「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年07月21日

冤罪 (miscarriage of justice) とDNA鑑定

英語で「誤審、冤罪」のことを、 "miscarriage of justice" という。Miscarriageは「運びそこなう」という意味で、単独で使えば「流産」をいうことが非常に多いが、荷物や郵便物の「誤配達」、意図した結果とは別の方に行ってしまった「失敗」などをいうこともある。

ウィキペディアに「世界のmiscarriage of justiceの事例」のリストがある。
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_miscarriage_of_justice_cases

UKのところを見れば、映画『父の祈りを』で語られたギルフォード4&マグワイア7(コンロン父子ら)、バーミンガム6など、北アイルランド紛争に関連した冤罪事件をはじめ、非常に多くの事例が並んでいる。その中にちらほら見えるのが、「DNA鑑定」の文字だ。例えば:
Stefan Kiszko was convicted in 1976 for the rape and murder of an 11-year old Lesley Molseed in 1975. He spent 16 years in prison before he was released in 1992, after a long campaign by his mother. He died of a heart attack the following year at the age of 41. His mother died a few months later. In 2007, Ronald Castree, of Shaw, near Oldham, was found to have the same DNA as Lesley's attacker and was convicted at Bradford Crown Court.

Sean Hodgson, also known as Robert Graham Hodgson, was convicted in 1982 of murder following various confessions to police, although he pleaded not guilty at his trial. His defence said he was a pathological liar and the confessions were untrue. He was freed on March 18, 2009 by the Court of Appeal as a result of advances in DNA analysis which established his innocence.

1975年の強姦・殺人事件で有罪とされ、16年間服役した後にようやく再審で無実であることが立証されて自由の身になったStefan Kiszkoさんは、釈放の翌年、41歳の若さで心臓発作で亡くなった。彼の汚名をそそぐため尽力してきたお母さんも、彼の数ヵ月後に亡くなった。その15年後、DNAが一致したことで真犯人が判明した。

1982年、自白に基づいて殺人で起訴されたショーン・ホジソンさんは、裁判では罪状を否認したが結局有罪となり、2009年3月にようやく、再審のDNA鑑定で無罪を立証し、27年ぶりに自由の身となった。当時大きく報道されていたが、テレグラフの記事 ('Disgraceful' error kept innocent Sean Hodgson suffering for an extra 11 years) などが読みやすい(日本で冤罪被害にあわれた方が無実を立証したときに「温泉でのんびりしたい」などと語るように、「サッカーの試合を見に行きたい」と語っている)。

どちらも、「DNA鑑定がしっかり行われていれば……」というケースだ。

一方で、英国ではこんな事例もあった。

2007年の末、クリスマスが迫ったころ、北アイルランドでのある大きな裁判で、被告人に無罪の判決が出た。警察の証拠保全がぐだぐだであったこと、証拠自体がダメなものであったことが理由だった。裁判長は警察の「故意での、また計算した上での欺瞞」を批判した。

Man not guilty of Omagh murders
Last Updated: Thursday, 20 December 2007, 17:11 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7154221.stm
Speaking at Belfast Crown Court, Mr Justice Weir was critical of police evidence and said they were guilty of a "deliberate and calculated deception".

被告は当時38歳の男性。1998年8月15日、29人の命を奪い数百人を負傷させたオマーでの自動車爆弾の実行犯として、唯一起訴された人物だ。事件被害者遺族が調査を進める中で「犯人」をほぼ特定しているにもかかわらず、警察は爆弾に直接関与している人物を、この38歳男性以外には特定しなかった。それだけでも奇妙なことだが、それどころか警察は、この男性が1人で爆弾を作ったなどという主張を行なった。裁判長はそれをばっさり切り捨てるように退けた。

このときに問題となったのが、警察が用いたDNA鑑定は、それ自体が技術として、信頼できるものではない、ということだった。
At the heart of the case were the bomb timers used in the attacks. Forensic scientists had examined them for both fibres and Low Copy Number (LCN) DNA.

LCN is a relatively recent development of DNA science which allows analysis of tiny samples of skin cells, sweat and other bodily fluids.

2007年当時、いくつかのブログなどで言及されていた記憶があるのだが、いろいろサボって日本語ウィキペディア(同じ項目についての英語版の記述と付き合わせるとかなりはしょってあるが):
低コピー数解析(ていこぴーかいせき、Low copy number; LCN)はDNA型鑑定の一種。ごく少量の遺伝物質からDNAプロファイルを得る技術で、イギリスのForensic Science Service(FSS)が開発した。

……

2006年にイギリスで発生したPeter Hoe事件でこの技術が使用されたが、研究者や法律関係者から多くの議論がなされた。これで得られるDNAプロファイルは再現性が薄いうえに汚染されやすく、科学的に正確だという根拠がまったくないためである。

(「科学的に正確だという根拠がまったくない」については、英語版では "there was an alleged lack of external validation by the wider scientific community" とある。)

