「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年07月07日

あれから1年――そしてビデオが。

英国政府筋の話としてBBCが記事にしたものはあまりにショボかったのだが、アルジャジーラが6日に放映したビデオは、ショボいどころか。。。私はそのビデオの静止画像7枚を見ただけで、とりあえず、いっぱいいっぱいになってしまった。

Video of 7 July bomber released
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/5154714.stm

記事内からビデオ(動画)へのリンクがあります。

Tanweer says in a Yorkshire accent on the film that attacks will continue "until you pull your forces out of Afghanistan and Iraq".


「タンウィールはヨークシャー訛りで述べた」……ヨークシャー訛りで。

さらにまた……

It is believed a third man who features in the 31-minute video refers to the Forest Gate raid of 2 June - proving that the video was collated by al-Qaeda in the last five weeks, according to BBC security correspondent Frank Gardner.
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The video, the release of which was announced on an Islamist website, includes a statement from Ayman al-Zawahri, al-Qaeda's second in command, and American Adam Gadahn, also known as Azzam al-Amriki.


アルジャジーラで放映されたビデオでは、フォレストゲイト(警察のミスで、まったくイノセントな人を「テロ容疑者」と認定し、撃って負傷させた件)に言及している。そのことは、タンウィールのこのビデオがこの5週間のあいだにアルカーイダの手を経ていることを示す、とBBCの記者は述べている。ビデオの公開はイスラミストのサイトで予告されており、ビデオにはアイマン・ザワヒリとアダム・ガダーン(別名アッザム・アル=アムリキ)の声明も含まれている。

タンウィールのビデオは、モハメド・シディク・カーンのビデオ(昨年9月に公開されたもの)とよく似ており、同じロゴが入っている。

つまり、タンウィールのビデオは、アルカーイダの手に渡って、アルカーイダが好きなように編集をして、アルジャジーラに渡された、ということだ。

これ以上は言葉にならない。誰が何のために、何を利用しているのか。

※この記事は

2006年07月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/07 july 2005 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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