kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年08月07日

北ロンドン、トッテナムの暴動と、そのきっかけとなった(らしい)男性射殺事件

北ロンドンがものすごいことになってしまった。正直、ショックだ。朝方、「速報」として第一報を書いた件だが。
http://nofrills.seesaa.net/article/218857395.html

現地からのツイートのまとめ(3ページ):
http://chirpstory.com/li/2160
http://chirpstory.com/li/2163
http://chirpstory.com/li/2164

結局のところ「警察ヒドス」っていう話に尽きると思うのだが、まあ、順を追って……。

その前に報道機関の様子。それぞれ、記事見出しクリックで記事に飛びます。







ロンドンの北(正確には北東方面)、ハリンゲイ区 (the borough of Haringey) の東のほう、トッテナム (Tottemham) のメインストリート、警察署前で6日、警察に対する抗議が行われた。

7日午後にNHKでも報じられたが(ただしこれ、NHKのサイトに記事が出た時点で既に、情報がとてつもなく古かった)、この抗議の理由は、2日前(4日、木曜日)に同地域で、マーク・ダッガン (Mark Duggan) という29歳の男性が警察に撃ち殺されたことだった。

実際、彼の死の状況ははっきりとはしておらず、警察の行動をチェックする機関 (the Independent Police Complaints Commission: IPCC) が調査を行うことになっているのだが、現時点で報道されているのは、ダッガンは拳銃を所持しており、身柄拘束の際に警官が1名、胸を撃たれた(が、ポケットに入れてあった無線機で命拾いした)ということ(→UPDATE: ただしこの無線機に当たった銃弾がダッガンの銃のものかどうかはまだ検証されていないとのこと)、ダッガンが発砲したので警察の側も発砲した、ということだ。このとき警察が彼を射殺するつもりだったのかどうかはわからない(どこに被弾したのかが書かれていないが、救急隊が蘇生措置を行ったということは、頭や心臓ではないだろう)。

トッテナムが荒れる前に出されたデイリー・メイルの記事(悔しいけどこれが詳しいので)を参照しつつ、もう少し細かい話をすると、ダッガンはトッテナムの“悪名高い”住宅地、Broadwater Farm Estateで「兄貴 elder」的な存在だったそうだ。

このエステートは1985年10月のトッテナム暴動の現場である。今もなお政府機関による「差別」の構造は完全には消えていないとはいえ、当時の警察による「人種差別」は今のそれよりずっとひどかった。偶然だが、Twitterで今回の暴動について追っていたら、「祖母が1985年に警察に殺された」というある人のツイートを、誰かがRTしているのを見たが、これが現実、四半世紀前に警察の暴力で引き起こされた流血と死は、コミュニティにとってリアルなものだ。今回どんな事情があったにせよ、容疑者を取り押さえる際に射殺してしまうという事件を引き起こしてしまった警察は、人々の間で共有されているそういう「近い」記憶に触れるだろうということは認識していてしかるべきだが、そういう「敏感さ」など期待できないのかもしれない。

ダッガン射殺事件について、現在明らかにされている事実関係を、まずはデイリー・メイルから。(プロパガンダかもしれないよ。)
An IPCC spokesman said that at around 6.15pm yesterday officers from Trident, accompanied by officers from the Specialist Firearms Command (CO19), stopped a minicab to carry out an arrest.

'Shots were fired and a 29-year-old man, who was a passenger in the cab, died at the scene,' he said.

The attempted arrest was part of a pre-planned operation under Trident.

It is believed that two shots were fired by a firearms officer, equipped with a Heckler & Koch MP5 carbine. A non-police issue handgun was recovered at the scene.

つまり、IPCCによると、ロンドン警察のトライデント作戦(銃犯罪対策)の警官と、CO19の警官とが、夕方6時15分ごろ、一台のミニキャブを停止させ、乗客の容疑者(ダッガン)を逮捕しようとした。その際、上に述べたように拳銃を所持していた容疑者が警官に発砲し、ヘッケラー&コッホのMP5カービン銃を持っていたCO19の警官が2発発砲した。現場からは警察のものではない拳銃が回収された。

現場には救急隊が出動し、撃たれた男の蘇生を試みたそうだが、だめだった(デイリー・メイルの記事の最初のほう)。

BBCの記事に埋め込まれている「地域事情に詳しい人」(トッテナム在住のライターで、ダッガンが銃殺された直後に現場近くを通りがかっている)のインタビューでは、「暴動になる前から警察に対する怒りは満ちていた」といったことが語られているが、そういった点、警察の側でもまったく踏まえていなかったわけではないようだ。関係者が次のように語っている。
One source said: ‘We can only hope that the backlash from the community is not severe - it is effectively a death in custody.’
「地域からのバックラッシュがあんまり激しくありませんように、としか……事実上、容疑者は拘束された状態で死亡したわけです」

http://www.dailymail.co.uk/news/article-2022670/Gangster-Mark-Duggan-shot-police-London-cab-shootout.html#ixzz1UKnpm1Mp

