kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年09月20日

「6ヵ月後の福島」を伝える英ガーディアン記事 (2)――「絵葉書のような光景」の中で

東日本大震災と福島第一原発の事故から半年となった9月、英ガーディアンの2本の重厚な記事の紹介の続き。ジャスティン・マッカリー記者の大熊町「一時帰宅」同行取材に続いて、前の日本特派員ジョナサン・ワッツ記者の「半年を経て」の長文記事。

Fukushima disaster: it's not over yet
Jonathan Watts
guardian.co.uk, Friday 9 September 2011 23.01 BST
http://www.guardian.co.uk/world/2011/sep/09/fukushima-japan-nuclear-disaster-aftermath

この記事に対するはてなブックマーク:
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.guardian.co.uk/world/2011/sep/09/fukushima-japan-nuclear-disaster-aftermath

記事の写真はジェレミー・スーテイラトさん(とお読みするのだと思う。フランス語話者)という、東京拠点のフォトグラファーの作品。写真家のサイトにギャラリーがあって、大判で見ることができる。
http://jsouteyrat.photoshelter.com/gallery/Japan-Fukushima-6-months-on-2011/G0000keaKPGQLyms/

90年代にガーディアンの日本特派員として仕事をしていたジョナサン・ワッツ記者は、3月の震災直後に大槌など被災地を取材して以降、たびたび取材を続けている。ゴールデン・ウィークのころに被災地入りして書かれた何本かの記事は、主に政局や東電の動向に関心が向けられていた「日々のニュース」では掬いきれない「市井の人々」のことを伝えていた。浪江町の酪農家、三瓶さんを取材した記事とビデオは、当ブログで以前紹介した(下記)。

2011年05月14日 福島県、浪江町の酪農家と福島第一原発
http://nofrills.seesaa.net/article/201064402.html

この記事の酪農家、三瓶さんご夫婦のお写真がジェレミー・スーテイラトさんのギャラリーにある。同じギャラリーには自民党の「さあ、福島からよくしよう!」なるポスター(町村元文部科学大臣と亀岡氏という人が弁士、というイベントのポスター)もある。その背景にあるひまわりは、除染の効果を期待されて植えられたものだが、その効果はないと数日前(この記事が出た後)に報じられた

なお、浪江の牛たちについては、その後、被災地の動物たちのレスキューと餌やりの活動をしておられる写真家の太田康介さんがアップデートしてくださっているのだが、太田さんのブログを私が英語で紹介したのもワッツ記者はツイッターで言及してくれている。

さて、9月の記事をワッツ記者は、日本特派員時代の友人である「レイコさん」から8年ぶりに連絡があった、と書き出している。レイコさんのメールは日本式に、時候のあいさつや身辺の出来事から書き始められ、「本文」の部分では彼女がいかに「不安」に苛まれているか、既存メディアがいかに「不信」に包まれているかが綴られていた、という内容だ。

その導入部に続けて、ワッツ記者は次のように述べている。
She urged me to return and report on the story. Five months on, that is what I have tried to do. Driving around Fukushima's contaminated cities, Iwate's devastated coastlines and talking to evacuees in Tokyo, I've rarely felt such responsibility in writing a story. Reiko and other Japanese friends seemed to be looking not only for coverage, but for an outsider's judgment on the big question weighing on their minds: is Japan still a safe country?

レイコさんは私に、日本に戻ってきてこのことを報じてほしいというのだった。それから5ヶ月、私がやろうとしてきたことはそれだ。福島の汚染された都市を、津波に破壊された岩手の沿岸地域を車で移動しながら、また東京で被災地を離れた人々と話をしながら、私は記事を書くということについて、これまでにまず感じたことのないような責任を感じた。レイコさんをはじめとする日本の友人たちは、ただ取り上げてほしいと言っているわけではなく、自分たちの頭を占めている大きな問いについて、外部の者の判断を求めてもいるようだった。つまり、日本はまだ、安全な国だろうか、という疑問だ。

ワッツ記者のこの長い記事は、「外部の者 an outsider」という立脚点から、透徹したまなざしを投げかけようとするものだ。悩みごとがあったとき、ただ状況を理解しようとしてくれる友人(「アドバイス」と称して自分の意見を押し付けてきたり、「そーなんだ、へー、でもでも、わたしなんかー、……」的に自分語りを始めたりする友人の対極)のように。

