「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2003年07月19日

公僕の死。

死体で発見された英国防省高官。

いや昨日で仕事が小さく一段落ついたので,久しぶりにパソコンのメンテ(ゴミ箱の整理とかデフラグとか)しながら朝のニュース見てたんですが,いやもう,おらおらデフラグ早く終わらんか,って。

そのニュースで言ってたことを記憶に頼ってつじつまが合うように再構成して書いてみると(つまり,原型留めてない可能性が極めて高いということです),いわく,「英国で『イラクの大量破壊兵器』の論争の情報源だった高官と思われる人物が,オクスフォードシャーで死体で発見された。発見されたのは行方不明になっていたデヴィッド・ケリー氏で,BBCが報じた『政府の情報操作』の情報源とされているが,本人はそれを否定している。ブレア首相は訪米後,昨晩来日しているが,政権にとって大きな打撃となると思われる。」

……。

とりあえずYahoo! JAPANにあった日本語の記事。(時事通信さん
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030719-00000877-jij-int

同じくYahoo! JAPANの讀賣新聞さんは「自殺と報道されている」と。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030718-00000414-yom-int

本家本元BBCにあった現時点最新記事のひとつ。(記事内右欄に他の記事へのリンクあり。)
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/3076801.stm

Dr David Kellyのプロフィール。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/3076869.stm
MoDのアドヴァイザー,生物兵器の専門家。59歳。

Mirrorにも記事はありましたが,現段階では5W1Hな感じ。(斜め読みのみの印象ですが。)詳しい話(分析記事とか)はこれからでしょう。

Guardianは東京でのブレアのコメント,議員のコメントなどの記事が一番新しいみたいです。(記事の一番下に他の記事へのリンクあり。)
http://politics.guardian.co.uk/iraq/story/0,12956,1001129,00.html
社説などは日曜日のObserver待ちかも。

Independent(Fisk),New Statesman(Pilger)でもそろそろ記事が読めるかもしれませんが,未確認。

しかし,このIraq weapons rowは,誰が何をどうした(どう言った)のか,整理しないとわけがわかりません。私はさぼっているのであまりわかっていませんでした。改めてBBC(混乱の当事者なのだが)のまとめた記事を見ると,
■5月29日:BBCの番組で,BBCのギリガン記者が,政府の人物が昨年9月の“イラクWMD証拠書類”(「45分で使える」など)は"sex up"されていた(政府が肉付けしていた)と語った,と述べる。数日後に,「45分」情報を差し込んだのはキャンベル報道官であったと,ギリガン記者がタブロイド(Mail On Sunday)に書く。
■6月19日:ギリガン記者が国会の外務委員会で自説の証拠を述べる。
■6月25日:キャンベル報道官が委員会で証言。BBCの言い分を真っ向から否定しBBCに謝罪を要求。BBCは27日,謝罪要求を一蹴。その後「政府 対 国営放送」の“全面戦争”に。
■7月7日:外務委員会の報告書。キャンベル報道官の責任はなしとの判断。(ただし政府の書類は100%正しいとは言えないということも言われていたように記憶しています。)
■7月8日:国防省(MoD)高官(=デヴィッド・ケリーさん)が,5月22日にギリガン記者と話をしたと名乗り出る。
■7月15日:外務委員会の調査再開。ケリー氏が証人として証言。ただし委員会ではケリー氏はギリガン記者の記事の情報源ではないとの判断。
■7月17日:ギリガン記者,再度証言。情報源を明かさなかったこと,話を変えたこと(←これ何だろう?)で後から非難を浴びる。同日,ケリー氏がオクスフォードシャーの自宅から散歩にでかけて行方不明になる。
■7月18日:捜索中の警察が死体を発見。特徴がケリー氏と一致する。
※ ケリー「氏」と書きましたが,ほんとはタイトルはMrではなくDrです。

実のところ私としては,7月になってからこのニュースはほとんどフォローしてませんでした。仕事が忙しいということももちろん大きかったのですが,っていうか,そこまでいっぱい人を引っ張り出さなければ「間違ってない」と証明できない“証拠”という時点で,すっかり関心が持てなくなっていた(=あの“証拠”はでっちあげだと思っていて,それを前提に考えていたので,誰が何をどうしたということはどーでもよかった←あんまりよい態度じゃないですが)わけですが……。

しかし,この期に及んで,米国は“ウラン購入計画”の情報源(インテリジェンスの資料)を出してきたそうですが,もーやめんかい。でっちあげでも嘘でも捏造でも曲解でもなかったとかそういう言い訳はどーでもいい。でっちあげであり嘘であり捏造であり曲解であったわけなんだろうから。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/americas/3079271.stm

※この記事は

2003年07月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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