「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年09月07日

ウィキリークスの終わり (4)

さて、また続きだ。前記事3本:
(1) http://nofrills.seesaa.net/article/224175599.html
(2) http://nofrills.seesaa.net/article/224233852.html
(3) http://nofrills.seesaa.net/article/224460458.html

(1)では情報が私のところにどういうふうに伝わってきたかを振り返った。(2)と(3)では、最も大きな出来事(暗号化ファイルについて)の当事者が、何があったのかを説明しているブログの内容を日本語で紹介した。この事態について、どれか1本だけ読むなら(2)だ。

この記事では、(1)で触れた、当事者ではない人による「ウィキリークスの終わり」という経緯まとめのブログを紹介し、また、もう一方の当事者であるガーディアンの主張を簡単に述べておく。これでこのシリーズは終わり。

ではまず、「ウィキリークスの終わり」というブログ。

September 02, 2011
The End of WikiLeaks
http://tomwatson.typepad.com/tom_watson/2011/09/the-end-of-wikileaks.html

ブログの主はトム・ワトソンさん。英国に「実証可能性」ということについて追究し、市民的自由や情報公開などについても活発に活動している同姓同名の議員がいるが別人。このブログのワトソンさんは、米国のメディア・コンサルタントで起業家でジャーナリストだ。Twitterでは @tomwatson.

私のところに彼のブログのURLが回ってきたのは、Twitter上での英国の法律家(メディア法)の人たち経由だった。

ワトソンさんは次のようにブログを書き出している。
Last fall when the news broke that WikiLeaks was in possession of a quarter million U.S. diplomatic cables, I wrote that the putative pro-transparency organization was in fact a detriment to a serious movement aimed at more openness in government. Mine was among the few voices on the left at the time to take this position, but I believed in my bones that WikiLeaks founder and leader Julian Assange was more interested in fame and power (and money, as it later turned out) than he was in a true democratization of government secrets and data. Further, I came to believe that the flamboyant and outspoken Assange was WikiLeaks - that his voice, his decisions, his direction, his personal politics, and his personality were fused permanently to the organization.

昨年の秋、ウィキリークス(WL)が25万点の米外交公電を入手したと報じられたとき、私は、透明性の確保を掲げているこのWLという組織は、実際には、より開かれた行政を目指す真剣な運動にとって不利益を与えるものだとの見解をものした。当時、このスタンスをとっていた人は左側には少なかったが、私は腹の底で、WL創設者でリーダーのジュリアン・アサンジは、政府の秘密とデータを真の意味で民主化することよりもむしろ、名声と権力(と、後に明らかになったように、カネ)に興味があるのだ、ということを確信していた。さらに、派手で言葉が先行するタイプのあのアサンジこそがWLなのだと、つまり彼の声、彼の決定、彼の方向性、彼の個人的な政治性、そして彼の人格がWLという組織にがっちりと組み合わされてしまっているのだということを、確信するようになった。

Finally, I asserted that openness by force in a democratic society without the consent or participation of the governed isn't really openness at all. "Wikileaks is resolutely anti-engagement, anti-development, anti-cooperation, and anti-peace, " I wrote last December. "And virulently to its very DNA, anti-democratic."

そして私は、民主主義の社会において、統治される側の同意もしくは参加のない形で、強制的にオープン化することは、実際には「オープン化」ではまったくないのだ、ということを主張した。昨年12月、私は次のように書いている。「WLは断固として、反・誓約、反・開発/発展、反・協力、反・平和である。そして、致命的なことにそのDNAそのものまで、反・民主的である」

この見方は、根本の部分では、ウィキリークスに対する「左側から」の批判としては、典型といってもよい。

典型的な「左側から」の批判とは、(「国家機密を暴くなど言語道断である」といった「右側から」の批判とは別で、)ジュリアン・アサンジという人物の「個人崇拝」を、サイドストーリーではなくメインのストーリーに据えてしまったWL(ウェブサイトの一番目立つところに貼られた「運営資金の寄付のお願い」のバナーに、WLという組織が行ってきた業績のシンボルではなく、ジュリアン・アサンジという人物の写真をフィーチャーする、など……同じようなことをウィキペディアのジミー・ウェールズがやったら、「うぜぇwww /Why oh why Jimmy Wales on fucking every page, WTF?!?!」の大合唱だったのだが)は、戦略として致命的な失敗をしているとか、根本的に何かを勘違いしているとか、遅かれ早かれ終わるとかいった批判だ。WLが標榜している「公開性」は、真の意味での「公開性」であるのかどうか、という問題がその中心にある。

