米国議会で「歴史が証明してくれる,我々が正しかったことを」と,カルトの教祖みたいな顔をしてチャーチル信奉者らしい演説をぶって拍手喝采を浴びて,そして東アジアへ向かう途上,ドクター・ケリーの死がこの人に知らされた。
東アジア・ツアーは日本から始まり,箱根で例の笑顔で談笑してたりもしたが,記者会見ではイギリスの記者(だと思う。アクセントから判断して)にドクター・ケリーのことで突っ込まれると,あからさまに怒った表情でこわばった。
キャンベル報道官は今回首相と同行していないそうで(英語記事で知った),となれば,首相自身の口から見解を語ることはできないということなのだろうか。そりゃないぜバンビちゃん。(7月で退任するスミス報道官は同行していたそうだが,日本に着く前の機内での会見は,記事を読む限り,まるでサッカーの試合でロスタイムに入った時に2−1でリードしているチームのプレイヤーが緩慢な動きでスローインに向うかのように,時間ぎりぎり作戦で臨んだようである。)(<比喩は思いつき。)
すでに韓国で首脳会談を行ったそうで,やはり日本では「北朝鮮問題について韓国と英国の両首脳は合意」云々と,あたかもそれしか関心事がないかのような扱いだが(私の見てる範囲が狭すぎるのかもしれないが),冗談じゃない。英国政府は大仰な証拠をでっちあげてイラクの人々をたくさん殺した。それは「脅威に対する先制攻撃」として誰かが支持してくれるかもしれないが,今回は英国の国防省の人間が,政府の大仰な証拠についてジャーナリストに語ったことが原因で,鎮痛剤を服用して手首を切って死んだのだ。死体がドクター・ケリーであることがわかったときに,そして自殺であったことがわかったときに,英国首相は何を思い,トニー・ブレアは何を思ったのか。
東京を発つ時に撮影されたというMirrorのこの記事の写真で,トニー・ブレアは米国議会でのあの狂信者のような表情とはまったく違う表情をしている。
ただしこの表情が何を思ってのものか,ほんとのところは多分写真を撮った人にも,もちろん記事を書いた人にもわからない。「ドクター・ケリーが死んでしまったのは私の責任だ」と思っているのかもしれないし,「英国に帰ったらクックとかからフクロにされる」と思っているのかもしれないし,「東京の蒸し暑さは耐えがたい」かもしれない。「キドニーパイでも食べないと元気出ないんだよね」かもしれない。本人にしかわからない。
※この記事は
2003年07月21日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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