「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年08月16日

【翻訳紹介】「あれは花火の音」と言って聞かされるそのおばあさんは、内戦を知っている。(レバノン)

以前、少しだけ日本語化したベイルートのZena el-Khalilさんのブログ(リンク先の下半分)から、停戦発効前後の3つの記事を、再度日本語化します。

ただ、前もってお断りしておきたいのですが、以下に私が日本語化したものだけを読んで、「大丈夫そうじゃん」などとは思わないでください。私が日本語化しているのは、全体のごく一部、それも明るいほうの記事だけです。

では、8月10日、11日、13日の記事です。

Thursday, August 10, 2006
原文:http://beirutupdate.blogspot.com/2006/08/1-month-anniversary.html
【ちょうど1ヶ月】

ちょうど1ヶ月となりました。

1ヶ月の間、レバノンには爆弾が落ち続けました。

1ヶ月の間に、私は50歳も年を取ってしまいました。

1ヶ月の間、私は毎日泣き続けました。

日が経つにつれ、ニュースは悪くなるばかり。気づけば私も落ち込んで、書くことすらままならず。

何度繰り返すことができるでしょう・・・「助けてください、イスラエルは一般市民を標的にしています、イスラエルは国を丸ごと吹き飛ばそうとしています、インフラがやられています、高速道路は全部やられています、道路も橋もやられています、食べ物も小麦の貯蔵庫も、ガスもガソリンの供給も、電話通信塔も、港も、みなやられています、病院は燃料がないので閉鎖していきます、国全体が真綿で首を絞められつつあります」と。

何度繰り返すことができるでしょう・・・イスラエル軍は食料や援助物資を積んだトラックを攻撃している、赤十字を攻撃していると、そして国連も。

何度言うことができるでしょう・・・流れ出た油が私たちの海洋や海岸の生物を壊滅させている、と。油はいまやシリアにまで広がっています。油を回収したあとでさえも、環境が再び安定するまでには6年はかかる。

何度言い続けることができるでしょう・・・飛行機の音はだんだん大きくなっている、と。爆弾の音はだんだん大きくなっている、と。

100万人以上の市民が家にいられなくなりました。
1000人以上の一般市民が殺されました。

何度言わなければならないのでしょう・・・私の国は少しずつ破壊されているのだと。私の暮らす都市では、居住地域丸ごとがもはや存在しなくなっている。家族全員が消えてしまっている。レバノン南部はひとつの火となっている。

1ヶ月の間、レバノンがむごい扱いを受けているのを私は見てきました。レバノンの市民が自宅の瓦礫の下でつぶされていきました。

爆弾で平和をつくることなど、できません。

1週間で、レバノンに燃料が入ってこなければ、マヤが通っている病院は閉鎖されます。化学療法を受けることができなくなります。あと数日でそうなってしまうかもしれない。

友人がある曲を送ってくれました。その曲は私の呪文のようになっています。もうダメだ、パニクる、と思うたびに、私はこの曲を大音量でかけます。そしてそれを聞いて笑うのです。電気がないときは自分で声を出して歌います。妹にも聞かせます。弟にも。犬たちにも、近所の人たちにも。こんなことを言うとは思ってもいなかったけど言います。楽しい音楽ばんざい。

その曲の歌詞を一部抜粋します。

why must our children play in the streets,
broken hearts and faded dreams,
peace and love to everyone that you meet,
don't you worry, it could be so sweet,
just look to the rainbow, you will see
sun will shine till eternity,
i've got so much love in my heart,
no-one can tear it apart,
yeah,

feel the love generation,
yeah, yeah, yeah,
feel the love generation,
c'mon c'mon c'mon c'mon yeah,

子供たちが通りで遊ばなければならないのはなぜか
失意と色あせた夢、
出会う人すべてに平和と愛を
心配しないで、きっと大丈夫、
虹をごらん、
太陽はいつまでも輝いている
わたしの心は愛にあふれているから
だれもそれを引き剥がすことはできないから


曲はBob SinclarのLove Generation。全曲の歌詞はこちら。YouTubeで見つけたものですが、こういう曲です:

