記事は続く。「カダフィは、自身の政権を転覆することを支援した英国を攻撃しようと、北アイルランドで高まる政情不安を利用しようとしていた、というのがこの番組の内容だ。かつて(=70年代、80年代)、北アイルランド紛争が最も激しかった時期にカダフィが行なったのと同じことである。つまり、(英国を攻撃することを狙って)IRAの活動を金銭的に支援したのである。」

「MI6の情報筋は番組に対し、『当局は、非主流派リパブリカンが拡大しており、支持を増やしていると懸念している。カダフィからの新たな現金で、さらに武器を補充し蓄えることもできよう』と述べた。」

番組はこういった最新状況のほか、70年代、80年代のリビアによるIRA支援についても振り返るとのこと。

英国にいらっしゃる方は、ITV 1で、26日(月)の午後10時30分からです。1時間番組。


http://www.itv.com/TVGuide/
Exposure: Gaddafi and the IRA
Today on ITV1 from 10:35pm to 11:35pm

Gaddafi gave the IRA enough weapons to turn a militia into an army. Exposure examines his support for republican terrorists and investigates the continuing danger of his legacy. SUB
Documentary Current Affairs

Also: at least one repeat.


番組のプレスリリース:
http://www.itv.com/presscentre/exposure/week39/default.html

中身がごっついものなら、後から「〜という番組があった」という形式で新聞などでも取り上げられると思います。今回、情報源がMI6だし……。



リビアとIRA (Provisionals) の関係については、これまでにも何度もクローズアップされている。例えば下記は、今年2月のBBC Northern Irelandの調査報道番組の抜粋のようだ。
http://www.youtube.com/watch?v=wMkygIYW2eM

この後、PIRAへの武器支援を現場でサポートしていたムーサ・クーサが、よりによってロンドンに亡命するということがあり:
http://en.wikipedia.org/wiki/Moussa_Koussa

一方で、リビアが積極的に支援していた時代のIRAをよく知っているはずのマーティン・マクギネスは――本人曰く、「1974年にはもうIRAは辞めていた」そうだが、そんなのを誰が信じるのか……――、現在、アイルランド共和国大統領候補として選挙運動をがんばっている。南北のボーダーをなくすために爆弾だの銃撃だのをやってきた人が、南北のボーダーを前提とした地位に就こうと運動している。

ははは。

英語でいう、interesting timesなんだけどさ(笑)。誰がっていうより、全体的に、何もかもが。
http://www.phrases.org.uk/meanings/may-you-live-in-interesting-times.html

まあ、実際、米ブッシュ政権での「テロとの戦い」の中ではムアンマル・カダフィとその息子たち、および政権はおそらく、米英の当局の「手の中のコマ」だったのだろうけど、その前、特に例の「養女ハナ」が「殺された」ことになっていた(でも、つい最近、トリポリが陥落してはっきりわかったのだが、現在も彼女は生存しているし、英国はビザ出してるし……)バブ・アル=アジジヤへの攻撃などのころは、カダフィは「反米・反英の雄」として、「敵の敵は味方」で、英国に対する武装闘争を挑んでいたIRAを手厚く支援していた。武器を与え、訓練場所を与え……。

そういった点、ちょっと見てみたら、こんなん出てきました。

※この記事は

2011年09月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 21:00 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。