「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2011年09月04日

ウィキリークスの終わり

ウィキリークスが終わった。そもそも「報道機関」であったかどうかも疑わしいのだが、「報道する機関」としてのウィキリークスは、完全に終わった。熱心なサポはまだ支持し続けるだろうが、ウィキリークスという組織には、「報道する機関」として活動を継続するための正当性は、もう残されていない――ということが、トム・ワトソンさんという米国のブロガー(同姓同名の英国の政治家とは別人)によって説明された記事がある。8月末からの数日間、日本語圏でも少し報道されているが、一体何がどうなってこうなったのか、現状最も詳しく、なおかつすぐに読める分量で説明してくれている記事としては、トム・ワトソンさんのこれが秀逸だと思う。
http://tomwatson.typepad.com/tom_watson/2011/09/the-end-of-wikileaks.html

発端はこれだった。8月26日。


このツイートのリンク先は、www.freitag.deというドイツの新聞の記事(をGoogle翻訳にかけて英語にしたもの)である。いわく:
Security | 25.08.2011 07:00 | Steffen force
Leck bei Wikileaks (Leak at Wikileaks)

Wikileaks hat ein Sicherheitsproblem. (Wikileaks has a security problem.) Und das in viel größerem Umfang als bisher bekannt. (And much larger in scope than previously known.) Wie sicher sind Enthüllungsplattformen? (How safe are unveiling platforms?)

ただし正直、これを見たときには何が何やら、という感じで(そもそも私はドイツのメディアの記事を見せられても、「英メディア」としてデイリーメイル見せられて鵜呑みにしちゃう程度の弁別能力しかない)、まさかこんな大きな問題だとは思ってなかった。

少しさかのぼろう。

ここしばらく、またウィキリークス周りが騒々しかった。

ウィキリークス自体の活動は極めてローキーな形で継続されていたのだが(=公電の公開は続けられていた)、それが少し目立つような演出を加えられた(ということだと思うのだが)のがこの8月のことだった。

まず、(おそらく)どの新聞とも組まずにウィキリークスのサイトだけでかなり淡々と、米国務省の公電をある程度まとめて公開し(なお、これは後に問題となる「全部公開」とは別の公開だと思う……なんかもういろいろありすぎて把握できてないし、仕事でもないのに、こんなくだらないことを把握するために手間をかけるのも無理だ)、一般の人々がそれを読んで要点・注目点をツイートなどする、という「クラウドソーシング」の試みが行われた。Twitterでのハッシュタグは #wlfind, これはかなりの勢いで興味深い情報が集積された(さほど「興味深くない」ものもあったが、100人いれば視点は100通りだから)。この試みに興味がおありの方は、http://trunk.ly/wlfind/にまとまっているのでそれをご覧いただきたい。

このときの公開公電には、いかなるようにも「機密」指定されていないもの(unclassifiedのもの)が非常に多くあり、unclassifiedのものの多くは公電が書かれたそのときにリアルタイムで何らかの報道の元になっていたりすることが非常に多く、つまり多くの場合「既知」の事柄なのだが、現在えらい事態になっているリビアについての2000年代の外交公電など、特に「当時の報道」を覚えている人には非常にリアルなものだろう。(なお、ウィキリークスとは別に、リビア諜報省にHRWやTIMEなどのメディアが入って確保した資料があり、9月3日から4日にかけてその内容が明らかにされている。これは、WLが持ってる米外交公電よりもっとすごい内容。)

私も、7月下旬にダブリン大使館の公電がまとめてアップされていたのに今さら気づいて(見ている範囲の大手メディアが取り上げないので)、いくつか選んでざっと見てみた。ダブリンのほか、1988年のロンドン大使館の公電もあった(北アイルランド紛争、というかIRAの活動についての報告)。これについてはまた機会を改めて述べることとしたい。