導入部に続き、3月11日の地震についてのファクトがコンパクトに提示される――「大きな揺れ、そしてそれによって引き起こされた津波(死者2万人)という2つの災害に、原発事故という第三の災害が加わった。3基の原子炉がメルトダウンし、チェルノブイリ以降発生した事故の中で最大量の放射性物質が環境中に放出された。あまりの事態に、今上天皇がテレビでメッセージ(おことば)を出すほどだった。天皇のメッセージが出ることなどそうあるものではなく、広島と長崎に原爆が投下されたあと、1945年8月に今上天皇の父親である昭和天皇がおこなった歴史的なスピーチ(玉音放送)との比較すら出たほどだ【注:"平成の玉音放送"と呼ばれたことを指している】。」

... Six months on, the emergency is over. But another disaster is becoming apparent: a psychological crisis of doubt and depression that could prove more destabilising than anything that came before.

The streets are clear of debris, reconstruction is under way and evacuees are moving out of shelters. But millions of people are having to readjust to levels of ionising radiation that were ? until March ? considered abnormal. This is not a one-off freak event, it is a shift in day-to-day life that changes the meaning of "ordinary". But quite how is hard to determine. Low-level radiation is an invisible threat that breaks DNA strands with results that do not become apparent for years or decades. Though the vast majority of people remain completely unaffected throughout their lives, others develop cancer. Not knowing who will be affected and when is deeply unsettling.

……それから6ヶ月。急を要する局面は過ぎた。しかし、また別の被災が明らかになりつつある。疑念と抑鬱という精神的危機だ。それは、これまでにあったものの何よりも深いところに食い込むものかもしれない。

町からは瓦礫が除去され、再建作業が進められており、被災者は避難所をあとにしつつある。しかし、数百万の人々が、3月までは異常と考えられていた放射線レベルに適応することを余儀なくされている。これは一度限りの例外的自称ではない。日々の生活における変化である。つまり「通常」の意味を変えるものだ。けれども、どのように、ということは非常にわかりづらい。低線量被曝はDNAを損傷する見えざる脅威だが、その結果は何年も、あるいは何十年も表面化しない。大半の人々は生涯ずっと影響を受けないままだが、ガンを発症する人々もいる。誰にいつ影響が出るのかがわからないということは、深い部分で、不安をかきたてる。

そして、以前こういうことがあった、として、1986年のチェルノブイリ事故に言及する。より正確には、WHOが「チェルノブイリ事故における最大の問題は、心的ストレスだ」と述べていること。ロシアで医師らが、人々は「情報によって害を加えられている」と述べたこと。「しかし」、とワッツ記者は続ける。「日本においては、人々は不確かさによって汚染されていると述べたほうがより正確だろう (it would be more accurate to say that people are contaminated by uncertainty)」。

このような導入部に続き、記者が福島や東京で人々に会って話をしたくだりが始まる。

「福島に取材に入った初日に、また大きな地震があった。日本の人々には物理的に揺れることには慣れていて、『無常』は日本文化に刻み込まれているが、この災害はそういうものではない。安全と衛生状態のよさと火を通さない食べ物で長く知られてきた国で、数百万という人々がいまや、小さなものではあるが終わる気配のない健康リスクと長期的な住環境汚染を受け入れるよう、要請されている状況だ。」

この6ヶ月、モニタの中で、リアル世界で見てきた「論争」の多くの部分の根は、結局ここだろう。「不測の事態が起こりました。もう元には戻りません。受け入れてください」という要請があり、それにどう応じるか、ということ。「受け入れられない。なぜならば……」、「受け入れてもよいが、その条件は……」という論拠・条件をめぐる意見の対立。その意見の前提となる「事実」自体が定まっていない。何もかもが不確かで、しかしその「要請」に対し、回答として用意されている選択肢は、基本的にYesしかない、ということだけは確かだ。Noと言いたいのなら自己責任で、費用もすべてご自身でどうぞ、というのが「国の方針」だ。そしてその「方針」のために、「事実」すら認められようとしない、というのが

