「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2005年04月13日

「ロンドンのリシン事件」をコンテクストに位置づける 2

さっきの記事の続き。

さて、この「ロンドンのリシン」がUK外でどのような役割を果たしたかについては、とにもかくにも2003年2月、「イラク攻撃の決議」をめぐって英米が多数派工作を行なっていたときの国連安保理における、パウエル米国務長官(当時)のスピーチを。

http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,889461,00.htmlの4.37pmのパラグラフ:

Mr Powells says Baghdad has an agent in an al-Qaida linked terrorist group in northern Iraq that gave sanctuary to the group's members when they were driven from Afghanistan by the US military campaign. He says terrorists have been based in Baghdad for the last eight months coordinating operations in the Middle East and beyond. He names an "al-Qaida linked terrorist", Al-Zarqawi, who has colleagues in Chechnya who harbour ambitions to kill Russians with toxins and also in the UK poison cell that has manufactured ricin, he says.


最後の"UK poison cell"というのが、ウッドグリーンで逮捕されたアルジェリア人たち、「リシンを持っていたテロリストたち」です。

チェチェンの名も出てきますが、これについては、ざっとまとめると、2003年3月のイラク開戦の日にパリで「リシン」が見つかった、それはアルカイダとつながりのあるザルカウィとつながりのあるチェチェン独立派のものだということになっていたのですが、翌月の4月に、見つかった「リシン」はリシンではなく、まったく無害なものだった、ということが発表されています。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/2872359.stm
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/2940805.stm

むろん、このスピーチ自体は、現在は根拠なしだったということになっていると思います。

しかし2003年2月には、「世界に拡散しているアルカーイダのテロ・ネットワーク」の一例として、ロンドンでの「リシン」が根拠とされていたのです。

逮捕された人たちが果たして「リシン」を持っていたのかどうか、事実としての確認もされないうちに、それは「事実」となっていました。

今回、「被告に無罪判決」と伝えたglobalsecurity.orgの記事によると、警察の捜査に協力した科学者は、捜査から2日後に、当初現場で「検出」されたリシンの反応は「擬陽性だった」としています。

フラットから押収された“怪しい”物品は、茶色い粉の付着したコーヒーミル(<笑うところではありません)、ゴム手袋、アセトン(マニキュア除光液にも入っているもの)、洗剤類、漏斗など……そして、リシンの原料となる植物の種が22粒。

globalsecurity.orgの記事によると、これらが、彼らがリシンを「所持していた」ことを「事実」であるとして流通させる元になった、物証であるようです。

状況証拠としては、当時いろいろと書かれていたのですが、説明を書いている時間がありません。例えばBBCでricinで検索して2003年1月から3月の記事を読んでみてください。

※この記事は

2005年04月13日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 10:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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