なお、9月3日午後の時点で確認したところ、wikileaks.orgのページの左側にある「公電閲覧用ナビゲーション」のところのリンクがすべて――Browse by creation dateであろうがBrowse by originであろうがすべて――、下記キャプチャ画像の通り、9月1日付けのWikileaksの声明文(内容はデイヴィッド・リーおよびガーディアンに対する非難)へのリンクになっていて、私が閲覧したい公電は、ウィキリークスのトップページからリンクを辿って行って閲覧するということはできない(URL直打ちすれば見られるのだろうが)。



こんなことをやって、何が楽しいのだろう。何の為になり、誰の利益になるのだろう。ジュリアン・アサンジは楽しいだろうし、彼にとっての利益(自分の意見を広めるということ)にはなるだろう。しかし「公益」を掲げて活動し、それゆえ支援と支持を集め、認知されてきた「ウィキリークス」は、完全に終了だ。

閑話休題。で、8月下旬から上記のごとく「公電アップロード」の活動が始まったので、私はTwitterで @wikileaks のフォローを再開した。半年ほど前のことだったと思うが、このアカウントから流される「情報」が見事なまでに「メディアの悪口」と「陰謀論」と「挑発」ばかりになり、すっかりうんざりしてフォローを外していたのだ。(元々好きな書き手とかならそれでもフォローしていただろうが、あたしゃこのクソ男には心底うんざりで、なるべく見たくない。)

フォロー再開して数日間は、「今回公開した公電」についての事務的なツイート(例えば「ベネズエラについて○○件の公電があります」的なもの)や、ポイントを淡々と示したツイート(例えば「200X年に米国務省が某国大統領についてこのように考えていた」など)が流れてきていた。私のTweetDeckの画面内では、個人的にメインで追ってる大きなトピック(リビア情勢、シリア情勢など)の合間にウィキリークスのツイートが入ってきていて、ときどき見る程度のお付き合いとしては、なかなかいい感じだった。ジョン・マケインがカダフィに媚を売ってたとか、某国で公害(汚染)の実態がわかるとまずいので汚染の調査をしないことにしたとか、英語圏のメインストリーム・メディアで単独で記事になる話もいくつかあった。(いずれも、なかなか興味深い内容だった。)

しかしわずか数日で、またもや、ウィキリークスのアカウントから「悪口」と「陰謀論」と「挑発」が流れてくるようになった。「悪口」類の相手はガーディアンと、「元ナンバー2」のDDBこと、ダニエル・ドムシャイト=ベルク(先日、WLを抜けるときに持ち出した「リークされた文書」を勝手に破壊し、またCCCを追放されたことで話題となった)。

これだけなら「またか」であるし、ジュリアン・アサンジの「目立とう精神」(←「新人類」世代に懐かしい言い方をしてみた)の発露と考えられるし、おそらく今やってる #wlfind の宣伝効果を狙ったブラフだろう、組織を持たない個人のつながりとしての草の根メディアとしては、この程度の煽りはあるかなあ、という感じだったのだが、昨年からずっとフォローし続けている @Asher_Wolf など「ウィキリークス・サポ」の人たちのツイートも、ほんとに断片でしか追えていなかったのだけども、明らかに何かおかしい。そこで改めて注意を払ってみていたら、とんでもない展開に……。

まず8月30日、ウィキリークスの公開文書に、オーストラリアのテロ容疑者の名前がもろに出ていたことでオーストラリア政府が「信じがたいほど無責任な行ないである」と非難ということがBBCなどで報じられた。これまでガーディアンやNYTやシュピーゲルが絡んで公開されていた公電では墨塗り(伏せ字)になっていた固有名詞が、何らかの理由で墨塗りされていない状態で、公電が公開されている……? ちょっとよくわからなかったが、そういうことだ。何故?