かつて、まだパソコンが一般的ではなかったころ、いち早くMacを導入していたデザイン事務所の人が「使い方を覚えるためのゲームがあるのだが、"Quit? Yes or No" とあるべきところが、選択肢がYesしかない」と説明し、聞いているこちら側は笑いながらも「んじゃー私は紙とハサミのままでいい」とか、「そこで電源切ったらその高い機械は壊れて買い換え需要発生でメーカーうはうはか」とか言って爆笑していたものだ。少なくとも、その「機械」を使っていない(使う立場にない、使えるほどリッチでも最先端でもない)「わたしたち」には、それは「笑い事」だった。

放射能汚染をめぐる今の日本の状況で、それを「笑い事」にできる人は、おそらくいない。「心配のしすぎだ」と言う人はいるし、場合によっては誰かの「心配のしすぎ」を嘲笑などする人はいるだろうが、真の意味で「笑い事」にはできない。これは「不謹慎」とかいうレベルのことではなく、沖縄と離島は別として、この地震列島のどの場所も、全部で54基もある原子炉から完全に安全ではない、という現実を、誰もが認識しているからだ。(誰もが認識して、そしてそれぞれにその現実を解釈し、重み付けをおこなっている。)

ワッツ記者の「外部の者」の目は、この状況を次のように見ている。
In other countries, people might want to put more distance between themselves and the source of the radiation, but this is difficult on a crowded archipelago with a rigid job market. Thousands have fled nonetheless, but most people in the disaster area will have to stay and adjust. Doing so would be easier if there were clear guidance from scientists and politicians, but here, too, contemporary Japan seems particularly vulnerable. The country has just got its seventh prime minister in five years. Academia and the media have been tainted by the powerful influence of the nuclear industry. As a result, a notoriously conformist nation is suddenly unsure what to conform to.

"Individuals are being forced to make decisions about what is safe to eat and where is safe to live, because the government is not telling them ? Japanese people are not good at that," says Satoshi Takahashi, one of Japan's leading clinical psychologists. He predicts the mental fallout of the Fukushima meltdown will be worse than the physical impact.

Unlike an earthquake, he says, the survivors do not suffer post-traumatic stress symptoms of insomnia, shaking and flashbacks. Instead, the radiation "creates a slow, creeping, invisible pressure" that can lead to prolonged depression. "Some people say they want to die. Others become more dependent on alcohol. Many more complain of listlessness."

他の国であれば、人々は放射能の源から距離を取ろうとするかもしれない。だが、雇用が固定的で人口密度の高い列島ではこれは難しい。それでも数千人単位の退避者が出ているが、被災地の人々のほとんどは引っ越すこともできず、適応するしかない状況だ。その場合も、科学者や政治家から明確なガイダンスがあればまだ楽にそうできたかもしれないが、ここでもまた、現在の日本はとりわけ脆弱なようだ。総理大臣はこの5年間で7人目。専門家もメディアも、核産業の強い影響力に毒されている。その結果として、「お上に従う」気質で知られる国は、突然、何に対して順応すればよいのかがわからなくなっている。

「食べて安全なものはどれなのか、どこなら安全に暮らせるのか、政府がはっきり言わないので、個々人が決断することを余儀なくされています。日本人はそういうことが不得意です」と、臨床心理学で著名な高橋さとし氏【注:いわて震災医療支援ネットワーク本部長の岩手医科大学の高橋智准教授か?】は述べる。彼は、福島のメルトダウンの精神面への影響は、身体的な直接の影響より悪くなるだろうと考えている。

地震とは異なり、被災者たちは不眠、震え、フラッシュバックといったPTSDの症状に見舞われたりはしないのだ、と高橋氏は述べる。そのかわり、放射線は「低速で、じわじわくるような、見えない圧力を作り出し」、それがいつまでも続く欝を引き起こす可能性があるのだという。「死にたいと言う人もいます。酒の量が増える人もいます。多くの人が何もやる気がしないと訴えます。」

実際、この「先の見えなさ」の中で、「誰の言う通りにすればいいのかがわからない」ことと「集団」の心理(同調圧力を含め)が一緒になっている状態は、ぞっとしないものがある。

