kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年07月07日

ユニオンジャックの反転@NHK

「それじゃ“スリギイ”です!NHKが英国旗の斜めライン逆に」
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200607/gt2006070705.html(→魚拓

NHK大阪放送局は6日、同局制作で放送した人気歴史番組「その時 歴史が動いた」の再現場面で、英国旗の斜めの赤白のラインを逆にするミスがあったと発表した。担当した30代のディレクターは、予告編を見た視聴者から指摘を受け間違いに気づいたが、そのまま放送していたという。……


サンスポの記事に、NHKでの「お詫び」の画面のキャプチャ画像あり。

これね、自分でUnion Jackを描いてみようとかいうことをやってみるとかなり印象に残るんですが(「トリビア」的に)、ただ見ているだけ、見たときにそれが「英国の国旗」だとわかるだけ、というときには、気づかないんですよね。(私も印刷物の編集作業で、手書きでラフを描いているときに気づいたんですが。)

あの「赤のナナメの線」は、聖パトリック十字(アイルランド)です。白のナナメの線は聖アンドリュー十字(スコットランド)。なぜアイルランドの部分が線がぐっと細くなっているのかというと、アイルランドはスコットランドより下に位置することを視覚化したものだから。アシメトリーになっているのも多分そういう理由。左上の部分で、スコットランド(白)がアイルランド(赤)より優位にある、というイメージで。

ウィキペディアにはいろいろ書かれています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Union_jack

わ、今見てみたら、Wikipediaも「反転」の例が図示されてる。(Specifications for flag useのところ参照。)

何でも、上下をひっくり返した「反転」を掲げる場合もあったそうですが、遠くから見ると区別がつかないため(そりゃそうだろう)、「こういう場合は上下逆」というルールはなくなっていて、ということは、常に正しい向きで掲げるのだそうです。

しかし、番組の予告編を見て「反転」に気づいた視聴者さんはすごい。「再現場面のうち計13カ所で、英国旗の斜めの赤白のラインが逆になっていたという」とのことですが、ということは再現ドラマの収録の現場にいた人は誰も気づかなかったんだろうなぁ。

ところで「幻の大艦隊〜イギリスから見た薩英戦争」っておもしろそうですね。でも6月21日放送ではもう再放送終わってるか。。。この「ミス」では今後の再放送もないような気がするし。うーん、残念。当時の英国の外交手法は、しっかり検証すればするほど、興味深いものではないかと思います。

※この記事は

2006年07月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