「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2005年04月13日

「ロンドンのリシン」事件を覚えていますか?〜判決が出たという件について情報求む

ご記憶の方もおられると思うのですが、2003年1月にロンドンのウッドグリーンで家宅捜索・逮捕となった「アルジェリア人のグループがリシンを製造していた」件、先週、オールド・ベイリー(=刑事裁判所)で、無罪判決が出たそうです。

http://www.globalsecurity.org/org/nsn/nsn-050411.htm
4月11日付け。
ricin-gso.gif

が、この判決については、メディアでまったく報じられていません。

そこでどなたか、「ここ見たら載ってるかも」というソースがあれば教えてください。
14日以降にいきなりどかっと記事が出ました。この記事のコメント欄および当ウェブログ15日記事を参照。

Googleのウェブ検索、ニュース検索はやりました。BBCとガーディアンも検索しました。が、収穫ナシです。

Googleのウェブ検索では、上記globalsecurity.orgの記事を転載しているものは数件ありましたが、それ以外は、判決についての記事はありませんでした。(「逮捕」「起訴」の記事はありますが。)

どなたか、情報をご存知の方がいらしたら、コメント欄で教えてください。お願いいたします。(英語大歓迎、フランス語<ル・モンド程度の難易度も可、その他の欧州の言語もウェブ翻訳で何とかします。)

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追記;
the Guardian, Friday April 15, 2005
Howard pursues asylum and terror link

at 2005 年 04 月 15 日 16:55:08


'There should be an outpouring of rage'
英国の報道をまとめたもの。おそろしいほどに論点がずらされている。i.e.,「リシン無罪」ではなく「警官殺害で有罪」だけでまとめられている。

The politics of poison
> The overhyped ricin case has played straight into the hands of Howard and his asylum scaremongering

> The trial of police murderer and ricin plotter Kamel Bourgass ended in chaos as eight other Algerians were set free with no terrorist conspiracy found. After wild claims of a massive terror plot, finding out that Bourgass was a murderous but inept loner, whose ricin recipes were never tried, embarrassingly echoed the failure to find WMD in Iraq. But the Conservatives were more interested in the asylum implications. With triumphant glee the Mail splashed: "Murdered because we've lost control of our borders". Eight of the nine men were illegal immigrants and Michael Howard was quick in his press conference yesterday to claim that 250,000 people refused asylum have never been deported.

……以上、Friday 15 April 2005。

次はThursday 14 April 2005:
Terror trail that led from Algeria to London

The ricin ring that never was
> Yesterday's verdicts on five defendants and the dropping of charges against four others make clear there was no ricin ring.

... Was that "yesterday"? Instead of "last week" as the GlobalSecurity.org article had said on 11 April? -- Well, this must be something about "the dropping of charges", something formal law procedure.

Exaggerated threats
-- this is the guardian's leader.

Maybe I should take a look at other sites, such as BBC.

at 2005 年 04 月 15 日 17:10:51

※この記事は

2005年04月13日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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