ユニオニスト(プロテスタント)の住宅街にぐるりと取り囲まれるようにナショナリスト(カトリック)のあまり規模の大きくない住宅街が存在するこの地域には、「住宅街への殴りこみ」自体に、深く食い込んだ記憶がある。「北アイルランド紛争」と呼ばれる局面が始まったころ、つまり1969年以降、ショート・ストランドの住民(カトリック)はロイヤリストに頻繁に襲撃された。当時、あちこちで見られた「追い出し」のための暴力である(今同じことがあれば、「エスニック・クレンジング」という用語で語られているだろう)。余談ながら、北ベルファストでこのような暴力で家を出ることを余儀なくされた人々のひとりが、先日、ダブリンで英国女王を迎えたメアリー・マカリース(アイルランド共和国の大統領)だ。
そして、1970年6月27日、ショート・ストランドで銃撃戦を行ったのが、Provosional IRAの「デビュー」だった。このときの銃撃戦は、80年代に書かれた「IRAもの」のポリティカル・サスペンス小説のどれかでモチーフになっていたと思う(うろ覚え)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_St._Matthews
こういったシンボリズムを踏まえれば、20日から21日の暴動が「ただの暴動」ではなかったことは容易にわかるだろう。そして、20日から21日にかけて500人とか700人の規模で発砲すらあったこの「暴動」が、22日に200人規模になり発砲もなくなったことをメディアが「比較的平穏」と位置付けたこと (例えばBelfast flashpoint largely quiet after day of talks, the BBC, 23 June, およびCalm restored in East Belfast after riots, the Irish Central, 23 Juneなど) は、その流れにおいてのみ解釈されるべきであるということ(200人が絶対的に「平穏」などという「基準」はないということ)は、もちろん、いちいち言うまでもない。
このような緊張状態にあるこの地域には、「ピース・ウォール」がある。
月曜・火曜と子供たちが暴れていたタイタニックの壁画のある場所から、大通りを渡って左斜め前に、ブライソン・ストリートという道がある。その東側(左手)にものすごく高い塀がある(上半分はネット状なので圧迫感はさほどでもないが)。人が簡単には超えられそうにはないこの塀は、「プロテスタント」と「カトリック」が互いに襲撃しあうことのないようにと設けられたもので、「ピース・ウォール」(または「ピース・ライン」)と呼ばれている。この壁はベルファストのあちこち、「プロテスタント」と「カトリック」の対立が深刻な地域に設けられている。
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この通り(ブライソン・ストリート)は、マドリード・ストリートという通りが直角に交わって終わっているのだが、マドリード・ストリートはピース・ウォールで完全に分断されている(ゲートになってすらいない)。

マドリード・ストリートをそのまままっすぐ西に行くと、やがて右側にまた高い塀が見えてくるが、これはピース・ウォールではなく警察署である。このごっつい高い塀に「IRA」とか「INLA」の文字が書かれた写真などもネット上にはあるのだが、GSVの映像でもペイントボールが投げつけられた痕がたくさん確認できる(文字はこのときは書かれていなかったようだ)。このあたりは道路の舗装がかなりぼろぼろになっている。
そしてマドリード・ストリートの南に、Clandeboye GardensというL字型の短い通りがあるのだが、ここがまた左側(東側)がピース・ウォールになっていて、向こう側とは完全に隔てられている。

Google Mapでこの壁を飛び越えて東側に入ると、遠景にハーランド&ウルフのクレーンが見え、家の前にアルスター旗とユニオンフラッグが並んで掲げられていたりする。(「カトリック」のエリアでは旗などは見られない。)
Clandeboye Gardensの突き当たりの壁を飛び越えてCluan Placeという通りに飛び込んでみると、過剰なほどの「ロイヤリズム」。

このCluan Placeを道なりに進んでいくと……いやあ、この通り、enclaveという表現しか思いつかないのだが、とにかく家々すべて「ロイヤリズム!」、こことか、ユニオンジャック、アルスター旗、スコットランド旗(聖アンデレ十字)、ユニオンジャック、ユニオンジャック、ユニオンジャック、UVFと並んでいて、背後にピースウォールの高い塀。

