「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2006年08月01日

レバノンを「見える化」するいくつかの情報源。

from the map of Israeli assault on Lebanon, as of 30 July 2006
※この画像についての説明は「続きを読む」で。

英国在住の友人が、夏の里帰りで東京に到着し、日本で最大手の報道機関の朝のニュースでレバノン報道がごくわずかしかないということに驚愕している旨、コメントをくれた。わたしは先日、あまりに呆れて以来、テレビのニュースというものを見ていないので、実際どのくらい「取り上げられていない」のかがわからないのだが、まあ、ネット経由で知った範囲のことは、ここみたいな個人のちっちゃいブログでも、書かないよりは書いておくほうがよいだろうとは思っている。

と思っていた矢先、Google News UKで、アジアカップでグループDのレバノンが、アジアカップから抜けたということを知った。BBCではごく短い記事しか出ていないが、同じグループDのオーストラリアのメディアは、それよりは詳しく報じている。(といっても、グループDがどうなるかについての記述が、長くはない記事の半分以上を占めているのだが。)

Lebanon out of Cup
http://www.sportal.com.au/soccer.asp?i=news&id=86273

The Lebanon Football Association said in a written statement to the Asian Football Confederation: "Due to the tragic circumstances our country and people are passing through as a result of the barbaric attack imposed on Lebanon by the Israeli Army."


レバノン・サッカー協会は、AFCに対する書面での声明において、「わが国およびわが国民が、イスラエル軍によってレバノンに対し行なわれている野蛮な攻撃の結果として経験している悲劇的な状況により」と述べている。


※この後しばらくして、ロイターの記事が出た。(Tokyo発になってる。つい最近、別件でも、Tokyo発の記事で、日本ではろくに報じられていないようなニュースがあったな。。。そうだ、先日の豪雨のときの、北朝鮮での水害のニュースだ。)ロイター記事によると、問題は選手が国から出られるか出られないかという以前に、チームが集まれるかどうかである、という。レバノンFAのチーフは、選手の中にはこの事態で避難を余儀なくされている者もおり、どこにいるかもわからない状態で、連絡も取れないと述べている。また、国際空港が閉鎖されており、幹線道路が寸断されているため、レバノンのナショナル・チームがアウェイで試合を行なうのは、事実上不可能であるとも述べている。

さて、記事冒頭の画像は、イスラエルによる攻撃が開始された7月12日から30日までの爆撃地点と回数の記録のマップの一部。今はやりの(?)「見える化」だ。凡例つきの全図は samidoun.org にある。【UPDATE: 2007年7月:1年近く経過して、リンク先がデッドリンクになっていたので修正。】この画像は転載歓迎(We encourage you to distribute and republish this map.)とのこと。全図を載せようとすると縮小されて表示されてしまうので、原寸のままで一部だけ切り抜いて、それをバナーみたいな大きさにして、コントラストを調整して、見ただけでは何の図だかわからないようにしてみた。(samidoun.orgの地図を紹介するときにこの画像を自分のブログなどでも使いたいという方がおられたら、ご自由にお持ち帰りください。連絡不要。)

このマップはほぼ毎日のペースでアップデートされている。Bloggerを利用したLebanon Updatesというブログにその毎日のマップが掲載されている。"Mapping of Israeli assault: July 12-xx"というタイトルのエントリを参照。過去にさかのぼると、「激化」の様子が目に見える。

また、Lebanon Updatesでは、詳細な日報のようなかたちで、その日に何があったかが記録されている。"Minute by Minute:: July xx"というタイトルのエントリを参照。

