「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2003年07月21日

人名のカタカナ表記で困った。

「タッド」さんって,英語での綴りはどーなのよ。
仕事関連で「注目された人」っていう区切りでリストみたいのを作っている。東京スター銀行さんの新頭取(6月に就任)=邦銀初の外国人頭取でしかも史上最年少(43歳)もリストに入っている。

んで,このリスト,漢字文化圏ではない国の人の場合はアルファベットの綴りを示すことにしたのだが,はて,困った。東京スター銀行さんのサイトを拝見しても,英語ページがなく(国内業務のみだから?)「タッド・バッジ」さんの綴りがわからない。バッジはだいたい見当がつくが「タッド」?「バッジ」だって自分の見当が正しいのかどうかわからない。

とりあえずググる。「タッド・バッジ」ではどこまで見てもカタカナ表記のみ。うう,時間のロスが膨らむ。

適当なところで見切りをつけて,「Tokyo Star Bank」で英語記事を当たってみることにした。(<最初からそうしろよ。)そしたらずらずらと出てくる出てくる。一番上に来てるのは,意外にもThe Timesの記事だ。

……へ?Toddさん?「トッド」さんじゃん!

自分が米語に弱いことをこんなに実感したことはない。米語な人なら「タッド」=Toddって,するっと思いついたことだろう。

ちゃんちゃん。でもまだ終わらない。

じゃあ映画俳優のTom Cruise(米国人)は「タム・クルーズ」かっていうとそうじゃない。Mark Twain(米国人)のTom Sawyerだって「タム・ソーヤ」じゃなくて「トム・ソーヤ」だ。

“英語”はToddは「タッド」,Tomは「タム」なら「ローマ字読みするから……」なのだが,それもまた違う。

ToddとかTomとか,あるいはdogとかpocketとかbodyとかの“o(オウ)”の音,発音記号で書けば「o」の右側にひげがあるというか,手書きの小文字のaのようなあれは,米語では確かに「ア」に近い感じなのだが,英語圏すべてでそういう音で読まれるわけではない。例えば英国でははっきりと「オ」だ。だからToddは「トッド」だしTomは「トム」,dogは「ドグ」でbodyは「ボディ」だ。bodyなんて,例えば車では「ボディ」と表記されるけれど,スタイルのよい人物を表していう「ナイスバディ」は「バディ」だ。everybodyだって「エヴリバディ」だ。(←これは私も中学校1年生から刷り込まれているので,英国で周囲の英国の人が「エヴリボディ」と言っても,自分では「……バディ」としか出てこない。反射のレベルなのかな。)

「正しいカタカナ表記は1つだけ」ということはなかなか言えない。

英語圏以外の人名とかはまたこれとは別な話。(最近もテニスの「クリスターズ」または「クライシュテルス」で困りましたが。)

※この記事は

2003年07月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。