つまり、車の座席(ミニキャブ=普通の乗用車)の中でろくに動きの取れない状態で、複数の警官とやりあって射殺された、ということは「警察の拘束下で死亡した」に等しい、と。

さて、この29歳のマーク・ダッガンという容疑者、長くともにしているガールフレンドがいて、4人の子の父親だった。近所の人は「いいお父さんだった」と語っている。
Jay Crowned, 39, who lives locally, said Mr Duggan had four children - three girls and one boy - and described him as 'a good daddy'.

She added: 'The whole family is devastated. Mark was a local boy who was loved by the community.

'He's not a troublemaker but he's been down since his friend was stabbed in Mile End in around April this year.

'His friend was like a brother and he lost him brutally, since then he's been really down. He's never had trouble with the police before.'

「家族全員がもうどうしようもないくらい悲しんでいます。マークは地域社会全体に愛された、地元の子です。何かとことを構えるような子ではなかったんですが、この4月ごろにマイルエンドで友達が刺殺されてからは、沈んでいました。兄弟みたいな存在でしたから、あんなふうに失ってしまって、本当に落ち込んでいました。その前は警察とは何ら問題は起こしていません」

Read more: http://www.dailymail.co.uk/news/article-2022670/Gangster-Mark-Duggan-shot-police-London-cab-shootout.html#ixzz1UKpGfNpd

あと、メイルの記事によると、警察の発砲の前に警告があったという目撃証言があるそうだが、それは別個に検証されねばならない。例えば、2005年7月の地下鉄駅での人違い射殺事件では、電車に乗っていた被害者を警官らはいきなり組み伏せ、押さえつけて、警告もなく、頭を何度も撃った、ということが後から明らかになった。(事件当初は「警告があった」云々の怪しげな「目撃者証言」がBBCで語られていた。)

警告云々についてはイヴニング・スタンダードに引用されている目撃証言でも語られてはいるが、こちらはずいぶんとトーンが異なる。
http://www.thisislondon.co.uk/standard/article-23975846-man-shot-dead-by-police-in-tottenham.do
However, a 20-year-old witness, who works nearby but did not want to be named, said: "I was coming home from work when I saw it all happening in front of my eyes.

"I came around the corner and saw about six unmarked police cars cornering a people carrier near a bus stop.

"I heard the police shout something like 'Don't move' and I saw them drag the driver out of the car. I don't know if they dragged the other guy out in the passenger seat. He was the one who got shot - the passenger.

"About three or four police officers had both men pinned on the ground at gunpoint. They were really big guns and then I heard four loud shots. The police shot him on the floor."

つまり、「警察が『動くな』か何か大声で言う声がした。車から運転手が引きずり出されていた。助手席にいたもう1人を外に出したかどうかはわからない。その人が撃たれた。警官は3人か4人いて、銃を突きつけて男の人2人を地面に組み伏せていた。大きな銃で、銃声は4発(注:これはほかの目撃者証言とも一致)。警察は組み伏せた状態でその人を撃った」。……組み伏せられた状態(うつぶせだろう)では発砲はできなかろう。

というか、状況がどうであれ、これはほとんど弁護の余地なくshoot to killだろう。

で、ダッガン射殺事件、私は発生時に記事を読んでいた。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20110805#bookmark-53762526

ブクマしてあるのはBBCの記事だけだが、ほかのメディアの記事(たぶんPAの配信か、ガーディアンの取材)も目は通していて、「また『容疑者を射殺』したのか」とため息をついたことは覚えている。あと、初期段階では詳細がわからず、過日のヴィクトリアのほうでの弁護士射殺事件のように、やけを起こして立てこもった容疑者(ほぼ『狼たちの午後』状態)と警察の前のめりな対応の事例かもしれない、と思っていた。

で、まあ、土曜日にトッテナムが暴動になった文脈としては、地域の人が警察に射殺されるということがあったので人々が警察署で平和的抗議行動を行っていたが(BBC記事に「WHY?」とマジックペンで書いた画用紙を掲げる若者の姿などがある。「プロ」の組織した抗議ではなく、本当に地域の人たちの抗議行動だろう)、決まり文句を使うと「一部が暴徒化」し、警察への抗議とは関係のない方面、つまり商店の略奪や放火へと拡大した、ということになる。

