「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年06月30日

2011年06月29日のtweets

nofrills これは下品だ。どうせ罵倒するならもうちょっと華麗に、「敵」も笑わざるを得ないようなセンスでおねがい。/コメント欄のめんどくささがNI水準でも異常。 / UTV News - McCrea's GAA tweets spark ou… http://htn.to/unXLPo at 06/29 00:30

nofrills "「反原発」の原稿に力を入れた諸先輩が決して優遇されないのを後輩・新人記者達は目の当たりにみて育った。なんせ「3人集まれば人事の話」というぐらい、人事の好きな社風"。社風のせいか。つNスペでの戦争協力の話 / 《ある元朝日新聞原発担当記… http://htn.to/oQ8qYC at 06/29 00:37

nofrills カイロ、タハリール広場が1月28日状態になっていて、現場から医療支援要請(ガーゼや手袋が足りない)→ガーディアンで書いてるジャーナリストがガーゼとか持って現場に急行なう、だそうです。 http://twitter.com/#!/nofrills/egypt at 06/29 07:19

nofrills Tear gas, stones and power cut at #Tahrir Square, Cairo, #Egypt (28 June) has been chirpified! http://chirpstory.com/li/1880 at 06/29 07:30

nofrills #egyjp 数時間前からカイロのタハリール広場が大変なことになっています。現場からの実況のツイートを http://chirpstory.com/li/1880 で一覧できるようにしてあります。今日はTweetUpの日で、米NPRのアンディ・カーヴィンらも現地にいます。 at 06/29 07:37


nofrills インターコンチネンタル・ホテル襲撃事件。 / Kabul attack: Nato kills Taliban squad members who launched suicide assault | World news | The… http://htn.to/QN4Wtw at 06/29 12:28

nofrills #libjp アブサリム刑務所での事件は15年前の今日。RT @fredabrahams: Massacre in Tripoli's Abu Salim prison 15 years ago today. Se… (cont) http://deck.ly/~kZnZV at 06/29 12:45

nofrills (米国から見た)「外交」分野のTwitterユーザー、15人。先日のForeign Policyの選ぶ100人に対する補足。CSMのダン・マーフィ、対テロ分野のジェイソン・フリッツなど。アンドルー・レボヴィッチのアカウントは知らなかった。 http://htn.to/7YMSaG at 06/29 13:17

nofrills 1975年、IRAに拉致され殺害されたカウンティ・ティローンのColumba McVeighさん(当時17歳)と思われる遺体が埋められている場所の情報が入り、当局が調べている。 / BBC News - Disappeared sear… http://htn.to/hmqQJ9 at 06/29 13:19

nofrills 「普及開発関係費」(電力事業PR費用)はTMI, チェルノブイリなど「逆風」の時期、"事故のたび膨張"。71〜82年電気事業連合会広報部長の回顧録で"「単なるPR費ではなく建設費の一部」と位置づけ原発立地対策や世論の動向に" / 追跡 … http://htn.to/QNZmux at 06/29 13:41

nofrills Worth a read. In 'the only a-bombed country' how the three major papers became complicit with the nuke power lobby. 日本語 http://t.co/1qySP1w at 06/29 13:50

nofrills 「リビア、現地報告&日々のニュースまとめ(6月28日から29日) #libjp」をトゥギャりました。 http://togetter.com/li/155585 at 06/29 16:07


http://twilog.org/nofrills/date-110629

※この記事は

2011年06月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