kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年08月23日

「彼ら」が育った街、ウォルサムストウ(3)

かなり前のことになるが、8月12日付けの毎日新聞(ウェブ版)に、「英旅客機テロ未遂:容疑者の地元、困惑−−ロンドン北東部、落ち着いた住宅街」という記事が出ていた。(→魚拓

この記事では、ウォルサムストウのことを次のように説明している。
ウォルサムストウはロンドンの中心部から約10キロ離れたウォルサムフォレスト特別区の一角。同特別区は人口22万人のうち3分の2が白人で、パキスタンなどの南アジア系住民が15%、黒人が15%を占めている。

そして、記事にはだいたいの場所を示すことを目的とした小さめの地図が添えられている。(ちなみに「特別区」ってのは英語でBorough、大まかには、東京の23区の「区」と同様のものという理解でかまわない。)

walth-mainichi-map.png

だが、この地図・・・1度でもヒースローからロンドンに出入りしたことのある人なら、この地図のヒースローとバッキンガム・パレスの距離を見ただけで、「近すぎる」と思うはずだ。(成田ほどじゃないが、ヒースローは都心部からけっこう遠い。)つまり縮尺が大きい地図だということは、直感的にわかる。

でも、そういう予備知識のない人には、この地図はどう見えるだろう? あたかもウォルサムストウがバッキンガム・パレスからとても近いかのように見えてしまわないだろうか。

バッキンガム・パレスとウォルサムストウは、こんなに近くない。それどころか、ウォルサムストウはこんなにテムズに近くない。

ロンドンを知らない人がこの地図を見たときに、バッキンガム・パレスとウォルサムストウの間には、大英博物館もナショナル・ギャラリーもコヴェントガーデンも、そのほか有名な名所はほとんどすべて、さらにはシティも、フィンズベリー・パークやアーセナルのスタジアム(新旧両方)までもが入ってるということを、想像することができるだろうか?

以下はこんな小さな地図からそんな取り越し苦労をしている私による、この地図についての解説である。

記事(文章)に説明されているとおり、ウォルサムストウは「ロンドンの中心部から約10キロ」のところにある(直線距離で)。正確には「中心部」とはどこのことかというのもあるが(正式にはチャリング・クロスのはずだが)、手元の地図で見ると、ウォルサムストウとシティ(経済の中心地)は直線距離で約8キロ、シティとウエストミンスター(政治の中枢)が約2キロ、すなわちウエストミンスターからウォルサムストウは約10キロ。ちなみにウエストミンスターとバッキンガム・パレスの間は1キロくらい。

では「10キロ」とはどのくらいの距離であるのか。

まずは東京で見てみよう。新宿から直線距離で10キロといえば、東は浅草から押上のあたり、西は吉祥寺、北は赤羽だ(<地図)。・・・赤羽か、なるほど。

毎日新聞のロンドンの地図を東京に置き換えると、バッキンガム宮殿=新宿の都庁、ウォルサムストウ=赤羽、ヒースロー=羽田、という位置関係がけっこうしっくり来る。そのくらいの距離の感覚。

もっと感覚的にこれをつかむため、公共交通機関での所要時間を見てみよう。(参考までに、赤羽と羽田第一ターミナルは、60〜70分。)

Tube Journey Plannerで、Walthamstow Centralから、Heathrow Terminal 1, 2 & 3に行くというルートを検索する。乗換えは1回(Victoria LineからPiccadilly Line)、駅数は28駅、所要時間は69分と出た。やっぱりだいたい赤羽だ。

というわけで、ウォルサムストウは赤羽なんである。毎日新聞の地図は、そう思って見るべきなのだ。

ところで、なぜ毎日新聞の地図では距離感がつかみにくいのか。

結論から言えば、毎日新聞の地図はそれ自体が小さいわりに、「ロンドン」の範囲がでかすぎるのである。今回はヒースローが重要な場所であり、記事で「中心部からウォルサムストウ」の距離を書いているので、ヒースローと中心部(バッキンガム・パレスが「中心」かどうかは「?」だが)とウォルサムストウを含めた地図にした、という事情はわかる。小さなスペースで文字を読めるように収めるのも簡単ではないだろう。しかしそれにしても、もう少しリアルなものにならんのかね。

この地図がリアルに見えないという点で案外重要なのは、この地図のテムズの形が変ということだと私は思うのだが、これは私の持っているある意味「おたく」の感覚に基づいたことので、もうちょっと一般性のありそうなことを考えてみる。

毎日新聞の地図でのロンドンの外周部は、ロンドンを知ってる人ならすぐ気づくと思うが、「M25」という非常に大きな国道(というか高速道路)である。都心から地下鉄で1時間くらいかかるヒースローでさえも、M25の内側だ。

ただ、この道路の内側をGreater Londonとすることはおかしなことではない。むしろ、正式だ。

けれども、「M25」を「ロンドンの外周」とするのは、東京都全体を「東京」と呼ぶようなものだ。つまり、決して間違いではないし嘘でもないのだけれど、その場所についてあんまり知らない人にとっては紛らわしいものになりうる。(高尾山のことを「東京なのに豊かな自然」と説明するか「東京都内の豊かな自然」と説明するか、それぞれを、東京をほとんど知らない人はどう解釈するか。)

ましてや毎日新聞の紙面に掲載されたような小さな地図でこういう大きな縮尺のものを使うと、それぞれの地点の距離が縮まって見えすぎる。つまり、ヒースローとバッキンガムとウォルサムストウが、それぞれとても近いかのような印象を与えてしまう。