警察への不信感を背景とした「やい、こら、この警察! 俺らをマトモに扱え!」という衝動と主張での暴動は、ベルファストなどでかなり頻繁に起きているが、そういう「政治的目的」での暴動の場合、車やゴミ箱などを燃やすことはあっても、商店に放火したり略奪したりはしない。地域の人々の支持を得られなければ元も子もないからだ。

しかし今回のトッテナム暴動では、「警察署の前で車が燃えている」という報告があってから、最初に「略奪」が報告されるまで、1時間あったかどうか……。
http://chirpstory.com/li/2160

略奪・放火にあった商店は、電気店、携帯電話ショップやゲームショップ、大手チェーンのスポーツ用品店など10〜20代男子に人気の(&転売すれば現金化できる)商品の専門店から、個人商店、果ては激安スーパーALDIまで……。さらにはカーペットの専門店も放火され、焼け落ちた(ガーディアンのギャラリーの1枚目の写真)。

カーペットの店 (Carpetright) はここ。1930年の建物。もったいない。

大きな地図で見る

大通りの郵便局も全焼。ダブルデッカー・バスも燃やされて、原形を留めぬほどに溶けてしまった。むろん警察の車や建物は火炎瓶を投げつけられて炎上。取材にかけつけた記者が路上に警察の書類が散乱しているのを見たという報告もあった。

ある人の反応:


その後、いったんはトッテナムの大通りに警察の車両と騎馬警察が出動して事態は収まったかに見え、現地で日付が変わって1時間ほど経過したころには、取材に出ていたジャーナリストも「じゃー、帰宅します」とツイートしていたのだが、それで収まらなかった。(いったん帰宅したジャーナリストも再出動とか、過酷すぎる。)現地2時半とか3時とかいう時間帯に、暴動は隣接するウッドグリーン (Wood Green) に飛び火した。

かつて「リシン」騒動でニュースになったことのあるウッド・グリーンには、昔からの商店街と、大規模なショッピングセンター(80年代からあったものだが数年前に拡張された)がある。ここはその駅の利用者だけでなく、15分くらいバスに乗って買い物とか映画に来るという人たちも多く、近隣のエリアの人たちがちょっと足を伸ばして服飾品や雑貨などを買いに来る、という町で、近代的な商業地区として計画されている。トッテナムの暴動の発端となったあたりからは2キロくらいか。歩いて30分(ロンドナーなら徒歩圏内)、車持ってれば5分か10分だ。

で、トッテナムで個人商店やチェーンのスポーツ用品店の略奪が発生しているのだから、近隣の商業地区も道路封鎖するなりして警察が守ってると想定するのは別に不自然なことではないと思うのだが、実際には、ウッドグリーンには警察はまったく出ていなかった。

信じられない。略奪が発生しているのに、最大の商業地区は放置ですか。サッカーに譬えればゴール前ガラ空き。ディフェンダーがひとりもいない。(あっ、うちか!)

ロンドンの中心部でデモをやるときには、「一部の暴徒化」を初めから警戒してがっちがちに固めるくせに、庶民のエリアでは――ちょっと油断して留守にすれば、ひとりで運べる家財道具一式、空き巣に持ってかれるようなところで――「デモ」どころかかなり組織的な略奪が発生していると思われるときにも、まったく無防備のままにしておくと。

実際、トッテナムとウッドグリーンをまっすぐ結ぶ道路が警察によって封鎖されたと報告されたのは、ウッドグリーンでの略奪がかなりなことになっていると報告された後だった。道路の封鎖を報告した記者はその後、ウッドグリーンの中心のほうに行って、警察がいないことを伝えていた。

信じがたい話だが、実はロンドン警察は今トップが不在だ。先日の、News Internationalの盗聴スキャンダルに端を発した疑惑追及の中で警察が腐敗していたことが露呈し、総監が辞職してしまった。後任はまだ決まっていない。(暴動&セクタリアニズム慣れした元PSNI総監サー・ヒュー・オードで決まるかもしれんね、ほんとに)

……という具合で、そもそも発端がshoot to killの可能性が疑われる容疑者射殺事件で、「抗議行動」が「暴動」になり「略奪」が発生してからも警察は考えられる事態に対して策を講じなかった、というあまりにぐだぐだな状態。


で、トッテナムには歴史的な経緯もあるのでそれも説明しなければならないのだが、また記事を改めることにする。

※この記事は

2011年08月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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