7月31日の日報のうち、午前の部分だけを抜粋しておこう。
00:22 イスラエル、カナの殺戮の調査のため、48時間にわたりレバノン南部への空爆を停止することに合意。
01:45 サウジアラビア政府、レバノン政府支持を明言し、カナの殺戮を強く非難。
01:48 サウジアラビアとヨルダン政府首脳の緊急会談。
02:02 パリのトロカデロ広場、カナの殺戮に対し、5000人以上がレバノンの旗を持って抗議デモ。
02:24 フランス外務大臣、レバノン訪問(を決定、との報道。)<カッコ内は多分。
02:30 イラン、国連に対し、人道に対する罪でイスラエルに対し行動を取るよう要請。
02:40 カタールの用意したカナについての声明草案、拒否される。国連安保理はフランスの声明を検討。
08:15 イスラエル、Yantaのヒズボラ(の拠点)を標的として空爆。
09:13 フランス外務大臣、ベイルートに到着。
09:53 イスラエル法務大臣、「(カナの殺戮の調査のための)空爆停止は、ヒズボラに対する戦争の終わりの意味ではない。」
09:56 イラン外務大臣、本日ベイルート訪問の予定。
10:05 アルジャジーラ報道、「Kiryat Shmonaに対し、ヒズボラのロケット4発」
10:07 イスラエルのラジオ報道、「国際部隊の派遣前には停戦なし。」
10:20 イスラエルのラジオ、Kiryat Shmonaに対するヒズボラのロケット弾を否定。
10:38 イスラエルのラジオ報道、「イスラエル軍は、ヒズボラから攻撃されれば反撃(retaliate)する権利を有している。」
10:50 Kfar Kilaとal-Adaiyseh間でヒズボラとイスラエル軍が衝突。
10:55 イスラエル、レバノン南部のK'far ShoubaとKfar Hamam郊外に砲撃。
10:58 ヒズボラ、現在進行中のKfar KilaとAl-Adaiyseh間での衝突において、イスラエルの戦車3台を破壊と宣言。
11:06 イスラエル、al-Qawzah郊外とBiet Leefに対し砲撃。イスラエルの偵察機が一帯の上空を何度も旋回。
11:22 イスラエル兵3人、対戦車砲で負傷。
11:25 ライス(米国務長官)、イスラエルから帰国の途に。
11:42 イスラエル国防大臣、「ヒズボラに対する戦争は、(中東)地域の状況を変えるであろう。」
11:45 イスラエルのラジオ、「Al-Taybeh付近で戦闘車両が転覆、イスラエル兵3名が負傷。」
11:58 イスラエル国防大臣、「ヒズボラに対する作戦は強化され、軍はイスラエル政府の目的を果たすであろう。」


というわけで、カナの殺戮のあと、その調査のために戦闘が停止、なんてことにはなっていない。わたしはこの日報を読んで、「甘いものは別腹よね〜」と言いつつ、たらふく食ったあとでプリンを食べてる自分を想像した。「ヒズボラに対する戦い」は別腹なのだ。(こう思いついたときに、では本腹は何なのか、という疑問も同時にわいて出るのではあるが。。。)たぶん、「テロとの戦い」も別腹なのに違いない。そうじゃないとグアンタナモに収容されている人たちが「戦争捕虜」と呼ばれていない理由は説明できない。

で、イスラエルはさんざん「ヒズボラを標的に」と言ってるわけだが、日本で伝えられているかもしれない(「かもしれない」というのは、わたしが相変わらずテレビなどでニュースを見ていないという事実に基づく)「レバノン情勢の映像」でもわかるんではないかと思うが、あんだけの攻撃をしておいて、ヒズボラだけが被害を受ける、ということは、ありえない。民間人の「巻き添え」もひどいが、仮にそこに民間人がいなかったとしても、ああいう攻撃で最大の被害を受けるのは、その場所そのものである。具体的には、道路、水道、電気などの都市インフラ。

で、そのインフラの被害状況は、上記のマップの右下の箇条書き文章(英語)にも書かれているのだが、上記とは別に、インフラ被害マップというのもあるので、それを参照されたい。×印が橋、=印が道路。
http://maps.samidoun.org/Infrastructure_map_12-24.jpg
【UPDATE: 2007年7月】↑のURLは無効になっている。下記を参照。
http://www.samidoun.org/?q=node/89
これらのほかの、2006年の戦争のマップは下記にまとめられている(アーカイヴ)。
http://www.samidoun.org/?q=taxonomy/term/69+70/0
# UPDATEここまで。

