「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2003年07月30日

句読法

ダブル・クオーテーションとシングル・クオーテーションが混在している場合のピリオド(フルストップ)の扱いの実例。

実例を見かけたのでメモ。自分で書くときにほぼ間違いなく「どうするんだったっけ?」と迷う。

"I remember saying to myself 'I've got to get off the bed'."

最後のところの '(シングル・クオーテーション)と .(ピリオド/フルストップ)と "(ダブル・クオーテーション)の順番。

I remember saying to myself 〜. でひとつの文ということだろう。この場合はたまたま 〜 の部分も文だが。転記前URL:
http://ch.kitaguni.tv/u/917/%b1%d1%b8%ec/0000010340.html

コメント:
re: 句読法
はじめまして。
blog興味深く読ませていただきました。

さて、例文の
"I remember saying to myself 'I've got to get off the bed'." は英国系英語の談話からの抽出したものではないでしょうか?

私が習ったのはP SQ DQの順番でした。
指導を受けた教員が米国大学出身者だったのでそのように教わったのだと思います。
大まかな分類である「英式」と「米式」の違いのようなものではないか?というのが私見です。
その教員の話を思い出すと「(句読法などの)ルールはいろいろあるが、混用しないように」みたいなことを習いました。
このルールも「茶道の流派みたいなもの」というような喩えでした。たとえば、citaionの仕方もいろいろあって、学会・専門分野によりかなり違うのはご存知だと思います。

ただし、「英語を問題にしているのであって、米語じゃないよ」と言われてしまえばそれまでですが…

アメリカの大学のページにP SQ DQの例文がありました。"Quotation within a quotation"に。
ただし、ここの説明では「ピリオドの位置」について何ら言及がないので、ピリオドの場所は「比較的自由なのかな?」と思います。SQ DQの順番は固定していても。
投稿者:
goendo
at 2003 年 07 月 30 日 22:54:50

はい,例文は英国のものです。
goendoさん,はじめまして。

いろいろ調べてくださってありがとうございます。私もP SQ DQで習っていたんですが(大学でのライティングは米語),かつて勤めていた職場の人から「そのへんは英米で違う」と聞き,それでSQ P DQもあるんだと知った次第です。

というわけで,「1冊の本(あるいは1つのまとまった文章)の中で統一されていればどちらでもよい」「米ではP SQ DQ,英ではSQ P DQが主流」ということじゃないかと,解釈しています。

英国の新聞などのスタイルガイドがウェブで見られるので,また時間が取れるときに確認してみます。

以前ネットが普及していない時代に新聞や書籍で調べた時,上のような例だけではなく,This sculpture is called "The Gate" というような場合(DQ内が文ではない場合)にも,PがDQの中か外か,2通りあったりしました。米国は中("The Gate."),英国は外("The Gate".)だったと思います。←記憶違いかも。とにかく「両方あった」という事実があれば仕事としては充分だったので,どっちがどっちだったか,ちょっと記憶が曖昧です。
投稿者:
nofrills
at 2003 年 07 月 31 日 01:56:23

goendoさんが教えてくださった米国の大学のページ Online Writing Lab,ざっと見てきましたが,簡潔でわかりやすいですね。よいサイトの御紹介をありがとうございました。
投稿者:
nofrills
at 2003 年 07 月 31 日 02:18:04

※この記事は

2003年07月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 18:45 | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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