この裁判結果が出たときに、このLCN解析というのは日本でも使われているのだろうかと少し調べてみた。使われていなかった。今さくっと見つかるソースは、判決から3日後のBBC記事だが、「正確性に懸念がある」ことを理由に、英国のほかはニュージーランドとオランダでしか使われていないとの記述(記事の最後)。

このニュースを見たとき、オマー爆弾事件のしばらく前に起きた東京での事件がぼやんと思い浮かんだ。こちらも「DNA鑑定」がキーになっていた。この事件だ。

1997年 - 東電OL殺人事件。DNA型鑑定の有効性が裁判で争われた。一審では反対解釈の余地もあるとして無罪となったが、二審では決定的な証拠であるとして無期懲役の判決が出た。

―― DNA型鑑定 - 捜査にDNA型鑑定が用いられた事件


1997年、渋谷で起きたこの事件は、事件そのものよりむしろ、被害者の経歴や生活が大きな関心を集め、「ここまできた、女性の生き方」的な注目のされかたをした。特に、美容院や銀行などで見かける女性週刊誌の騒ぎっぷりは、異常としか言いようのないものだった。女性なら必ず、被害者の生き方に何かを感じるはず、私はこう感じたということをみんなで語ろう、的な暑苦しいムードもあった(他人のプライバシーに関心はありません、とでも言おうものなら、お高くとまってるだの、想像力がないだのと白い目で見られるようなムード)。

そういう「プライバシー暴き」とか「第三者の自分語り」はとにかくやかましいだけだったのだが、友人との雑談でぼそっと、「DNA鑑定ってそんなに絶対的なのかなあ」という話が出たことが、自分の中では強い印象を伴っている。さほど意味などないのに、なぜか印象に残っている、というよくある「小さなエピソード(にもならない程度のもの)」だ。

当時、テレビのニュースなどでは「DNA鑑定の結果、なんとかかんとか」という言葉は、「絶対に否定できないもの」という響きを伴っていた。でも、「DNAはひとりひとり、指紋のように異なるので、別人のそれと一致することはない」という、非常に厳密な「科学」的な事実は、この事件での「証拠」のようなかなりアバウトそうなものにも当てはまるのだろうか。「そんなわずかな手がかりから調べられるっていうのは、すごいけどさあ」。

結局、素人同士が話してても何ら発展はなく、「よく考えるとそらおそろしいよね・・・」、「そーだよね・・・」という結論なんだか何なんだかわからないところに着地して、それで雑談は終わった。

当時のことは、この事件について、検索するとすぐに出てくる「無限回廊」というサイトさんに、詳しく書かれている。「マイナリ」は起訴された人の名前。ネパール人のゴビンダ・マイナリさんという男性だ。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/touden.htm
トイレに捨ててあったコンドームの残留精液から検出された血液型はB型で、DNA鑑定を行なった結果、マイナリのそれと一致した。

……

精子は射精した時から時間の経過とともにその形が崩れていくことが分かっていることから、それが何日経過したものかを帝京大学医学部講師の押尾茂が鑑定した。精液入りコンドームは死体が発見された3月19日に発見されているが、このコンドーム内の精子が約10日前のものなら検察側が、約20日前のものなら弁護側の主張が正しいということになる。

……

……死体発見現場にあったコンドーム内の精子は尾部が痕跡程度しか残っていないということから、20日は放置されていたという結論になる。しかし、押尾講師は「自分の実験は清潔な環境でやったからこうなったが、現場のトイレは不潔だろうから、実験で20日かかった分離崩壊が現場のトイレではわずか10日で起きても不思議はない」という趣旨の意見でまとめている。

だが、「不潔な環境だと精子の崩壊が早い」という意見は仮説に過ぎず、科学的合理性のない結論であった。

つまり、「結論ありき」だった、ということだ。「科学」はそれにお墨付きを与えるためのもので、「科学的合理性」は要求されていない。(「科学」においては「絶対にありえない」はないのだが、そこに、非科学的に利用される余地がある。つまり「絶対に〜とは言い切れない」場合を、予め想定された結論に合致するように、無理やり考え出す。高知の白バイの事件御殿場の事件で、テレビのドキュメンタリーや報道番組で指摘されていたのも、そういう点だ。)

「無限回廊」さんからもう少し。(なお、引用にあたり、被害者のお名前は私の判断で「《被害者》」に置換した。)
現場から採取された陰毛は全部で16本あった。うち12本はDNA鑑定の結果、《被害者》とマイナリのものだと判明した。残り4本のうち3本の陰毛は最後まで誰のものか判明しなかった。

《被害者》の血液型はO型だが、現場にあった《被害者》のショルダーバッグの取っ手からはマイナリと同じB型の血液型物質が検出された。だが、DNA型については普段それを持ち歩いている《被害者》のDNA型のものが圧倒的に多く、結論としてはマイナリと同じ型のDNAがあったとは認定されなかった。