しかし、目に見えるところに津波がせまっているときでも「役場が指定した避難所はここだから」という理由で最初に避難した場所に留まって、結果的に津波にのまれてしまった、ということも報告されているわけで、これは批判とかではなく、人間の心理としてそういう「権威から大丈夫というお墨付きがあった」場合にどうなるか、ということで……つまり、取材者に見える「意見」の外側に、必ずしも可視化されてない「大丈夫」の層がある、ということも伝えられているわけで、「どうしてもお上に従いたい、権威に順応したい」という心理はたぶんとても強いんじゃないかとも思う。

記事ではこの後、高橋氏の述べた「欝」の状態を経験した人について書かれる。ますやまさちこさんは3月9日に、3人目の子の妊娠がわかった。自宅は福島第一原発から25キロ。「事故が起きて、彼女の生活はひっくりかえってしまった。最初は必死になって逃げたことで。それから、おなかの中で育っている胎児に対する放射線の影響について、どんどん心配が募ってきていることで。健診を受けるたびに、超音波エコーで胎児に何かが見つかるのではないかという不安でいっぱいになり、胎児の手足の指を何度も何度も数えてしまう。医師たちは心配ありませんよ、大丈夫ですよと言うが、11月に出産を迎えるまでは、あるいはもっと後になるまでは、確実なことはわからない。不安があまりに大きくて、彼女は中絶と自殺をも考えた。」

彼女は東京に避難してきているようだ。ワッツ記者とは東京で会って話をしている。「地元の友達は日本各地に散り散りになってしまっていて、胸の内を語る相手もいない。夫の家族は、政府も電力会社も安全だと言っているのだから、福島に戻って来いという。しかし彼女自身は政府や東電をもう信用できない。事故後の情報隠しが原因だ。」

こういう人が、いったい何人いることだろう。

それを思うたびに、「避難するストレスの大きさ」を大真面目に語り、避難しないことを勧める言説の政治性に、私は吐き気を覚える。この言説がタチが悪いのは、多くの場合、発言者がその政治性に無自覚なところだ(「よかれと思って」、「あなたのため」)。特に、「お姑さんがお嫁さんに言う」ような場合には、そこには上下関係が内包されていて、言われる側にはまったく逃げ場がない。

ますやまさんは出産する。2人の子供が被曝したからといって殺すことはしないのだから、おなかの中にいる子供も産むのだ、と語っている。戻りたくても、自宅のある南相馬は除染作業の真っ最中で、彼女は東京に留まることを決意した。孤独ではあるが、安全だからだ。「好き好んで東京にいるわけではないけれども、選ばなければならない。私たち日本人は誰かに従うのが楽だが、今回は、そうしていればいいとは思えなかった」と彼女はいう。

ここでワッツ記者は、「彼女は避難しなければならなかったのだろうか」として、福島(県)を取材して回ったときの様子を回想する。「災害やトラウマはほとんど見えなかった。都市部では、通りはスーツ姿のサラリーマンやOLで賑わっている。田園部では、田んぼで稲がたわわに実っている。遠景に山々が連なる中、抜けるような青空のもと、新幹線が快速で飛ばす光景は、まさに絵葉書の日本のようだ。」

つまり表面的には何も変わっていない。

これは、3月、4月の段階とは明らかに異なっている。まだ津波の水も引いていなかった時期、そこではいつも通りに桜が咲いていても、それは決して「絵葉書のよう」とは言われなかった。「こんなことになっても、それでも桜は咲くのですね」という述懐を、私はいくつの文脈で、何度目にし、耳にしたことだろう。そして、自分でもそう思いながら東京の町を歩いていただろう。

記者はこの、「いつもの夏」の「絵葉書のような光景」という表面の向こう、日常のディテールに入り込んだ「変化」に注目する。「多くの家族が、ガイガーカウンターを所有している。レンタルDVDチェーン店は、最新のハリウッドのヒット作と一緒にガイガーカウンターを貸し出すようになった。放射線量を下げるため、数百という学校の校庭にブルドーザーが入り、表土を50センチ削り取っている。地域新聞やテレビのニュースでは、細かく分けた区域ごとに、毎日の放射線量のお知らせをしている。」

記事はここで、写真を挟む。草地の中、ゼオライトの袋と、作務衣の男性……福島市のお寺さん、常円寺のご住職、阿部光裕さんだ。
http://www.oharu-zizo.jp/