Love Generation - BOB SINCLAR


最近よく聞く曲だなぁと思ったら、ワールドカップの決勝の試合直後にスタジアムでかかった曲だそうです。輸入盤店のCISCO RECORDDSさんのレビューによると、「BOB SINCLARによるNEW SINGLEは何とBob Marley Crewで御馴染みThe Wailers"Gary Pine"をボーカルにフューチャーした鬼ヤバイ1枚!! 夏を感じさせるアコースティックギターと口笛で奏でられるサウンドは要必聴!!」だとのことです。

文中に出てくる「マヤ」さんは、Zenaさんの親友で、ガンで闘病中。

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Friday, August 11, 2006
原文:http://beirutupdate.blogspot.com/2006/08/its-raining-bombs.html

【爆弾は雨のように】

昨晩数えていたら、少なくとも12回の爆発があった。大変な夜だった。いつまでもやっていた。私に聞こえたのは12回だけだったけれど、他の人たちは少なくとも18回だと言うし・・・とにかく、爆撃は続いていた。イスラエル軍はベイルートへの攻撃を拡大すると昨日発表したのだけど、実際にそういう行動が取られて、ベイルート中心部のエリアを攻撃した、という次第。

今日はなかなかネットにつながらない。電気はますます少なくなっていて、1日に2時間程度になっている。ガソリンもディーゼル燃料も不足してるから、発電機を動かしておくのが難しくなっている。

ベイルートではみな集合住宅に住んでいる。電気が不足すると、高齢の人たちは家を出入りするのが大変になる。出たはいいけど、12階まで階段で上らなければならず、途中で動けなくなる、なんてのはだれもが勘弁してほしいと言うだろう。

私の祖母の家は6階にある。いまはずっと寝ている。昨日・・・あれ、一昨日だったかな、会いに行った。元気だった。私は、おばあちゃん、外ではおばあちゃんが見るべきものは特にないから、存分にゆっくり寝ててね、だいたいものすごーーーく暑いし、と言った。どういうことになっているのかを祖母が把握していたかどうかはわからない。ニュースも見させてないし、爆弾の音は花火の音だと説明している。祖母は内戦のレバノンを経験しているから、爆弾の音はわかるはずだけど・・・祖母はたぶん、私たちを安心させておくために、私たちに付き合ってくれてるんだと思う。私が最初に絵を本気で描きたいと思ったきっかけが祖母だった。昔はよく祖母をモデルに絵を描いていた。

今日はいくつか用があった。そしたら途中で、1ヶ月以上会っていない友人とばったり。この何週間も通ってない道を車で通ったから。すっごい嬉しかった。こんなに単純なことでこんなに嬉しくなれるなんてね。

状況が悪化するにつれて、保健・衛生がひどい状態になってきている。ベイルートの街路は悪臭がたちこめている。でもベイルート市民は何とかこれに対処しようと尽力している。本当に多くの人たちが時間を割いて自主的に支援している。ゴミ回収作業の人たちもボランティア(人員)を新たに獲得している。

海に流れた油だけど、あれの回収を始めるには停戦は待っていられない、ということで私たちはついに結論を出した。油が私たちの海岸に流れ着いてからもう1ヶ月近くになる。とにかく海岸に行って、少なくともできることはしていかないと、というので、市民ボランティアやNGOをまとめる作業を私たちはずっと続けてきた。つまり海岸で油を砂からショベルで取り除けたり、湾や港から油を吸いだす機械を見つけたりしよう、と。でも身の安全が心配。イスラエル軍は一般市民も国連も赤十字も標的にしている・・・情け容赦なく吹き飛ばしている。自分たちが標的にならないと言い切れるかどうか? これについてはまた書きます。

ヒースローの(航空機)爆破計画についてのニュースは・・・何と言えばいいのかわからない・・・ひどいニュースで。こんなふうに生きていく必要なんてないはず。状況はこんなんじゃなくてもっとよいものになりえていたはず。もっとシンプルで。飛行機に乗れない人たちを見て、ここレバノンで家を出ざるを得なかった人たちを思い出す。みなさん、無事でありますように。


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Sunday, August 13, 2006
原文:http://beirutupdate.blogspot.com/2006/08/on-eve-of-ceasefire.html

【停戦前夜】

今朝はにこにこと笑いながら目を覚ました。夫が私の上に飛び乗って、私の顔じゅうにキスをして、戦争は終わるよ、と言った。国連が決議したんだ、これから状況はよくなっていく、と。私は眠りについてまだ2時間だったけれど、この1ヶ月なかったくらいに元気よく、ベッドから飛び出した。いい朝だった。

