「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2006年05月18日

セルティックのユニとレンジャーズのユニ――Ballymena少年襲撃殺人(2)

おそらくこれまでに何人もの「Michael McIlveen(マイケル・マッカルヴィーン)」がいて、しかもそれは北アイルランドだけでなく世界の各地にいて、マイケルのように命まで奪われなくても精神が殺されているような人たちもたくさんいる。

そういうことは、知らされることがなければ、あるいは知ろうとしなければ、知ることもない。知ったとしても「元々対立していた」というような“わかりやすい説明”を貼り付けて終わらせようとすることもある。イラクについての「シーア派」と「スンニ派」とか、あるいは1994年のルワンダの「ツチ」と「フツ」とか。

そこでは人の集まりはどこまでも「集団」であって、個人個人ではない。「スンニ派によるシーア派を狙ったテロ」で「15人が死に30人が負傷した」、「両者はかくかくしかじかの理由で対立している」(あるいは「スンニ派はシーア派に対抗している」)と説明されて終わりだ。死んだ15人それぞれの個など、省みられることもない。それが「紛争」ってもの、その現れ方のひとつだと思う。

「紛争は終わった」ことになっても、その紛争のメンタリティは終わるわけじゃない。IRAが武器をおいて、ストーモントのアセンブリーが再開したからって、「プロテスタント」対「カトリック」のメンタリティは過去のものになっていない。「紛争」真っ只中を知らないはずの10代後半の子たちが、「カトリック」を襲撃する。

人が「人間」である前に、「カトリック」であるようなナンセンス。

17日、Ballymena(バリミーナ)でマイケル・マッカルヴィーンの葬儀があった。1000人近くが参列したという。BBC Newsの北アイルランドのページのトップに、その記事があった。

greenandblue.png

偶然だが、葬儀の記事の隣には、ベルファストの「伝説」の壁画がお目見えしたという小さな写真つきのヘッドラインがある。

記事:
'Sectarianism' victim is buried
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/4989800.stm

この写真を見て、「100%悲しい」というわけではない涙を禁じえなかった。

純白の棺を肩にになって先頭に立った、マイケルと同年代と思われる男の子2人は、ひとりは緑のシャツ、もうひとりは青のシャツである――セルティックとレンジャーズのユニ。(セルティックはアウェイ用。)

スコットランドのグラスゴウを拠点とするこの2つのクラブは、それぞれが「カトリック」と「プロテスタント」を代表するような存在である――というのは控え目な表現で、一部の(i.e.,「すべて」ではない)ファンの行動について具体的にいうと、セルティックはサポがアウェイではIRAの歌を歌うし、レンジャーズのサポはフェリーで「カトリックは撃ち殺せ」と歌って渡航禁止になったりする。(参照→ワールドサッカーダイジェスト1999年11月18日号の記事が紹介されているページ

つまり、対立する両者それぞれの象徴が、この緑と青のユニなのである。

その2種類のユニを着た男の子2人は、肩を組んで、殺された少年の棺を担っている。

ご遺族が、葬儀に参列するマイケルの友人たちにはセルティックなりレンジャーズなりのユニフォームを着て、地域一体ということを示してほしい(as a display of cross-community unity)と述べ、10代の子たちはそれぞれのユニを着て参列したのだそうだ。背中にはマイケルの愛称とRIPという文字がプリントされていた。(→この写真。)
http://www.guardian.co.uk/Northern_Ireland/Story/0,,1777148,00.html

「緑と青」の写真の提供元であるPAのサイトで関連写真一覧(→魚拓)を見ると、棺を担っているのは緑の子たちだけという場面もあり、実際に緑がほとんどだったとのことだが(上記ガーディアン参照:BBCニュースのストリームでは、「緑が10人のところに青1〜2人」という感じか。なぜかManUのユニの子もいた)、それでも、たった1枚の「緑と青」の写真がいかに力強いことか。

そこにうつされている「人間の表情」も含めて。

なお、殺されたマイケルがファンだったセルティックからは、ロイ・キーンが取りまとめ役になって、選手全員のサインを入れたユニフォームが贈られた

ウエストミンスターでSDLP党首のダーカン(UKの国会議員)は、「この状況にあって子供たちは同じ恐怖とショックを抱いている。そして希望を抱きたいと願っている」と述べた。

希望の代わりにプロパガンダを与えられたり、希望の代わりにいわば「偽の希望」(あらかじめ不正義を正当化する、不正義を前提として容認する、不正義をあきらめる、といったところから始まる希望)を与えられたりすると、「テロに走る」(私はこの表現を憎悪している)ことは簡単になる。

※これを書くに当たって私はBBCのストリーム放送で5分くらいのスポットを見たが、それは後から参照可能ではないので、以上はBBCやガーディアン、ベルテレの記事に拠ってまとめた。

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その(1)で事件の概要と政治家の動きを説明しています。

その(3)もあります

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追記@2006 年 05 月 19 日:

ユニフォームの意味(シンボリズム)
スラオさんにて:
http://www.sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/united_in_grief/

コメント欄必読。「セクタリアンな意味を背負ったグラスゴウのチームのユニは、そろそろやめにしないか?」という意見、「4〜5歳児でも『これは僕のシャツ』と認識しているんだから、やめるってのは非現実的」という意見など。

中でも:
Football teams and their shirts are only proxies, and as such are irrelevant.
(サッカーのチームとユニフォームは代理にすぎない。だから本質的なことではない。)
で始まるスティーヴンさんのコメント。

「他の人たちを受け入れないということが問題なのであり、サッカーのユニフォームを禁止したところで別の『マーカー(印:シンボル)』が出てくる。変えなきゃいけないのは自分たちだ、シャツじゃない。」

「どうやればそれができるのか、ずっと考えてきたけれどわからない。何かヒントがあるのではないかと、ここ以外の分断された場所について調べてもみたが、何も見つからない。分断を「治癒した」社会でさえも、北アイルランドにとって有益な教訓は与えてくれそうにない。まさに隔絶されてるのではないかと。」

先日、やはり北アイルランドで暴走する車に向かって警官が発砲し、運転していた男性が死亡、という事件がありました。男性がセルティックのシャツを着ていたので、たまたま近くにあったカトリックの教会の聖職者がlast ritesをした。しかし後から身元が判明してみると、その男性はプロテスタントだった。カトリックのエリアを通るので、襲撃されないように、セルティックのユニを着ていたのだそうです。

同様のことはほかにもいくつも報告されています(スラオさんの別記事=(3)でリンクしてる記事のコメント欄とか)。

※この記事は

2006年05月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:00 | Comment(0) | TrackBack(2) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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グラスゴー、Old Firmの「お歌」の応酬について――背景は北アイルランド紛争です。
Excerpt: Old Firmの試合で、レンジャースのサポが「じゃがいも飢饉は終わったんだから、アイルランド人は国に帰れ」という歌を歌いました。「サポ同士の応酬の歌」ではありません。明白に「排斥の歌」です。これ歌っ..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2008-09-17 10:35

2006年のバリミナ少年殺害事件のやり直し裁判で判決
Excerpt: あの事件のやり直し裁判の判決が出て、有罪の被告2人に量刑が宣告された。2人とも終身刑で、1人は仮釈放の考慮まで9年、もう1人は8年。既に2人とも収監されていたので、それぞれ3年半、2年で仮釈放申請がで..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2013-05-25 14:07

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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