植物(花)を植えることで土壌汚染がどのくらい浄化されるかを確認しようという活動を率先しておこなっておられることで、新聞などでも大きく報道されている方だ。
http://hananinegaiwo.jp/purification/index.htm
http://ameblo.jp/hananinegaiwo

記事の少し後のほうで、阿部さんの取り組みについて、がっつり紹介されている。

記事は続く。福島の様子。「この6ヶ月間ほぼずっと、毎日、毎日、心配になるニュースがひとつ、またひとつと続いてきた。7人の母乳からセシウムが検出された。市内でストロンチウムが出てきた。絶望した農家が自殺した、孤独に苛まれた被災者が自殺した、というニュース。汚染された牛肉がなぜか店頭に出回っている。秋に収穫される米は廃棄せざるを得ないかもしれない。」

こんな絵に描いたようなディストピアは、フィクションの中にしか存在しないと思ってきた。(現実のディストピアは、もっとわかりづらいと思っていた。)

8月末に閉所された郡山のビッグパレットの避難所を、ワッツ記者は訪れている。この施設、かっこいいなと思っていたら、伴茂の仕事、と。

記者が訪れたとき、既に残っている被災者は数少なくなっていた。施設内の廊下に取り付けられた電光掲示板に示される放射線量の数値は、0.1マイクロシーベルト。これが通常に戻るだろうかという問いに、ボランティアのてらしまみちおさんは嘆息で答えた。
"Normal no longer means what it did. The nuclear disaster didn't turn out to be the cataclysm we feared at first and many things are getting better, but they will never be the same again."

「通常といっても、もう以前とは意味が変わっちゃってますね。原発事故は、当初思っていたような破局はもたらさなかったし、もう多くのことが改善しつつあります。それでも、以前と同じになることは、もう絶対にない。」

これは、大友良英さん、遠藤ミチロウさんらのProject Fukushimaでも重ね重ね語られていたことだ。大友さんはブログに、それを「事実」として受け入れる、というとてもハードなことについて、何度か書かれている。9月11日のエントリもそうだ。
http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/20110911

震災から半年が経ちました。3月に日本中に降り注いだ放射能の状況が好転しているわけでは決してありません。この先僕ら日本在住の人間は、食品汚染等からくる内部被曝の問題に何十年も悩まされることになります。汚染が比較的高めの地域の住人は、除染を含む様々な対策で外部被曝リスクを少しでも防いでいかねばなりません。とりわけ福島の子供達の問題を最優先に考えるべきです。検査を含む被曝医療の体制を一刻も早く充実していく必要もあります。こういうことを書くと怖がらせて煽るな、風評被害につながるという意見がかならず出てきます。でも何度でも言います。風評被害というのは情報を全て開示し、受け取る側が正しい知識をもって冷静に判断するちからを身につけることでしか解決しません。実態を見せないようにするような方法では解決するどころか疑心暗鬼の中風評の事態は悪化するばかりですし実害がでかねません。ただ大丈夫、安全と言い続けることに説得力などないということです。ヒステリックにならずに正しく怖がることで少しでもリスクを回避するしか僕らの自衛策はないと思っています。日本にはセシウムゼロの世界などもう無い・・・わたしはそう思っています。だったら少しでも被害をださないように知識を身につけ現実をごまかざずに冷静に動く以外にない、そして、そうすることによって被害は最小限に防げるとわたしは考えてます。もし、こんな世界が嫌だと言うなら、そんな事故が今後二度と起こらないようにするのが大人の役目だし、子孫にこんな思いをさせないようにする努力をする・・・それがわたしの意見です。


以前は野菜の産地など、ほとんど気にしていなかった。大雑把に、あまり環境負荷の高そうなものは買わない(「高知のピーマン」や「北海道のじゃがいも」は買うが、わざわざ運んでくる必要もなさそうな野菜があまり遠くの産地だったりする場合は、買わないようにしていた)という程度だった。今は、表示を見て、納得をして買っている感じだ。茨城の青梗菜、埼玉の小松菜、岩手のきゅうり、千葉のねぎ、群馬のなす。福島の野菜は、会津のほうのなら買うけど、とスーパーで会った近所の人は言う。「でも結局、産地表示は、ね……」。数年前にうなぎ(の産地偽装)で大騒ぎになったことがありましたよね、と応じる。「そうそう、中国産のギョウザもね。あれはこわかったわねぇ……あらもうこんな時間、それじゃあ」

