kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年08月18日

「裕福」? どこの何が?(ウォルサムストウ)

まずは資料。

the Index of Multiple Deprivation 2004より:

Beeston, Leeds LS11 ranked at 9,399 out of 32,482

Walthamstow, London E17 ranked at 5,745 out of 32,482

Leyton, London E10 ranked at 7,479 out of 32,482

これは、「小さければ小さいほどその地域がdeprivedである(貧しい)」ということを示す統計数値です。これら3地区のなかで最も貧しいのは、E17のウォルサムストウ、次がE10のレイトン、その次がLS11のビーストン、ということになります。

分布図を探したけれど見つからないので正確なところはわからないのですが、総数32000あまりの中で、ウォルサムストウとビーストンは3600ばかり離れているということは、けっこうな差があると考えてよいでしょう。言い換えれば、ビーストンと比べてウォルサムストウはかなり貧しい。

ちなみに、失業率(2001年センサスによる)は、ビーストンは3.8%、レイトンは5.6%、ウォルサムストウは4.3%となっています。

さて、ビーストン、ウォルサムストウ、レイトンというこれらの3つの地名は何であるか・・・ウォルサムストウとレイトン(ロンドン郊外)は、2006年8月に発覚した航空機爆破計画の容疑者たちが何人も住んでいるところです。ビーストン(リーズ郊外)は2005年7月7日のロンドンでの自爆の実行犯が住んでいたところです。

日本での報道によると、ウォルサムストウは裕福な移民が多いそうです。ビーストンは貧しい労働者街だそうです。

「裕福な」とか「貧しい」とかってのは、何なんですかね。

私はロンドンではハックニー(参考までに、the Index of Multiple Deprivation 2004で堂々の1位)やハリンゲイ(同、10位)にいたことがありますが、そういうところから見ると、カムデン(同、21位)に住んでるなんていわれると、「あらま、お大尽ね」とか思ったものです(主に家賃の問題ですが)。高級なエリアにお住まいの方から見れば、カムデンは「あたくし、あそこには住めませんわ」でしょうけれどね。

ま、堂々の1位のハックニーは絶対的に「貧しい」わけですから(何しろ小学校の前の歩道が陥没してても直す費用がないので放置という自治体、危険すぎ)、私がそこを基準にすること自体、ほんっとに意味がないんですが。

あとで別の記事でもっと詳しく書きます。

産経さんの「移民社会の『影』 英テロ未遂犯は裕福な2世」08/13 14:05にはトラバ送信。

なお、昨年のは東京新聞さんです。新聞の名前であれこれ判断しないようにね。

ちょっとだけネタを明かすと、ウォルサムストウについて「裕福な」と言われているのは、「移民のわりには裕福な」ということです。ビーストンについて「貧しい」と言われているのは、「全体的に見て貧しい」ということです。そうとしか考えられない。

※この記事は

2006年08月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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