9月2日のブログで、ワトソンさんは、2010年の段階でこのように述べていたことについて「この数日間の出来事で、それが完全に正しかったことが証明された」としながら、それについて「嬉しいことではない」と述べている。「本物になれていたかもしれないのに You see, WikiLeaks could have been a contender」と。

ワトソンさんの意見はとりあえずはここまでで、ブログはこの後、ソースを示しつつ、具体的に、何があったかを辿ってくれている(同時並行して起きていた出来事の一部だけれども)。当ブログでは以下、ワトソンさんの示してくれているソースを辿りつつ、何があったかを見ていくことにする。

まず、ワトソンさんの示すソースの1つ目。米国のMcClatchyというメディアの9月2日付の記事:
WikiLeaks makes all its U.S. diplomatic cables public
http://www.mcclatchydc.com/2011/09/02/122923/wikileaks-makes-all-its-us-diplomatic.html

ワシントン発のこの記事は、9月1日(木)に、ウィキリークスが「墨消し」のない状態の米外交公電を公開したことを報じるものだ。

この記事で参照されている @wikileaks のツイートは、今確認したところ、日本時間で2日午前10時19分に投稿されている。内容は――だんだん話が大袈裟になってきているのだが――「さて、アーカイヴを全公開して、45年分の米国の『外交』に光を当てるか」というものだ。



McClatchyのこの記事によると、米国時間1日午前、WLから記者らにステートメントがメールで送られている。アーカイヴ全公開を告知するそのステートメントで、WLは、「ガーディアンが2月に出した本に、昨年ネットで広く出回った情報すべてを格納している暗号化ファイルを開くためのパスワードが記載されている」と述べている、という。

# だからなぜ、半年も経ってから言うのか、と。それこそinjunction案件じゃんと思うのだけど。とにかくやってることが後付けで、しかもちぐはぐ。

そのステートメントには、「ガーディアンが秘密をばらしてしまったことは、この数ヶ月間、個々人の間でささやかれてきたことだが、先週遂にクリティカル・マスに達した」などとあるのだそうだ。以下、くだらないのでWLのステートメントのところは私は飛ばすので、興味がおありの方は原文をご参照いただきたい。どのくらいくだらないかというと、大袈裟にいうと、「アラブの春はわしが起こした」的な主張をしているらしい。くっだらねぇwww

私はチュニジアの人から直接(といってもオンラインでだが)、ウィキリークスが出した文書にあったようなことはチュニジアでは噂としては周知のことだった(ただしそれが客観的な証拠を伴っていたことはなかった)、という話を聞いている。エジプトのオマール・スレイマンという人物がアレだったことは、スレイマンを副大統領にするというごまかしの方策がホスニ・ムバラクから示された直後に、エジプトにいる人々からのツイートで流れてきた。WLは特にスレイマンが「イスラエルとつながっていた」ことを立証したとドヤ顔で今も言い立ててるが、別にWLがなくても……ねぇ。(というか、AJEでも「広場匿名くん」の解説にそういう話は出てきてたよなあ。)

しかもその「アラブの春」に関する最新の展開が、リビアでのひどい茶番劇の暴露――ムーサ・クーサ元内務大臣・元外務大臣が英国に亡命して数ヵ月後、ついに彼のオフィスから、リビアのカダフィ政権がほぼまるごと、CIAとMI6のアセットの状態だったことを示す証拠が次々と見つかっている――ということになっている段階で、そんなくだらない主張をしても、まったく意味がないと思うんだが。

ジュリアン・アサンジという人物は、自己顕示欲だけは強いが、実は彼の扱っている情報について、また「情勢」全般についてなど、何も読めない阿呆だということがここでも露呈した。というか、今、「アラブの春」を「ピープルパワーでオープン・ガバメント」みたいに賞讃だけしている人は、少しでもものを考えている人々の間では、まずいないだろう。チュニジアは「疲れ」が見えてきたところで失速したままのようだし、他方人々がずっと粘っているエジプトは、対イスラエル政策は少しは動くかもしれないが、根本的なところで、軍部の居座りを人々はどうすることもできない(そもそもそれをどうにかしなければならないというコンセンサスがない)上に、独立系労組などから見れば「イスラミスト」の動きが気になり始めた。イエメンはとんでもなくタフな独裁者(爆殺未遂があっても逃げようとしない)は倒れないし、そもそも最大の問題であったはずの米国の(非公式な形での)介入については多分何も変化なし。バーレーンは見捨てられ、レバノンやヨルダンやパレスチナ、KSAでは不発、シリアは恐ろしい状況が続いている。モロッコやモーリタニアがどうなったのか、もはや私も調べないとわからない。

