「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年07月21日

死刑が執行され、男は言葉を残した。

マーク・ストロマンは41歳のアメリカ人。テキサスの人だ。2001年9月11日のあの事件の後、彼は「復讐せねばならない、アラブ人を殺さねばならない」との激情にかられ、銃を持って街に出た。そして、コンビニを訪ねて周り、「アラブ人」に見えた店員や店主を3人撃った。それらの人々は、実際には「アラブ人」ではなく、パキスタン人やインド人、バングラデシュ人(UK語でいうAsian)だった。パキスタン人とインド人は殺された。バングラデシュ人は顔面を撃たれたが、生命は助かった。この事件で、ストロマンは有罪となり、死刑を宣告された。

その死刑が、執行された。

英BBCは死刑になる彼を刑務所に訪ね、面会を記録した。(なお、英国は、既に死刑を廃止している。)映像は下記記事にある(4分半)。

Post-9/11 hate killer Mark Stroman executed in Texas
21 July 2011 Last updated at 04:09 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/world-us-canada-14227014

日本もテキサス州と同じく、死刑制度を有している。だが、「彼ら」の言葉が聞かれることはない。(死刑制度の有無以前に、そのことが批判されている。それに「内政干渉だ」と反発することは、非常に子供じみている。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%AD%BB%E5%88%91

外部交通は信書の発受と面会に限られる。

信書は1日に1通発信することができる。内容については検査される。

面会は1日に1回許可され、内容は記録される。面会時間は長くとも30分以内と決められているが、実際は長くて10〜15分程度しかなく、短いときには5分程度で話を打ち切るよう催促される。

面会できる相手は次のいずれかに限られている。

* 親族・婚姻関係の調整、訴訟の遂行、事業の維持その他の死刑確定者の身分上、法律上又は業務上の重大な利害に係る用務の処理のため面会することが必要な者
* 面会により死刑確定者の心情の安定に資すると認められる者
* 前記に掲げる者以外の者から面会の申出があった場合において、その者との交友関係の維持その他面会することを必要とする事情があり、かつ、面会により刑事施設の規律及び秩序を害する結果を生ずるおそれがないと認める者に限られている。

家族以外の友人やジャーナリスト、NGOスタッフなどが面会を申請しても、許可されるかどうかは当該刑事施設の取り扱いによって異なるものと思料される(取材を目的とした面会は一切許可されず、ジャーナリストなどが面会する場合は「面会したことを記事にしない」という趣旨の誓約書を書かされる)。

このため、家族と疎遠になっている場合などには、何年間も誰とも面会できない者もいる。また、死刑確定者の支援者らが養子縁組などを行い、家族として面会を求めた場合も拒否される(群馬3女性殺人事件の死刑囚とその養親。面会のためだけに養子縁組となり、家族という形で面会することを刑事施設側が拒否したのは合憲とする、という判例が出された)。

このような外部交通の制限について日弁連は報告書で、国際人権規約に反するとしている。


テキサスの死刑囚、ストロマンの話に戻る。

BBCのカメラは、獄中のストロマンと記者との面会を記録する。ストロマンの表情と、彼の声と、言葉を記録する。透徹したような、穏やかな表情で彼は言う。「911でキレちゃったんですよね。怒りを覚え、愛国心に燃えた」。

「アメリカでは誰もが get them 奴らを叩き潰せと言っていた。them 奴らというのが誰なのか、はっきりしないままに、とにかく一般化して――ちょうど世間の人たちが死刑囚を一般化するように――単に『奴ら』、と。『ムスリムはテロリストだ』と。自分もそう思ってました。でもそれは、間違っていた」

「憎悪っていうものは、無知なんです、結局」



ストロマンに顔面を撃たれたRais Bhuiyanさんは、イスラム教を信仰するバングラデシュ人だ。彼は事後、死刑を宣告されたストロマンの助命を嘆願する活動を始めた。自分を殺そうとした人を赦し、死刑を止めようとしたのだ。

「ストロマンを死刑にしても何も解決しない。ストロマンは自分が間違っていたということを悟ったんですから、その体験を他の人たちに伝えていける。でも彼が死んでしまったら、それで終わりなんです」ということを、彼はBBCのインタビューで語っている。

ストロマンの最期:
The execution at Huntsville prison was delayed slightly by the final legal appeals, before Stroman was taken to the death chamber.

