kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2003年07月22日

GM foodについての記事。

Telegraphにあった,GM food(遺伝子組み替え食品)関連の話。

Telegraphという新聞は読みつけてないのだけど,今日は何となくトップ開きっぱなしで。(単にウィンドウを閉じ忘れていただけ。)

さっきまでお仕事で「遺伝子組み替え」「遺伝子組替え」「遺伝子組み換え」」「遺伝子組換え」の表記統一をしていたのだけど,そういう意味タイムリーなニュースが。

EUがGM FoodをUSから輸入しないということで,USがWTOに提訴しているという話がありました。1ヶ月くらい前?もうちょっと最近かも?

で,UKはどうかっていうと,GMに関する限り,「USとの同盟」とか言ってないわけです。スーパー(食品小売)で今の最大手はASDA(USウォルマート傘下)かな?ASDAではどうなのかちょっとわからないのですが,それに次ぐTESCOとSainsbury(どちらもUK資本)では大々的に「No GM Food(遺伝子組み替え食品は扱いません)」って言ってて。

UKはBSE以来,「食の安全」について極めて敏感になっていて,あれを契機に農業とか環境とかについての知識がわーっと広がった。そういうことが影響しているんじゃないかというのが私の推測。

なので,「対テロ戦争」やら「レジーム・チェンジ」やらでUSのプードルどころか,ここ掘れわんわん並みのお膳立てまでしたUKが,GMに関してのWTO提訴でUSサイドに立つのかどうか(そこまで政治的判断で進められるのか)がちょっと気になってました。

そんな折,開けっ放しにしていたウィンドウのおかげで,Telegraphの記事を発見↓。

GM fails to win official backing

おりゃ〜,「GMを全面的に受け入れることはできない。現在私たちにわかっていることと,まだはっきりしないことのギャップは,将来もっと大きくなるだろう」だそうです。

うひゃ〜,うちら@日本は既にバリバリGM食品に晒されてるじゃん。

しかも↑の発言(第三者機関のもの),助動詞がwillなんだよね。確定的未来。

例の「イラクのWMDの証拠」の助動詞がcouldという弱っちいものだったのにも関わらず,「サダムはWMDを持っている!!」「45分で発射されてUKまで飛んでくる!!」となったことを思うと,助動詞willで語られることはおそらく「!!!!!!!!」くらいでしょう。

ちなみに私は80年代終わり〜90年代に断続的に一定期間英国にいたため,異常プリオンに晒されてる可能性があるので,日本では献血できません。臓器提供も脊髄ドナー登録もできません。私は肉は食わんのですが,それでも何らかの形(ヨーグルトに入っているゼラチン,薬のカプセルのゼラチンなど)で接している可能性が高いので,たとえヴェジでも献血できないのだそうです。自分では別に心配はしてませんが(交通事故にあったり階段でコケて頭を打ったりする確率の方がずっと高いし)。


※この記事は

2003年07月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 15:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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