さらにもう1点。

実際に「(感覚上の)ロンドンの境界線」として普通に用いられるのは、「M25」というよりむしろ「ノース・サーキュラー・ロード」だ。(私は北のことしか実感としてはわからないが、南にも「サウス・サーキュラー・ロード」がある。)「ノース・サーキュラー」は正式には「A406」という幹線道路で、私の手元にあるLondon A to Zのような地図(CollinsのLondon Street Atlas)の範囲も、この幹線道路の内側だけだ。ちなみに私が持っているこの地図は、A to Zより少しだけ掲載範囲が広い(だからこれを購入した)。

一般的には、この幹線道路の内側と外側とで、東京の23区と市部のような分け方をする。(より正確な区分けとして、行政区に基づいたInner LondonとOuter Londonという区分けがあるが、ウォルサムストウは、その分け方をすれば、Outerになる。)

日常会話などでは、ノース・サーキュラーの内側は「ロンドン」で、その外は「アウター・ロンドン」と呼ばれることが頻繁だ。そしてウォルサムストウはノース・サーキュラーぎりぎりのところにある。これは東京の江戸川区を「ほとんど千葉」と呼んだり、練馬区を「ほとんど埼玉」と呼んだりするが、ウォルサムストウも「ほとんどアウター・ロンドン」である。

毎日新聞記事の地図でそれが伝わるだろうか。

だけど、これで人々の「印象」が左右される。この「地図」で。

というわけで、M25とA406を比較してみよう。下図、赤く塗ったのがM25、青く塗ったのがA406である。

■M25図:
walth-map2-m25.png
※Walthamstowの名前が書き込まれているが、実際に警察の捜査が行なわれたのはmの文字のあたりだと思う。
※ほんとはこの地図でA406を塗りたかったのだけど、あまりにごちゃごちゃしているので断念した。

■A406(North Circular Road)図(ただし南の部分はSouth Circular Road):
walth-map2-a406.png
※つまりM25の10キロ内側がA406。
※この地図でのウォルサムストウの位置は、Tottenhamの文字列のhamのあたり。(Tottenhamという文字列のすぐ下の「A503」というのはウォルサムストウの東西を貫く大通り、Forest Roadのこと。)
※ヒースロー空港は、この地図だと、左端のズームのスライドバーの下のほうで、スライドバーとM4が交差しているあたり。

あと、実際にはかなりどうでもいいことなのかもしれないけど、毎日新聞のこの地図、なーんでテムズがこんなまっすぐなの。

walth-mainichi-map.png

私は拙著の製作の過程でロンドンの地図から起こしたラフをいくつか描いたのだが、そのときに一番留意したのがテムズ川の曲がりくねり具合なのだ。曲がってなけりゃぁテムズじゃねぇ。2012年オリンピック招致委員会のロゴを見よ。今まさに、貴婦人の首にかけられようとしている真珠のネックレスのような、あの優美な曲線がなければテムズじゃない。(<ドックランズのあたりのこと。)

この地図に文字が入っていなかったら、少なくとも私は、これがロンドンの地図だと認識することすらできなかっただろう。

・・・とかってのも「文句ばっかり」だから、実際のロンドンの地図をWikipediaからお借りして、ウォルサムストウとヒースローと議事堂の位置関係を示してみました。(バッキンガム・パレスの位置は、こういう地図だと正確にわからないので、川沿いにある議事堂を目印にしています。)地図中、黄色に塗ったのがWaltham Forest区。その黄色の中の左下、「★」で示したのが、今回捜査が行なわれた地区です。濃い灰色で塗ったあたりが広義の「イーストエンド」のコアの部分(ここから東にかけての一帯がコックニーの本格的なエリア)で、ウォルサムストウはその一部に含まれます。

wal-londonmap.png
※この図はGNU Free Documentation Licenseで公開します。

あ、外側の輪郭が全然違うように見えるのは、毎日新聞記事の地図は道路が輪郭で、上の地図は行政区の境界線が輪郭だから。(念のため。)

※この記事は

2006年08月23日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 11:39 | Comment(2) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ああ、これはちょっとひどい地図です。

記事を書いている人は特派員なのか、このために来た人か、来て日が浅いのか、その辺りはよく分からないし、地図を書いたのがどんな人かもよく分からないんですが、AtoZをあまり見たことがないか、街の地理感覚を肌で感じるのが得意でない人なのかなあ、という印象を受けます。

私自身は神戸の人間ですが、よく東京にも行ったので「東京で言えば」の感覚、分かります(じゃあうちはどこになるんだ)。A406がなんとなく「山手線の内側」という感じでしょうか。あとZone2くらいかな。
京都で言う「洛中」でもあります ^_^
Posted by ぴこりん at 2006年08月24日 04:26
この地図、最初に見たときにすべてを通り越して爆笑してしまいました。

地図を作成した人はおそらくロンドンには行ったことはないでしょう。さらに、A to Zではなくて、道路がばーんと出ている大まかな地図(Google mapなどの)をトレースしたんじゃないかと思います。ドックランズがまっすぐになるなんて、あのあたりがごちゃごちゃっとしててわからない地図に基づいたとしか考えられない。(^^;)

> A406がなんとなく「山手線の内側」という感じでしょうか。

A406は東京だとたぶん「環八」ですね(環七よりは範囲が広いと思うのですが、どうでしょう)。環八の外だとアウター東京で、環八のすぐ内側(荻窪など)は「郊外」と呼ばれうる。

山手線は、Zone 1.5くらいでしょうか。Zone 2だと、東京の古くからある地下鉄の起終点(東西線の中野とか、浅草とか)の感じかなあと思います。
Posted by nofrills at 2006年08月24日 05:57

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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