1999年(平成11年)12月17日、東京地裁での求刑公判で、検察側は無期懲役を求刑した。

2000年(平成12年)1月24日、東京地裁で弁護側は最終弁論で、「被告には動機がなく、犯人であることと矛盾する証拠もあり、他に犯人がいる可能性が高い」として無罪を主張した。

4月9日、陸上自衛隊第1師団の記念行事に石原慎太郎東京都知事が出席し、「東京では不法入国した三国人、外国人の大きな犯罪が繰り返されている。大災害が起きたら騒擾(そうじょう)事件も想定される」という発言をし、在日外国人たちから強い批判を浴びた。

4月14日、東京地裁で大渕敏和裁判長は、マイナリに対し無罪を言い渡した。

※石原のあの発言を批判したのは「在日外国人」だけじゃなかったけどね。私も批判したし、私の恩師も、職場の同僚も、友人も批判するなり、「えー」という反応を示すなりしていた。

しかしながらこの後、ゴビンダ・マイナリ被告は高裁で有罪となり(この経緯も変なので、ぜひリンク先でご確認いただきたい)、2003年に最高裁でそれが確定した。彼は現在、無期懲役で収監されている。

そしてマイナリさんは2005年に再審請求を行なった。2006年からは日弁連も再審開始に向けた取り組みを支援している。
http://www.jca.apc.org/govinda/

そして今日のニュース:

東電OL事件、再審の可能性…別人DNA検出
(2011年7月21日03時01分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110721-OYT1T00090.htm
……再審請求審で、東京高検が、被害者の体から採取された精液などのDNA鑑定を行った結果、精液は同受刑者以外の男性のもので、そのDNA型が殺害現場に残された体毛と一致したことがわかった。

 「(マイナリ受刑者以外の)第三者が被害者と現場の部屋に入ったとは考えがたい」とした確定判決に誤りがあった可能性を示す新たな事実で、再審開始の公算が出てきた。

 この事件でマイナリ受刑者は捜査段階から一貫して犯行を否認。同受刑者が犯人であることを直接示す証拠はなく、検察側は状況証拠を積み上げて起訴した。……


東電OL殺人で別人DNA型検出 東京高裁、再審請求審
2011/07/21 10:58
http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011072101000245.html
……被害者の体から採取された精液を鑑定したところ、別の男性のDNA型が検出され、殺害現場に落ちていた体毛の1本と一致したことが21日、関係者への取材で分かった。

 事件当日に被害者が現場アパートの部屋でマイナリ受刑者以外の人物と接触した可能性を示唆しており、再審開始に向け有利な材料となる。弁護団が高裁に鑑定を要請し、東京高検が専門家に依頼していた。


東電OL殺害事件 受刑者とは別人の体液と判明(07/21 11:45) ※映像あり
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210721009.html
14年前の東電OL殺害事件で無期懲役が確定したネパール人の受刑者が求めた再審請求審で、検察側が被害者から採取された体液のDNA鑑定を行った結果、この受刑者とは別人のものだったことが分かりました。

……一貫して無罪を主張しているマイナリ受刑者は、2005年に再審請求し、東京高裁は検察側にDNA鑑定を実施するよう求めていました。東京高検が行った鑑定結果によりますと、被害者の体から採取された体液はマイナリ受刑者以外の男性のもので、殺害現場に残されていた体毛とDNAの型が一致しました。……

私が雑談で話題にしていた「DNA鑑定」は、現場となった部屋のトイレに捨てられていたコンドームの中に残っていた体液で行われたものだった。「被害者から採取された体液」はそれとは別で、これのDNA鑑定は、今の今まで行われていなかった。

以前、仕事関連で参照した資料に書いてあったののうろ覚えで書くが、DNA鑑定は元々、強姦事件で体内に残された体液から、実行犯を割り出すための技術として注目され発展してきた。実際に、強姦事件の解決に役立てられることが非常に多い技術だという。

で、「強姦」ではないにせよ、性行為を伴ったこの「東電OL殺害事件」で、なぜ被害者の体から採取された体液の鑑定が行われず、いつ捨てられたのかわからないゴミから採取された体液の鑑定だけが行われ(しかも科学的に厳密とは言えないような分析がなされ)、それに基づいて「有罪」が確定したのか。

また、「無限回廊」さんから。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/touden.htm
東電OL殺人事件はマイナリの逮捕から裁判で判決が下されるまでの手続きにおいて外国人に対する差別が見られた。『神様、わたしやっていない!』(現代人文社/無実のゴビンダさんを支える会[編]/2001)によると、事件のあった1997年(平成9年)の外国人事件の勾留率は99.0%(日本人は76.1%)、また、判決言い渡し時点での勾留率は97.7%(日本人は61.4%)だという。1審では「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人の利益に」という法の理念に基づいた裁判の原則が生かされたが、控訴審や上告審ではその原則が踏みにじられた形となった。


殺された被害者のかたに、改めて合掌
真犯人が判明しますよう。時効が恨めしい。

※この記事は

2011年07月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 21:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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