で、仮にWLが「アラブの春」に決定的に重要な影響を及ぼしたというのが事実であったとして(笑止千万だが)、それと、例えばアジアのどこかで米国側に情報を流している個人の名前がバレて、その個人をめぐってさらに流血が起きることとは別の問題だ。

McClatchyが公開されたファイルを調べたところ、1900点の公電に米国務省とつながっていると公開されることが好ましくない個人名などが含まれているという。ある程度詳細なことは元記事に書いてあるので、それをご参照のほど。

で、WLが持っている25万点以上の公電の公開のペースについてだが、アサンジはだんだんイライラしてきていたことは明らかだ、と記事は伝えている。

「最初っからいきなり全部では、逆に誰も見ない」という問題を解決するために、NYTやガーディアンのようなメディアに「重み付け」をアウトソースしておいて、そのメディアの行動に疑問の余地があるからといって、または自身「透明性が絶対的に必要」と説きながら性犯罪で訴追されそうになっている人物が、その容疑について書かれたことで何か気に食わないことがあったからといって、それらのメディアを切り捨てて、自ら発表の経路を断ってもっと細い経路(英デイリー・テレグラフとか)を選択しておいて、よく言うよね、と思うのだけど、このMcClatchyの記事で興味深いのはここだ。
WikiLeaks, in partnership with a small group of U.S. and European news outlets, began making the cables public Nov. 28. Under that arrangement, WikiLeaks would only post cables after the news organizations had read them and removed from them any information that would identify people whose lives publication might endanger.

But that arrangement guaranteed that the release of the cables would be slow, and the number of published cables languished in the low four figures for months.

Assange brought in more media partners, including McClatchy Newspapers, and began partnerships with regional news organizations around the world in hopes of speeding publication. Still, by mid August, fewer than 10 percent of the cables had been made public.

"a small group of U.S. and European news outlets" とは、米NYT(Cablegateの前から決裂していた)、英ガーディアン(Cablegateの公開中にアサンジの下半身問題をめぐって決裂)、独シュピーゲル(DDBとつながってたら、ここもそろそろ決裂?)、仏ル・モンド、西エル・ペイスのことだろう。

Cablegateに際しては、実際かなり早い段階から、これら以外のメディアも、ちょこちょことWLから文書を入手しては報じていた。この記事を出しているマックラッチーもそういう「その他のメディア」のひとつだそうだが、かなり初期の段階から(昨年12月の段階から)、例えばオーストラリア関連の公電についてオーストラリアの新聞が伝えていたり、マレーシア関連のものをマレーシアのメディアが報じていたり、身近なところではこの5月に沖縄関連の公電について朝日新聞が伝えていたりしている。ガーディアンとWLの仲が割れたあとは、WLは英国ではデイリー・テレグラフと組んで英国の国防・軍事・安保関連のものをいくつか出していた(が、あんまり続かなかったね。元々、ガチ保守のDTとWLが合うわけもなく、アサンジとしてはガーディアンへのあてつけのつもりだったのだろう、と私は思っているけど)。

そういう「地域性」中心でのメディアの選定みたいなのはむしろどんどん活発にやっていいと思うのだが(そうじゃないと公開は進まない)、そういうのの外側にも公電が漏れているんではないかという話は前からあって、その一例がノルウェーのアフテンポステンの件だった。
http://nofrills.seesaa.net/article/176732881.html
http://togetter.com/li/81857

このアフテンポステンの件については、今に至るも、殆ど何も語られていないと思う。

さてMcClatchyの記事の先にいこう。

こういう「提携する少数のメディアと組んで、公電を公開する」というのが変化したのが、この8月の下旬のこと。この点は当ブログのこのシリーズの(1)にも書いてあるが、WLが独自に大量に公電を公開し、閲覧者にポイント解説してもらおう、という、Twitterのハッシュタグ #wlfind を用いたクラウドソーシングの試みが開始されたことを言う。このときに大量にアップされた公電はほとんどがunclassified(いかなるふうにも機密指定されていない)で、10日足らずの間に133,000点が新たに公開された。

一度にこれだけ大量に公開しておきながら、公表してはならない名前を消すという編集作業を行なうということが可能なのかどうか、という疑問が出てきたが、そのとき、ウィキリークスはファイルを全て公開した、と記事は結ばれている。

次。ワトソンさんの示すソースの2つ目はメディア業界新聞の記事だが、この中身は、英ガーディアン、米NYT、独シュピーゲル、仏ル・モンド、西エル・ペイスの連名のステートメントについての端的な説明。

これはステートメントそのものを読むべきなので、そのURLを示しておく:

WikiLeaks publishes full cache of unredacted cables
guardian.co.uk, Friday 2 September 2011 12.55 BST
http://www.guardian.co.uk/media/2011/sep/02/wikileaks-publishes-cache-unredacted-cables
"We deplore the decision of WikiLeaks to publish the unredacted state department cables, which may put sources at risk," the organisations said in a joint statement.

