kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2003年07月09日

「英国大使館:ビザに関する重要なお知らせ」

今年(2003年)の11月13日から,6ヶ月以上の滞在には渡航前のエントリークリアランス(ヴィザ)取得が必要となるそうです。

申請方法など詳細は http://www.uknow.or.jp/be/visa/notice/notice01.htm にてご確認ください。「よく聞かれる質問」も必ず。

英国だけではなく,EU全体の入国規定に応じたものだそうです。

ということは,EU諸国も同じ……?

日本の外務省でも調べられるかもしれません。(未確認。)

料金は,学生が£36,ワークパーミット所持者で働くつもりの場合は£75だそうです。(£1=¥200で計算しておくと無難。本日のレートはここで convert now をクリックするだけ。)

あといくつか気になるところがあるのですが,その辺はまた後日。

ついでにUK VISAサイトを見てみたら,パスポートに押されるスタンプが変わるというアナウンスメントもありました(6月17日付け)。

http://www.ukvisas.gov.uk/servlet/Front?pagename=OpenMarket/
Xcelerate/ShowPage&c=Page&cid=1055784250448


※この記事は

2003年07月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 16:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちわ。語学留学2年目のビザ申請の為、日本帰国したものの、前回の出席率が66%で、今回の学校が年間\10万弱のいわゆる“ビザ取り学校”なんですが、来月頭に大使館に面接行かなくては、いけなくなりました。。

どんな内容を聞かれるのか、もしおわかりでしたら教えてください。。
Posted by チムチム at 2008年01月23日 11:11
>チムチムさん
こんにちは。

> どんな内容を聞かれるのか、もしおわかりでしたら教えてください。。

さあ、私にはわかりませんが。一般的に、そういうことは個人のブログとかで聞かず、mixiのコミュとか2ちゃんの海外板の英国スレで聞くのがよいと思います。ただ、出席率が66%ってことは、「あなた、本気で英語の勉強してたの」と聞かれることは確実でしょうね。

ところで、このブログにはこんな古い記事(2003年07月09日)よりももっと新しいヴィザ関係の記事があるのですが(現時点でサイドバーの「新着記事」のところに出ているわけですが)、なんでよりによってこんな古い記事にコメントなんですかね。

※以後、このエントリのコメント欄閉めます。チムチムさん、続きで質問がしたければ、新しい記事を探して読んで、自分の出席率が何を意味するか、よく考えてから、新しい記事に投稿してください。
Posted by nofrills at 2008年01月23日 16:15

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。