「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年09月15日

半年前の今日。

国連総会を前に「パレスチナ国家」のことがあちこちで大きな話題になっている。ガーディアンのトップページが記事の一覧みたいになっていた(大きな写真のある枠内で、右側の記事見出しをクリックすると読めます)。



でも私に見える範囲ではほとんど盛り上がっていない。アメリカがとかイスラエルがとかの話ではない。そんな「外国」の反応など、二の次。ここで「国家」の形式を求めている「パレスチナ」は、「パレスチナ人」のごくごく一部でしかない、ということだ。もっといえば、ファタハ(PA、「パレスチナ自治政府」)が国家を樹立したとしても、「アラブの春」で倒されたような腐敗した強権的な政権がまたあの地域に新たに出現するだけだから(それはウィキリークス後に、ウィキリークスとは別な経路でリークされた「パレスチナ・ペーパーズ」に明らかだった)、半年前の3月15日、「統一 Unity」を求めて行動を起こそうとした(そして、始まる前に弾圧された)パレスチナ人たちはスルーするか、反発するか、複雑な心境を示すか(「確かに在外公館にパレスチナの旗が掲げられるとうれしい。でも中身がファタハでは……」という心境)、積極的に否定している(エドワード・サイードなどを参照しつつ)。

一方、3月15日の自分のTwitterのログを見ると、都内でパンや牛乳が店頭になかったり、トイレットペーパーが買い占められていたりするのだが(近所の大手スーパーの棚は歯抜け状態で、100円スーパーの食品の棚は完全にすっからかんになっていた)、東北地方はまだまだそれどころではない状態で(ガス、水道はおろか、電気すらも復旧していない地域が多かった)、さらに余震や別の大地震があり……という一方で、パレスチナで「3月15日」のハッシュタグがあり、リビアは反カダフィ勢力がアジュダビヤを制し、そして……あの「えっ」。



そのシリア、どうなってるかというと……

14 September 2011 Last updated at 15:14 GMT
Syria unrest: Troops 'open fire in north-west'
http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-14918325

いや、ほんとげんなりしますわ、今日のBBC NewsのMiddle Eastのトップページ。



「敵機を撃墜した」と言いつつ実は友軍誤爆だったとか、「カダフィの息子の身柄を確保した」と事実無根の発言をして西側を安心させるなど、息を吐くように嘘をつき続けた、あの、どう見ても「信用」できそうにないリビアのNTCのトップ(The WhoのDon't Get Fooled Againの "a new boss" にしか見えない)は、西側とよろしくやって武器を手に入れようとしている(「対リビア」というくくりでの武器禁輸、これまでも有名無実だったことはジャーナリストらの報告から明らかなのだが、それの対象から「新政府」を外すということだろう)。

シリアはまた、新たなクラックダウンを行っている。

イランは、昨日いったん、スパイ容疑で有罪となった米国人2人について、ものすごい額の保釈金で身柄を解放すると大統領サイドから情報があったのだが、内政的にいろいろあるようで、それが何か撤回されたらしい。

イラクはまた治安当局に対する攻撃があった。

イエメンは内戦の危機にあると国連が警告を発している(いやー、イエメンは……)。

トルコはアラブ連盟で「人権重視!」と言い出し、「イスラエルの人権侵害に対抗する」というスタンスを明確にして、政治家というより一般の人々の拍手喝采を浴びている感じだが、自国の人権侵害やイラクへの越境攻撃(国際法的にどうよ)はスルー(つまりクルド人とクルディスタンについての問題)。それでも90年代までと比較すれば「人権状況は改善されている」と強弁するのだろう。下記にアラブ(の左派)から、またクルドからの反応の一部。
http://chirpstory.com/li/2520

英国は対イラン決議をとりつけようと動いているらしいが、トニー・ブレアは911から10年の節目のメディアでのインタビューでまだ「アルカイダよりも大きな脅威がある。イランだ」云々とぶっているらしい。このクソ男は、自身の不法行為についての調査(チルコット・インクワイアリ)の場での証言でも、「イランがいかに脅威であるか」の半分フィクションの演説をぶっていたくらいだ。理性のある大人としてではなく、「私は何も間違っていない」という信念を抱いている狂人として扱うべきだろう。
http://chirpstory.com/li/2537

そんなこんなで、英国のあの安っぽいアイドル歌謡というかコミックソングに、珍しいことにぴったりの活躍の場が。(失礼。でも本当に甘やかされていて頭が悪くて下品であることを売りにしている安さ、間違ったchav-popの薄汚さはいかんともしがたいので)

※この記事は

2011年09月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:40 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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