「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年06月23日

東ベルファスト、3日目は静か。

月曜、火曜と2晩連続で大荒れとなった東ベルファストは、水曜日は静かだそうだ。(むろん、警察ががっつり固めているのだとは思うが。)

昼間にその筋で交渉があったようで(それとは多分別に、ストーモントで自治政府トップのピーター・ロビンソンが執務室を解放して「相談したいことがある人はいらっしゃい」的なことを言っていたはずだが……この人は、東ベルファストの人)、人は集まったけれども単に集まっただけで、騒動にはならなかった、と夜10時半ごろの更新でBBCは伝えている。

Belfast flashpoint quiet after day of talks
22 June 2011 Last updated at 22:31 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-13880044

記事の写真は、黄色い巨大クレーンを背に、レンガの住宅街に築かれた路上のバリケードのところでレモン色の上っ張りを着た人たちが掃除をしている光景。

騒乱で脚を撃たれたカメラマンの人は手術を受けて無事なようだ。Press Association所属のこの人は、リパブリカン側からの発砲で負傷しているが、ほかにロイヤリスト側で負傷者が2人出ているはず。一方ロイヤリストからの発砲では、警察の車両に銃弾、ということはあったが、負傷者は報告されていないはずだ(ただし、何しろ断片的な記事が多かったので私が把握できてないだけかも)。

火曜日まではBBCなど全国メディアやロイターなど国際的な通信社でもたっぷり報道があったが、こういう局面になると、たっぷり報道するのは地域メディア(すなわちベルファスト・テレグラフとUTVが中心)だけになる。

今回の暴動に際しては、既に何人か逮捕者が出ている。逮捕者についての最新の記事では。22歳の男性がリパブリカン側で逮捕されたこと(テロ法)が報じられている。
http://www.u.tv/News/Riot-arrest-amid-tense-city-stand-off/d9bbfd1d-449c-4c6b-bdea-744d405e1fd5

記事に埋め込まれている映像の一本目では、道路にずらりと並んだ警察車両と、騒乱があった大通りの街頭に「たむろする」若者たちと、黄色い上っ張りのコミュニティ・アクティヴィスト……月曜、火曜の大荒れのときの映像も出てくるが、そういえば「アラブの春」でバリケードができて少し投石があった程度のことについてどこかのお上品な人が「暴動 riot」と表現したときに、「どこが暴動やねん、ベルファスト来てみ? 建物の上から石落とすとか、ハンマー持って警察車両ぶち壊すとか、こわいお兄さんが銃持って出てくるとかがデフォだから」とベルファストの人がつっこんでたなあ、とか、ともあれ3日連続で大荒れということがなくてよかったと思う。

UTVのトップページ:





……というわけで、全米オープンを制したゴルファーのローリー・マキロイが拠点のホリウッド(ベルファスト近郊)に戻ってきて、クラブハウスのバルコニーでトロフィー見せびらかしの儀となったわけだが、そのクラブハウスと騒乱の街角とは数マイルしか離れておらず、この若いゴルファーも「政治的」なコメントを求められるなどしている。

Rory McIlroy: Northern Ireland deserves peace
Thursday, 23 June 2011
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/rory-mcilroy-northern-ireland-deserves-peace-16015036.html

彼は1989年5月4日生まれだそうで、ということは、89年2月のフィヌケン事件のときはお母さんのお腹の中にいたということか……と思うと、多少くらくらする。89年の出来事一覧は下記。
http://cain.ulst.ac.uk/othelem/chron/ch89.htm

ベルファスト・テレグラフのトップページから:


これは読んでおこう。

Is UVF's ‘Beast in the East’ behind new wave of riots?
By Deborah McAleese
Thursday, 23 June 2011
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/is-uvfrsquos-lsquobeast-in-the-eastrsquo-behind-new-wave-of-riots-16015101.html

※この記事は

2011年06月23日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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