この週末、すべてが変わった。

何らかの形で、ある種の終わりを迎える方向にきていた。

停戦の前夜、私は複雑な思いでいた。

これが終わるということはありがたく思っている。

けれども、本当の仕事はまだこれから。生活や国やモラルを立て直せばいいというだけではない。すべての側が、ポジティヴな方向に向かって進んでいくということをしていかなければならない。

戦争は、人々のなかに憎しみを植えつけた。私たちは人間として、憎悪の悪循環に飲み込まれることのないよう、気持ちを固めねばならない。

私たちは、政治とは別の次元で、この美しい地球の市民として、話をしなければならない。

私たちは憎むために生まれたのではない。憎しみというものは、恐怖や暴力、抑圧や五回のようなものを通じて整えられるのだ。

常に恐怖の中で生きなければならないなどということは、あってはならない。常に暴力にさらされて生きなければならないなどということは、あってはならない。

ここしばらくは、暴力と恐怖が私たちの生活を支配していたようだ。テレビでもニュースでもとにかく暴力ばかり・・・でも、そのままにしておいちゃいけない。これは、自分たちの利己的な利益のために人が使うごまかしなのだから。本当の生活は恐怖ではなくて、愛。そのことを忘れないようにしなければ。

人生は美しい。若さというものの、尽きることのない可能性のようなもの。初めてのキスのようなもの・・・。

映画『マトリックス』の第3作を思い出す。この映画の最後のシーンで、ネオとトリニティはマシン・シティに入っていく。手を握り合って飛行機を飛ばしている。戦場のなか、愛がふたりを導いていく。そして飛行機は空高く上昇し、暗闇をあとにして、電気雲の中へ入り、生き残ろうと必死でがんばる。それから抜け出すと、ふたりの目に本当の姿の地球が飛び込んでくる。美しく、澄んだ空が映り、トリニティは「きれい」と言う。

私たちにも同じことができるのでは、と思う。

この1ヶ月で学んだことがあるとすれば、それは、生きるということはとても貴い、ということだ。1秒の間にでも人生・生活のすべてが変わりうる。ある日、私は作品をギャラリーの展示から外して、それぞれを新たな持ち主に発送する準備をしている。そしてその翌朝、空港が爆撃され、私たちは戦争状態にあった。そんなふうだったのだ。

今年の初め、私はまさにてんやわんやだった。5月にレバノンで初の個展を開くことになっていて、その準備で忙しかった。毎日スタジオにこもりっきりだった。同時に、6月に行なわれる展覧会のオーガナイズもしていて、それは21人のアーティストを集め、まる1ヶ月続き、関連イベントもあれこれあるという大きな企画だった。とにかくあれをやってはこれをやりで、どれも完成していない状態。自分にも、自分の周りの人(夫を含めて)にも、「7月には休暇を取るから。7月には昔みたいな生活に戻るから。7月になったら遊ぼうね。7月には海に行こうよ。いいかげん子供を作る決意もしちゃうかも。でも7月までは何もできない」と言い続けていた。

そして7月にどうなったかというと、あの通り。海にはこの先当分行けないと思う。少なくとも、数年は。

生きるということは、ほんとうに、貴い。


えと、わたし、『マトリックス』の3は見ていないので、上記訳文がとんちんかんなことになってるかもしれません。変だったらコメント欄でご指摘ください。

※Zena el-Khalilさんはアーティストで、参加しているxanadu*というアーティスト集団のサイトで詳しいプロフィールと作品を見ることができます。xanadu*はベイルートとニューヨークに拠点のあるコレクティヴで、ベイルート組の名前をぼーっと見てみるだけでも、「レバノン」について何かを感じることができるんじゃないかと思います。個人的には、Marie Joe RaidyさんStephanie Boueriさんの作品はぜひ見たいと思うし、Lena Merhejさんの絵を使った薄めのハードカバーの本があれば所有したいし、Karen KalouさんがFlickrやってたらcontactに入れさせていただきたいし、と思いました。Zena el-Khalilさんのは、こういう空間の作品を見せるには、あまりにも写真が小さすぎです。残念なことに。

※この記事は

2006年08月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | lives in war/Lebanon | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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