"Even though I lay on this gurney, seconds away from my death, I am at total peace," he said.

"God bless America. God bless everyone," he said. "Let's do this damn thing."

Stroman was pronounced dead at 2053 CDT (0153 GMT).

ハンツヴィル刑務所での死刑執行は、最後の法的異議申し立て手続きによってわずかに遅れたが、ストロマンは死刑執行室へと連れて行かれた。「担架に乗せられ、あと数秒で死ぬとなっていても、私は完全に平安な状態にあります」と彼は述べた。「神よ、アメリカに祝福を、全ての人に祝福を」と言い、「じゃ、とっととやりましょう」と。そして現地時間20:53、死亡が宣告された。


BBCの記事からさらに。
"I had some poor upbringing and I grabbed a hold of some ideas which was ignorance, you know, and hate is pure ignorance. I no longer want to be like hate, I want to be like me," he told the BBC.

「自分は育った環境がよくなくて、気づいたらああいう考えを抱いていたんですが、それは無知そのものだったんですよね。憎悪というのは、無知以外の何ものでもないんです。もうこれ以上、憎悪の人でいるのはいやだ、自分らしくありたいと思います」と彼はBBCに語った。


最期についてはガーディアン掲載のAP通信記事がより詳しい。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/jul/21/texas-executes-911-revenge-killer
From inside the death chamber, Stroman looked at five friends watching through a window and told them he loved them.

"Even though I lay on this gurney, seconds away from my death, I am at total peace," he said. He called himself "still a proud American, Texas loud, Texas proud".

"God bless America. God bless everyone," he added, then turned his head to the warden and said: "Let's do this damn thing."

Feeling the drugs beginning to take effect, he said, he began a countdown. "One, two," he said, slightly gasping. "There it goes."

Eleven minutes later, he was dead.




同じ日にこんな記事&インタビューもあった。

Page last updated at 10:36 GMT, Wednesday, 20 July 2011 11:36 UK
Zimbabwean farmer forgives men who had beaten him up
http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/hardtalk/9543460.stm

ジンバブエで白人に対する激しい暴力の対象となったこの人は、信仰(キリスト教)の力で、彼を殴打した人々を赦した、と語る。

そして今日はもちろん、あの事件の判決が出た日である。

英女性殺害:市橋被告に無期懲役判決 明確な殺意認定
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110722k0000m040100000c.html
 千葉県市川市のマンションで07年3月、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)の遺体が見つかった事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死罪などに問われた市橋達也被告(32)の裁判員裁判で、千葉地裁は21日、求刑通り無期懲役を言い渡した。最大の争点だった殺意について、堀田真哉裁判長は「(解剖医の証言などから)首を3分以上圧迫しており、明確な殺意があった」と認定した。

 その上で「自己の性欲を満たすため強姦し発覚を恐れて殺害するなど動機は身勝手。整形手術して逃亡し、解明を妨げるなど刑事責任は非常に重い」と量刑の理由を述べた。一方で「強姦から殺害まで相当な時間が経過している」として、検察側の主張する強姦致死罪の成立は認めず強姦罪を適用した。……


リンゼイさん父「正義下され満足」 市橋被告無期刑判決
http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY201107210681.html
……

 公判終了後、報道陣の取材に応じたビルさんは「4年半、リンゼイのために正義が下される日を待っていた。今日、それに到達できた。とても満足している」と話したうえで、「市橋(被告)を捜すことをやめなかった日本の警察、日本の人々に感謝している。リンゼイは日本を愛していました。ありがとう」と感謝の言葉を述べた。

なお、リンゼイさんのお父さんのビルさん(ウィリアムさん)が「日本の最高刑が死刑なら死刑を望む」と述べたことは、日本の死刑制度維持派によって、"政治利用"されていた。

※この記事は

2011年07月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:20 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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