"Our previous dealings with WikiLeaks were on the clear basis that we would only publish cables which had been subjected to a thorough joint editing and clearance process. We will continue to defend our previous collaborative publishing endeavour. We cannot defend the needless publication of the complete data - indeed, we are united in condemning it.

"The decision to publish by Julian Assange was his, and his alone."

文面は他の媒体でも同じ。例としてシュピーゲルのURL:
http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,784048,00.html

かいつまんで言えば、「墨消しのない状態での公電の公開は、(米国務省の)情報源を危険にさらす可能性がある。共同でそれをクリアする作業を経てのみ公電を公開するとの前提でWLと取引をしてきたのであり、今回のような素のままのデータの公開はまったく弁護の余地がないものである。5媒体は一致してこれを非難する。アサンジが独断で公開すると決定したもので、意思決定に関わったのは彼だけだ(=5媒体はあずかり知らぬ話である)」という内容だ。

5媒体のこの共同声明と前後して(ガーディアンに掲載されているこの声明のページの、少し下のほうでも触れられているのだが)、「情報の自由な流れと情報源の安全確保がなければ、調査報道はありえない」としてWL支持を明示していた「国境なき記者団」が、「ブッシュ政権下での『テロとの戦争』において行われてきた人権侵害について、米国内外の人々に広く知らしめた」などとWLの業績を改めて讃えながら、これまでホスティングしてきたWLのミラーサイトを停止すると発表した。理由は、自分たちでは財政的にも人材的にも公電のチェックをすることはできず、情報源の安全確保に問題が生じる可能性があるが、これを見過ごして公開を続けることはできない、ということだ。
http://en.rsf.org/reporters-without-borders-01-09-2011,40905.html
(via journalism.co.uk)

で、アサンジが「ガーディアンがパスワード書いちゃったから」と責任転嫁をして公電全点の公開という暴挙に出る前、8月にまとめて13万点以上の公電を公開していたことは上に述べたとおりだが、その公電でもばれたらまずい固有名などが消されていなかったようだ。このRSFの記事にそういう事例が、あまり具体的にではないが国名程度までは、説明されている。見ただけで誰もが、「ああ、そのへんは、『情報屋』であることが周囲に突き止められてしまうとまずいでしょうね」と反応するであろう国名がいくつか挙げられている。

この「固有名の消去」をめぐる論争は、Cablegateの前から存在していた。2010年の春から夏にかけて連続で公開された、イラク戦争についての資料(「コラテラル・マーダー」のビデオと、イラク戦争ログ)とアフガニスタン戦争についての資料(アフガン戦争ログ)に、その問題があったのだ。

WL支持者がよく言うのは、「これまで一度だって、WLが原因で人が殺されるということがありましたか」という理屈だが、彼らの殆どは「英語にならない(翻訳されない)世界」があるということにあまり気づいていない。例え話だが、「イラク戦争の犠牲者数」を見るために、「イラク・ボディ・カウント」(英語圏の複数のメディアで報じられた死亡事例と死者数を調査し集め、「死者総数」を出しているサイト)を参照することに、まったく戸惑いを覚えないような人たちが、英語圏では多くいるのだ。

そういう根本的なflawがWLには常にあったのだが、それでも、私はその活動は、かなり消極的にかもしれないが、支持してきたことは当ブログに明らかな通りだ。

なお、8月大量公開分では、私は自分で見たのがダブリン大使館発のアイルランドの経済についてのもの2通と、88年のロンドン大使館発のIRAについてのもので、いずれも消さなければならないような名詞はなかったと思うが(IRAについては、英国ががっちり守っているものでなければ、もう固有名詞は出るだけ出ているし、大物スパイの名前もいろいろと判明している)、日本のある政治家についてのこの公電(といってもリンク先に公電そのものが読めるURLの紹介はないのだが)などは、本来なら「名前を消す」扱いがされていたのかもしれない、と、さっきお茶飲みながらふと思った。

……また長くなったので、いったん切る。この次でほんとに終わる。終わるからねっ!

※この記事は

2011年09月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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