kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2006年08月15日

少年の瞳。

A boy on TV

A boy on TV A boy on TV

14日夜、NHK総合の「いま考える 2006夏 どうして人は戦争をするの?」で放映された、土井敏邦さんの取材フィルム(2003年)が映し出される、うちのテレビのモニタを撮影したもの。

この子については:
http://www.doi-toshikuni.net/mustapha/01.html


「〜の瞳」というフレーズで思い出されるのは、『二十四の瞳』だったりするかもしれないが、それじゃなくて、下記は『ユリシーズの瞳』についての中川敬さんの記事から引用。『ユリシーズの瞳』をつくった映画監督、テオ・アンゲロプロスのことばだ。

「どうすればいいのでしょう(笑)。わかりません。ただ言えるのは、もはやマス・ムーブメントの時代ではありません。今は各自が、自分に出来るほんの小さなことからやるべき時代です。例えば、私が自分の映画作品で出来るのは、自由に語ろうとすること。興味があることについて、私自身について、生きてきた国について。出来る限り誠実な方法で。そして誰かに……とくに若者に、考える可能性を与えることです。確かに小さな貢献ですが、私が望むのは、将来、世界中から集まったこれら小さな貢献のすべてが連帯し、一つの真の道となることです」


NHK総合の「いま考える 2006夏 どうして人は戦争をするの?」は、作家の石田衣良と女優の本上まなみとNHKの女性アナウンサー(失礼なことにお名前失念)の3人の「戦争を知らない大人」が、それぞれ海老名香葉子、張本勲、ちばてつやを取材した小学生3人とともに、それぞれの取材のフィルムとイラクのフィルムを見ながら、「戦争」について話をする、という内容だった。

私も戦争を知らない。日本は61年前を最後に「戦争」を直接戦っていない。

でも、私と同じ世代の英国人は、自国が戦場にならない「戦争」を知っている(フォークランドなど)。セルビア人やクロアチア人は自国が戦場となった「戦争」を知っている。イラン=イラク戦争のとき、私は小学生で、同級生のお父さんが石油関係の会社に勤めていて、イランから退避したりとかしていたのははっきり覚えているのだけれど、同じ年齢のイランやイラクの人たちは、もっと直接に経験している。ソマリアやルワンダでは、私と同じ年齢の人たちなら、家族や親戚、友人の誰も殺されていない、という人は皆無だろう。

NHKの番組中に、「この10年間の世界の紛争」の略地図が出てきていた。アフリカと西アジア、南アジア、東南アジアのそこかしこに「紛争」を示す炎の印がついていた。欧州では東のほうにまとまって――バルカン。

欧州の西部では、2箇所、炎があった――バスクと、北アイルランド。

タグ:人間

※この記事は

2006年08月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 00:33 | Comment(2) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
個人的には、あまり年の違わないアルゼンチンの友達が、「アルゼンチンの歴史は民政と軍政が交互だからね〜」「あのころは、よく人が『消えてた』しね〜」と、さらっと言っていたのが大変衝撃的でした。
あと、2002年に英国に語学遊学していたときに、アフガニスタンから来たという人の作ったカレーを味見させてもらったこととか・・・実に美味でした。

英国人のスエズ危機(古っ)やフォークランド戦争に対する考えというものも、全く戦争を知らずに語るのとは違う重みを感じるときがしばしばあります。
Posted by ぴこりん at 2006年08月15日 04:06
「あのころは、よく人が『消えてた』しね〜」とか言われたら、私ならその場に固まって張り付いたような笑みで反応するだろうなぁ・・・と思います。ははは。

イギリス、というかロンドンの場合、本当にいろんなところから人が来ているので、何というか、「お隣さんは政変で国を逃れた人」というのが珍しくもないんですよね。私も同じフラットにサラエヴォの人がいたことがあるし(旧ユーゴのあちこちの紛争真っ只中の時期に)、それ以前にキプロス人が大半を占める住宅街にいたこともあるし(ギリシア系もトルコ系も)、大家さんがワイマール共和国で自由を謳歌していたドイツのユダヤ人だったこともあるし。「イギリスは島国だから日本と似ている」とかいう「文化論もどき」はたくさん読んでいましたが、実はまるで違う、というのは、そのとき感じたことです。「白人」ばかりだとしても、アイリッシュはいるしジューイッシュはいるし、おじいちゃんはドイツ人という人もいるし、先祖は迫害されたユグノーとかで、「世界史の教科書か」という人もいるし。

アフガニスタンのカレー、おいしいですよね。東京の神田にアフガニスタン人のオーナー・シェフの経営するカブール食堂というお店があったのですが、残念なことに、先日閉店されたそうです。

スエズ危機は今年50周年ですね。イーデンとブレアを比較する新聞の論説をいくつか読んだと思います。英国がああいう「侵略の歴史」をどうとらえているかは、外部から、真剣に検討する価値のあることだと思いますが、日本では「スエズ危機」そのものが影うすくて。。。
Posted by nofrills at 2006年08月16日 22:37

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