すでに24日に、避難途中のレバノン南部居住者家族の乗った車がミサイルで攻撃され、おばあちゃんら3人が死亡というニュースがあったときに、「道路が寸断されている」ことははっきりと伝えられている。今回のレバノンFAのアジアカップからの離脱の理由としても、道路の寸断は挙げられている。

それにしても、地図を見ると呆然としてしまうほどの寸断っぷりである。これは寸断とは呼ばない。ぶつ切りとかみじん切りだ。

インフラの破壊というのは、イラクでもパレスチナでも、何か当たり前のように行なわれているが――というか、東京や大阪や横浜や名古屋、その他多くの日本の都市も、焼夷弾による根こそぎの破壊を経験しているし、そういう破壊を経験しているのは日本だけではないのだが――、本来は、法的にあってはならないことである。ヒズボラが使うからだ、これは戦略爆撃だ、などというのは、法の抜け穴を突いた論法でしかない。その道路はヒズボラのために作られたんじゃないんだから。

なお、サッカーのレバノン代表は、ウィキペディアを見るとわかるが、強豪ではない――というか、「不参加」が多い。アジアカップの出場歴を見ると、1972年は「予選敗退」だが、その次の76年は「棄権」している。これはレバノン内戦のためだ。その次の80年は「予選敗退」だが、次の84年から92年までの3大会は「不参加」。簡略な記述だが、ウィキペディアの「レバノン」の項、「歴史」のセクションを見ながら、レバノン代表の「不参加」歴を見ると、少しは立体的に見えてくる。

あと、2005/05/10のJanjanの記事(東堂一さんによる)も。昨年、シリア軍がレバノンから出て行ったときには「杉の革命 cedar revolution」とかって一部の西側メディアが浮かれていたが(BBCやガーディアンではあんまり浮かれてなかったので、「一部の」とする)、その「杉の革命」についての文章。

「レバノン『杉の革命』、その後」
http://www.janjan.jp/world/0505/0505056654/1.php

宗教(実際は宗派利権)対立による内戦を生き抜いてきた。

※引用部太字は引用者による。

たった1年少し前、レバノンは、ブッシュによって、「アメリカの中東民主化政策の先鞭となる」などと讃えられて(いや、自画自賛のネタにされて)いたのだ。

それが今、国土が破壊されているために、サッカーのナショナル・チームが一箇所に集まることすらできない。国土が破壊されているのは、レバノンに存在する武装勢力が隣国にロケット弾を撃ちこむから、その隣国がその武装勢力を壊滅させるとして、ロケット弾よりずっと破壊力のでかいもので攻撃しているからだ。

「〜の革命」というキャッチフレーズの流行の元となった「オレンジ革命」のウクライナも、その後やっぱり政治屋だの利権狙いだので、ばら色の未来とはほど遠いところにある。「紫革命」のイラクにいたっては、何を「革命」と呼んだのかもよくわからない。まあ、キャッチフレーズと実態とが一致してないなんてのは別に驚くべきことでも何でもないのだが、レバノンを見ていると、21世紀の「革命」ってのは、民衆が手に鍬や鋤を持ってむしろ旗を立てて「パンをよこせ」と広場に集まる、という1789年7月14日タイプのものを言うのではなく、おまえらの国にいる武装勢力はわが国にテロ攻撃を仕掛けているので、わが国はおまえらの国にいる武装勢力を標的としておまえらの国を攻撃し、おまえらの国をわが国にとって無害化する、ということを言うのではないか、と思えてくる。とすれば、これは非常に恐ろしいことだ。すでに権力と兵力を握っている者が起こすものを「革命」と呼ぶことは、ブラックジョークにしかならないと思っていたのだが。

※この記事は

2006年08月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | lives in war/Lebanon | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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