「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年07月02日

東ベルファストが、また荒れた。

7月に入り、東ベルファストがまた荒れた。いちいち言うまでもないが、この暴動・騒動は「政府に対する抗議が根にあるもの」などではなく、「セクタリアン」なものである。

今回の騒ぎの舞台は、6月20日から21日、2日連続で大変な事態となり、その後2日間がっつり警戒ムードとなった大通りではなく、「カトリック」の居住エリアを挟んだ別の大通りのほうだ。といっても数百メートルしか離れていない。

Six police officers injured in riot
Saturday, 2 July 2011
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/uk/six-police-officers-injured-in-riot-16018735.html

Sectarian clashes erupt again in east Belfast following Orange Order march
Henry McDonald in Belfast
The Guardian, Saturday 2 July 2011
http://www.guardian.co.uk/uk/2011/jul/02/riots-belfast-sectarian-violence

地図見てもらったほうが早いんだが(地図をエンベッドしたいのだがうまくいかない)、20日、21日の暴動はNewtownards Rdの西の端のほうで起きた。今回は、Short Strandを挟んで南下した、Albertbridge RdとCastlereagh Stのところで起きた。Short Strandと、Google mapでピンを立ててあるMountpottinger RoadからBryson Streetの区域が「カトリック」の居住地域、その周辺は全部「プロテスタント」のエリアで、両者は高い塀(ピース・ウォール)で分かたれている、ということは先日説明した。

2011年06月27日 東ベルファストのピース・ウォール。これが前提されるとき、そこにあるのは「欧州基準」でも何でもない。
http://nofrills.seesaa.net/article/212037394.html

1日に荒れたのは、6月27日のエントリで見たCluan Placeのピース・ウォールのすぐ側のようだ。

ベルファスト・テレグラフやガーディアンによると、金曜日、つまり7月1日の「ミニ・12日 mini Twelfth」という東ベルファストでの毎年恒例のパレード(第一次大戦のソンムの戦い――アイルランドから大勢の兵士が英軍としてこの戦いに参加し、戦死した――を記念するパレードだそうだが)が何事もなく通り過ぎた数時間後、夜の11時ごろに、ショート・ストランド地区のカトリックの人たちの家が襲撃された。(パレードの前に、パレードに参加しないロイヤリストの若いのと、ナショナリストの若いのがにらみ合っていたらしい。)(なお、池袋のカラーギャングでたとえたいという誘惑には徹底抗戦あるのみです。ブクロサイコー)

10数名のロイヤリストが、マウントポッティンガー・ロード(Google Street Viewで見てみるとよいが、普通の住宅街でリパブリカンの有名なミュラルが何枚かあって、ミュラルの使用言語にはアイルランド語が多い)に侵入し、騒動を起こした。緑陣営では元IRAのシン・フェインの人たちが出てきて若いのを押さえていたそうだが、オレンジ陣営がマウントポッティンガー・ロードで住民の男性を殴り、またショート・ストランドで家屋を襲撃した。これを受けて警察が出動、ウォーターキャノンを出して「暴徒」を退散させるなどしたが、20日〜21日の発砲まであった暴動ほどの規模はなく、あれほど深刻でもないとのこと。

この騒動で、6人の警官が負傷し(いずれも生命が危ぶまれるようなものではない)、7人が逮捕されている。
http://www.irishtimes.com/newspaper/breaking/2011/0702/breaking1.html

BBC NIが記事を頻繁に更新していて、現地土曜昼過ぎにようやくそれが落ち着いたようだが、それによると前回の暴動はUVFが計画し、起こしたものだと警察は見ているが、今回のはそういう組織的な背景はないらしい。UTVもそう報じている。(ほかの媒体も、次の記事更新でこの点を強調するだろう。)

Saturday, 02 July 2011
'No paramilitary link' in Belfast riots
http://www.u.tv/News/No-paramilitary-link-in-Belfast-riots/662bac85-0985-43b5-a88b-f0146a48979f

で、「さほど深刻じゃなかった」という文字情報を読んだ頭でBBC NIの記事に埋め込まれている映像などを見ると、あっちでがんがん燃えてて(たぶんモロトフ)、警察の放水車は機能的にウォーターキャノンなんだか消防車なんだかわかりゃりないし、この人たちの暴れっぷりは例によってパネェし (^^;)



※この記事は

2011年07月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