そして9月1日……えっと、下記参照(キャプチャ画像内、記事見出しクリックできます):


ガーディアンでこれらの記事を書いているジェイムズ・ボールは、元々はウィキリークスの「中の人」(WLに雇われていたスタッフ)だ。講談社さんから翻訳がでているガーディアンの本の最初の章、本文が始まる前の、この本の最初の言葉の主が、彼だ。

ウィキリークス WikiLeaks  アサンジの戦争ウィキリークス WikiLeaks  アサンジの戦争
『ガーディアン』特命取材チーム デヴィッド・リー ルーク・ハーディング 月沢 李歌子

全貌ウィキリークス 日本人が知らないウィキリークス (新書y) ウィキリークスの内幕 ウィキリークスの衝撃 世界を揺るがす機密漏洩の正体 日本語訳ウィキリークス文書―流失アメリカ外交文書

by G-Tools


で、ジェイムズ・ボールの記事を読んでも、事態の全体像がつかめない。というか端的に、何があったのかがよくわからない。ガーディアンは当事者だし、ボールも当事者だ。それで説明の文章が「一度読んですっとわからない」場合、他のソースを当たらなければならない。

というより、私もろくに見てなかったんで、「えっ、ちょっと、何が起きた?」と泡食ってる状態でボールの連発記事(パニクりすぎw)を見たところで余計に混乱するばかりなのだが、さらにTwitterで @wikileaks とか @Asher_Wolf 方面から次々と矢が飛んでくる状態でますます混乱した。(あんまりウザいんで、その後、また @wikileaks のフォローは外した。)

この時点で把握していたことをツイッターのログから:

#wl_jp ジュリアン・アサンジ側「墨塗りしてない外交文書が大公開された件、悪いのはガーディアンだ。腹黒い記者が暗号解除PWを公開したのだ。当方は既に米国務省と話をしている」→ガーディアンとWLで交戦状態なう / BBC News -… http://htn.to/N1RF6E
posted at 21:39:52

#wl_jp ガーディアン側、「確かに例の本にはPWが記載されている。しかしアサンジはPWはすぐに失効し消去されると述べていた。しかも2月に本が出たときには何ら懸念は示されなかった。したがって今回の事態に本は関係していないと考えられる」 http://htn.to/N1RF6E
posted at 21:44:44

187頁ですね…この後、椅子から落ちる展開にw RT @Kodanshahonyaku:日本語版にもあった……RT @nofrills #wl_jp ガーディアン側「確かに例の本にはPWが記載されている。しかしアサンジはPWはすぐに失効… http://htn.to/N1RF6E
posted at 22:53:53

この「アサンジはPWはすぐに失効し消去されると述べていた」というガーディアンの説明について「それはない」とかいう反応が矢のように飛び交う私のTweetDeckの画面(アッシャー・ウルフらがツイートしたりRTしたりする)では、何が何なのかを追うことはほぼ不可能(しかもそれが「カダフィの演説を英訳してライブ・ツイートします」みたいなのと一緒に流れてくる)。しかも時間が経過するごとに、「ウィキリークスが最後の一線を超えた。もうどうやっても正当化できない」といった論調が、WLにあまりコミットしていない人たちから出てきて、「ガーディアンってバカなんじゃないの」という嘲笑を分かち合うWL支持者たちは、当方から見れば「必死だな」という感じ。

ヒマなときならにやにやして眺めているのだが。

いずれにせよ、ウィキリークスは終わった。完全に。

だってこうだもん。
Statement on the betrayal of WikiLeaks passwords by the Guardian.

GMT Wed Aug 31 22:27:48 2011 GMT

A Guardian journalist has, in a previously undetected act of gross negligence or malice, and in violation a signed security agreement with the Guardian's editor-in-chief Alan Rusbridger, disclosed top secret decryption passwords to the entire, unredacted, WikiLeaks Cablegate archive. We have already spoken to the State Department and commenced pre-litigation action. We will issue a formal statement in due course.