ふとした瞬間、うちら東京の者にとっては、そういう「日常」に、また一枚のレイヤーが加わったに過ぎないようにも感じられる。特に、「そんな危険なもの、食えるか」的な主張を見聞きした時は。

こうやって、慣れていくのだと思う。来年の今ごろ、誰かが例えば「きゅうりが福島産ばかりなので、今年はきゅうり食べてません。食べたいです!」などと述べている、ということはありうるのだろうか、とは思うけれども、しょせん、うちらは「選べる立場」にある。

野菜といえば、この記事にも「ナショナル麻布の表示」の写真がある。今読んでいるところの少し下だ。ベルペッパー(パプリカ)に店独自のNOTICE!!という表示と、なにやら証明書のようなものが添えられている(しかし1個280円って、すごい値段だ……うちのあたりだと128円とかかなあ。セールだと100円)。

私の見ていた範囲で、最初にこれが報告されたのは7月末、NYTのHirokoTabuchiさんの写真つきツイートだった。このときはルッコラの棚の写真。
http://yfrog.com/ki9ljtxj

大きい写真で見るとわかるが、ルッコラのNOTICE!!(放射能は未検出です)の表示の横に、いくつかの野菜の名前(光っているので読めない)と、「放射性ヨウ素」、「ヨウ素131」などの文字と、細かな数値のある表がある。この表、写真が半分で切れてしまっているのだが、「測定方法:科学技術庁放射線(切れている)」、「測定時間:1800秒」などの記載もある。私などは、自分の行く店での「福島県では検査をおこなっており、安全なものだけを出荷しています。福島県知事・佐藤雄平」というような、何のデータも伴っていない大雑把な表示と比べて、この「大使館職員御用達」のお値段のお高い食品スーパーではこんなデータが提供されていたのか、と感心したものだが、どうやら「ナショナル麻布」のこういう表示は、「噂」化して一人歩きしているらしい。

「東北産」、「岩手産」、「福島産」と言っている限りは、「秋田産」も「会津(福島)産」も同じように「汚染されている可能性があるから買えない」という状態が続いてしまいます。政府には関係なく前向きの態度を望みます。東京にある「外人向け」のスーパーはすべてベクレル表示がついています。外人は具体的な安全を求めているからで、誤魔化そうとしなければ表示は可能なのです。

(平成23年9月10日)
武田邦彦
http://takedanet.com/2011/09/post_d2fd.html

私はこの日本語を見たとき、「外人向けのスーパーは、(ナショナル麻布であれ六本木の明治屋であれ)すべて、ベクレル表示をしている」(=1軒でベクレル表示されてると、ベクレル表示をしてない店にはお客さんが来ない=「外人は具体的な安全を求めている」)のだと解釈したが、確かに、「外人向けのスーパーは、すべて(の品目に)ベクレル表示をしている」とも読める曖昧な文だ。

ナショナル麻布などでお買い物なさるのは、「外人」といってもハイパーブルジョワな大使館員や金融マンのような人たちだ。(円高がこんなにきつくなっていては、ドルやユーロ、ポンドで給料の出る人たちはきついだろうが……。)「平均的な買い物客」ではない。彼らは最大限選べる。そういう点を見過ごして一般化するような武田氏の書き方には、おおいに違和感がある。

そんなとき、「ベクレル量が明示されているという噂の、ナショナル麻布を覗きに行ってみよう!」として現地で確認してきてくれた人がいる。そのまとめが下記。
http://togetter.com/li/188253

まとめから:
結論として、ナショナル麻布はすべての生鮮食品にベクレル表示がされている訳ではない。一部出荷元が検査した過去の検査結果が張り出されている。ただ、地理に詳しくない外国人に親切な表示はされている、ということでした。
http://twitter.com/timbuk16/status/113937358759542785


ガーディアンの記事の写真には、次のようなキャプションが添えられている。
Supermarket signs declaring radiation safety. Many prefer to place their trust in imported foods.

放射能について安全を宣言するスーパーの表示。多くの人は輸入食品に信頼を置きたがっている。


※書きかけですがいったん中断

※この記事は

2011年09月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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