kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2003年07月14日

イギリスのインテリジェンス。

結局英国におっかぶせ?な気もしなくもないんですが。(←憶測。)

ここしばらく目が回る暇もないほどたて込んでしまっていて,BBCもガーディアンも読みに行けてないのですが。

普通に日本のニュース見てるだけでも,「ブ レ ア 必 死 だ な」な状況なんだろうな〜,と思うわけです。

歯磨きしながら聞いていたテレビのニュースによると,米国が「イラク脅威論を一般教書演説に盛り込んだのは不適切でした」「イラクがウラン購入をもくろんでいたというのはうそっぱちでした」と認めた上に,ライス補佐官が「CIA長官はイラクのWMDについての情報は演説から削除すべきと申し入れてきたのだが,我々は英国の情報を信じ,また英国政府は『より確かな証拠がある』と断言していたのでそれをアテにしていた」と言っているそうで。自分とこのインテリジェンスよりも同盟国のインテリジェンスを根拠にするって,スーパーパワーのやることか。白々しいなあと思わなくもないのですが。
武力行使直前,英国の世論が賛否に分かれて議会でも開戦阻止勢力が勢いがよかったときに,ラム爺が「英軍が参加しなくても米軍だけでできるし」と発言したときに,BBCだったかな?With Friends Like Rumsfeld(「ラム爺のような友人を持つと(大変な目にあう)」)というタイトルの記事を出してましたが,この期に及んでなお,“友人”からのこの仕打ち。

上に書いたようにこの件についても英語でのニュース記事を読んでないので,英国でどういう論調なのかすらわかりません。数日経てばちょっとは余裕ができるはずなので,そしたらBBCなりガーディアンなりミラーなり,まとめて読むつもりです。

ブリクス前UNMOVIC委員長も「っていうか45分でミサイル配備できるような運搬の道具はイラクにはなかったと思うが」発言。(今年の2月にもそう主張していたんだろうか?)

しかし,17日の米英首脳会談って,何を話すんだろう。その後ブレアは日本にまででばって来て何を話すんだろう。もう次の手は打ってあるんだろうなあ。(←憶測)

※この記事は

2003年07月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 11:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