「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年08月07日

【速報】トッテナム・イズ・バーニング(ロンドン) #tottenham

Twitterで @DavidAllenGreen のツイートとRTで気づいた。ロンドンのトッテナムの大通り(トッテナム・ハイ・ロード)が大荒れ。警察の車が燃やされている。現時点(日本時間7日朝8時過ぎ)、事態はどんどんエスカレートしている様子。(なかなかニュースにはならないので、詳しくはTwitterで見てたほうがいい。)



Twitterでの第一報(と思われるもの)からしばらくのログ:
http://chirpstory.com/li/2160

あとはしばらくTwitterで。
http://www.twitter.com/nofrills

Twilogのほうが見やすいです。05:20以降。


※なお、原因や背景などは http://chirpstory.com/li/2160 を見ていただければわかるのですが、短絡する人がいるといけないので念のため強調しておくと、サッカーとは関係ありません。フーリガン暴動ではありません。木曜日に警察が容疑者を射殺するという事件があり、その事件現場が1985年の暴動のきっかけとなった類似の事件の起きたエステート(団地)で、警察に対する抗議行動(詳細はまだ私は把握していません)があったようです。

場所は:

大きな地図で見る

ピン立てたところがトッテナム警察署で、そこが暴動エリアの中心。周囲の商店が燃やされ、略奪されるなどもしています。

で、私は視聴してなかったのでさっぱりわからないのだけど、BBC(テレビなのかラジオなのかもわからない)で「民族的多様性がどうのこうの」とか「ジューイッシュが」といった話が出てきていたらしい。何その古典的な枠組みは、という感じなんだけど、トッテナムといえばすぐ南側にハシディクさんたち(服装や髪型から、伝統を守るユダヤ教徒の人々。普段使う言語も違う)の町、スタムフォード・ヒルがあり、その南はストークニューイントン、ドルストン……(アフロ・カリビアンのエリア)、というふうになっているので、その話だろうとは思う。

でもすごい無理やりな感触も。かつて、リーズ近郊のビーストンについて、日本のメディアが「貧しい移民が……」という前提で語ろうとし、映像が「こぎれいな前庭のある、悪くない暮らし向きの住宅街」で、「結論ありきで無理やり作ってるなあ」という印象だったことがあるのだけれど、それに近い感じ。

→追記:
ハシディクの件、BBCに映像がアップされてからわかった。ハシディクの人たちが夜のストリートを団体で……目を疑う。あと、BBCニュースの解説が、現代の銃犯罪(ギャング)と同時に、「人種暴動 race riots」(80年代の)にさかんに言及している。下記が現地午前2時(日本時間10時)の定時ニュース。6分5秒くらいのところから数秒間と、6分台の終わりのほうにハシディクさんたち。
http://www.youtube.com/watch?v=v8RaCNq_ucg
←追記、ここまで

こんなのもあるし:
HOLD ON SKY. THE ETHNIC MIX IS VOLATILE TO CONTAIN?! @SkyNews #tottenham #fb

http://twitter.com/phi88/statuses/100007431509250048


それと気になるのが、暴動の現場で報道のカメラマンが襲われた、危険を感じてカメラを隠した、という報告(多数ある)。イランやエジプトやリビアやシリアetcではないので、秘密警察がいるわけではない。被写体になる人々が映像を残したがらない(身元を確定されるような材料を残すことを嫌う)からだという。まあ、あの地域はね……うん。ハックニーから北へ、ハリンゲイにかけての一帯は……。

主義主張で、何かを訴えたくて暴れる場合、カメラマンを襲うということはあまりないわけで……。

でも今回、外野の「連帯!」系からは、彼らを「圧制に抵抗する民衆」と位置付けての応援が存外多かった。こっちはぐったりです。。。

ベルファストの暴動ではこんな反応なかったんだけどなあ。「北アイルランド=テロ組織」のイメージがあるからだろうけど。

※この記事は

2011年08月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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