WIKILEAKS
http://www.twitlonger.com/show/cq0suv

ガーディアン本は、ざっと目を通しただけでもその「パスワード」のくだりは強烈に印象に残る。臨場感にあふれ、具体的で、手に汗を握るようなエピソードだ。しかし、本当に本物のPWを本に書いてたとは、まったく予想外。臨場感を出し、雰囲気を伝えるためのフレーズというか、「例文」だろうと思ってた。。。パスワードの内容はあまりにもベタ(ありがち)だし、その筋でレスペクトされている「スーパーハッカー」たるジュリアン・アサンジが重要な局面で使いそうなパスワードにはまったく見えなかった。何しろ、ファイルの中身ともろに関連するフレーズじゃないか。誰が本物と思うだろう。そういうときは全然意味のないランダムな文字列か、ファイルの中身と関係のない、個人的な、「ペットの名前」とか「おばあちゃんの得意料理」などを使った、誰にも「読めない」フレーズにしろってばっちゃんが言ってた。

てか、本出たのいつだよ、と突っ込まざるをえない。半年以上前だ。私が英語版と日本語版の両方を読んで読書メモをこのブログにアップしたのが2月23日だ。その間、パスワードのことは目立たせないようにするという意味でウィキリークスおよびジュリアン・アサンジが黙ってスルーしていた可能性はあるかもしれないが、なぜ今さらなのか。。

それ以前に、ウィキリークスは、というかジュリアン・アサンジは「情報は自由になりたがっている」と宣言してぶっかき回し、米国があまり大っぴらに世間に知られたくない情報を公開し、それが原因で米国防総省(アフガン戦争ログ、イラク戦争ログ)と国務省(ケーブルゲイト)をピリピリさせた。そこまでは別にいいとしよう。(議論はあるだろうが、元々、政府の情報は権力者が独占してよいものではない、と前提することにする。)

でもさ、あれだけ大袈裟に「俺は米国政府に狙われている」って騒ぎ立て、女の人にコンドームなし性行為・挿入を伴わない性的な行為を強要したとされる件をうやむやにしようとした奴(が中心の集団)が、「我々は米国務省と話をしている」だって。moralっていうかethicsとしても、logicとしても、終了。

先日の、DDBの体たらく(誰かが危険を冒してWLに持ち込んだ極秘データを消去した)にも呆れたが、これはそれ以下だと思う。

ジェイムズ・ボールが書いたガーディアン記事(の1本)に詳しいが、@wikileaksはTwitterで、ジャーナリズムの体裁をとるには最低限必要な処置(つまり、米国務省に情報を持ち込んでいる現地の「協力者/情報屋」などの名前を消す、という処置)をほどこしていない無修正のデータを公開すべきかどうかというアンケートを行っていた。

私は今、@wikileaksのアカウントをフォローしてはいてもログをさかのぼって見ることまではしていないから、たまたまオンラインのタイミングで遭遇しなければ彼(ら)が何をやっているかは把握できないのだが、上のほうに書いたように、ウィキリークス支持者のツイートやRTで「明らかに何かがおかしい」と感じたのは、おそらくその「アンケート」に関するものだったのだろう。私はウィキリークスによって公開される文書の中身には興味があるが、ウィキリークスそのものはどうでもいいし、そもそも熱心な支持者のツイート類がときどき「異様」になるのは仕様なのでいちいち注意は払わない。リビアのNTCが流す「ハミス・カダフィ死亡説」と同じく、「またか」扱いにしている。

しかし、その後の展開を見ると、あのときもっと注意を払っておけば、と思わなくもない。

……と、ここまで長々と書いて、それでもまだ全然本題に入れていない。

次のエントリでは本題に行きたい。

(本題とは、 http://nigelparry.com/news/guardian-david-leigh-cablegate.shtml のことである。)


※この記事は

2011年09月04日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 05:29 | TrackBack(1) | Wikileaks | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

ウィキリークスの終わり (2)
Excerpt: 日本語圏でも朝日新聞などが伝えていたころ、米国で下記のブログ記事がアップされた。書いたのはナイジェル・パリーさん。隠しディレクトリから問題のファイルを見つけたのはこの人だ。
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2011-09-04 16:00

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