「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2011年08月09日

ロンドンの暴動の拡大のペースがものすごい。

6日に北ロンドンのトッテナムからウッドグリーンで始まった「暴動」と「商店の略奪、放火」は、7日も別な区域で発生し、8日に爆発的に増えた。ブリクストン、ハックニー、ペッカムなど「ガラの悪い場所」だけでなく、クロイドン、クラッパム・ジャンクションなどでも大混乱となり、現地が9日に日付が変わる頃(日本時間9日午前8時すぎ)にはカムデンタウンが大変なことになっていて、同時にベイズウォーターやノッティングヒルといった「都心部(Zone 1)」も巻き込んでいたが、その頃には超高級エリアであるチェルシー(キングズ・ロード)での略奪の発生が報じられていた。



土曜日にこの事態が始まってから、全員が休暇に出かけているいる英国の政府トップ(内閣)は戻ってくる気配がなかったが、月曜日、テレサ・メイ内相が休暇を切り上げて帰国し、警察からのブリーフィングを経て記者会見を行った。その何時間もあとになって、混乱が「ロンドン全域」に拡大しているということが明らかになってから、ようやく、ロンドンのボリス・ジョンソン市長も休暇の切り上げを決断。さらにその後、デイヴィッド・キャメロン首相も休暇を早く切り上げて9日中に英国に戻ると表明した。

※書きかけ

※この記事は

2011年08月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 09:26 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。