この通りを出て、表の大通り(アルバート・ブリッジ・ロード)を東に行くと、UUPの党本部とオレンジ・オーダーのホールが並んでいる。ここもまたすごい旗で、ユニオンジャック、スコットランド旗、アルスター旗と英連邦各国の旗(オレンジ・オーダーがある国の旗)……。でもこのあたりにはもう「ピース・ウォール」はない。完全にオレンジ側の土地だからだ。
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皮肉なことに、1998年グッドフライデー合意以降、この「平和の壁」は増えているのだが、東ベルファストのこの地域のはずっと前から存在している。この境界線を越えて、この地域で人々が交流することはない。それぞれ別々の学校があり、その他の公共施設があり、教会も別々で(宗派が違うのでそれは当然なのだが)、パブや商店なども別々である。
例えば抗議デモが荒れることを「ただの暴動」ということが許容されるならば(許容してほしいが)、東ベルファストの今回の暴動は「ただの暴動」ではなかった。ロイヤリストがこの「境界線」を超えて住宅街を襲撃し、その後大通りで両派が数百人単位で対峙した(間に警察)。この規模のものが急に実行できるわけもなく、つまりある程度の準備は行われていたと考えられる。
木曜日から金曜日にかけてベルファスト・テレグラフ、アイリッシュ・タイムズ、ガーディアンの3紙が記事にしたのは、そのことである。
すなわち、武力・実力による煽動の能力があることを、UVFは示している。何を「紛争」と定義するかという問題はあるが、要するに、「紛争」はまだ終わっていない、という連中がいて、活動継続の意思を示しているということだ。
そういう連中で、これまで活動が表に出てきたのは、リパブリカンの側だった。「非主流派リパブリカン dissident republicans」と呼ばれる彼ら(組織としてはReal IRA, Continuity IRAなど)の警官に対する暴力や軍基地襲撃で、2009年から現在までに警官2人と英軍兵士2人が殺されているほか、何人もが負傷し(警官の1人は脚を切断しているし、英軍基地にピザを配達に行ったピザ店の店員2人も負傷している)、一般市民も無差別的に死傷させられるかもしれない爆弾設置事件も非常に多い。その地域への脅しをかけることや交通を混乱させることなどを目的とした偽爆弾事件もものすごく多い。今回の東ベルファストでの「暴動」でも、通りの南側(ナショナリストの側)から発砲が行われたという事実は、彼らが関わっていることを示している。
一方で、ロイヤリストの側の武装組織は、リパブリカンに比べて全然静かだった(この「静か」というのも比較論だから……と書いても、テクストを読むということをしない人は読まないのだろうけど)。特にUDAの指導者たちは完全に「武装組織」であることをやめるという選択をしていることをアピールしているばかりか、「敵」であるはずのアイルランド共和国の大統領夫妻とも懇意で、この5月の英女王のアイルランド共和国訪問の際は、英軍戦没者慰霊公園での式典に招待されていたほどだ。
UDAのこういう変貌はずっと前から(1998年和平合意前から)続いてきたことで、それを題材としたのがテレビ用映画『眠れる野獣』だった。
むろん、「主流派」のこのような動きとは別行動を取っている小規模な集団もいる。"Real UDA" とかいわれている人たちがいることも事実だ。しかし、ギャング活動や「自警団」的な活動はしていても、武器を持って「カトリック」を襲いにいく、ということは、数百人というスケールでは報告されていないはずだ。(数名規模で改造バットで殴りこみ、ということは、UDA/UFFの名義では行われていないかもしれないが、あることはある。)
一方で、ロイヤリスト二大勢力のもうひとつ、UVFは、昨年5月のモフェット殺害事件(シャンキル・ロードで白昼、組織内の揉め事のため、メンバーが射殺された)のような内紛の事案はあったものの、今回の東ベルファストでのようなセクタリアン暴力は、途絶えていたはずだ。(そもそも前提として、この組織は活動を停止して武器を放棄したことになっている。むろん、そんなのはごまかしであるにせよ。)
だからこそ、前のエントリにリンクした「東の獣」についての報道は重要視されるべきだし、表向き、武装勢力との接点はないことになっているDUPのピーター・ロビンソンが、UVFのリーダー格の人物たちと直接面会した(党は面会の事実ですら認めようとはしていないが)ということも、注目されるべき動きなのだが……まあ、表で語られることは少ないのだろう。
そろそろ本格化する「夏のオレンジ祭り」(プロテスタントのパレード)のシーズンが気がかりだが、「暴動」のあと、西ベルファストで行われたパレードは、ピース・ウォールを超えてカトリックのエリアに入るルートであったにも関わらず、特に荒れることはなかったとのこと。
Whiterock parade in west Belfast passes off peacefully
25 June 2011 Last updated at 16:08 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-13915612
記事付属の写真がいい。普段の報道で「ピース・ウォール」を見ることはほとんどないのだが、20日からの暴動の後ではさすがに、それがポイントになっているということだろう。しかしBBCの記事で、開放された状態のピース・ウォールのゲートの、騒乱になっていない状態の写真が出たことがこれまであっただろうか。。。
※この記事は
2011年06月27日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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