「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年06月22日

「暴動」の地域では、"No more hatred from our children" と書かれた「和解」のミュラルの近くに、UVFの新たなミュラルが描かれている。

1つ前、ベルファストの暴動についてのエントリの続き。

ガーディアンに写真集がある。火曜日(暴動2日目)の様子を、報道カメラマンが撮影したものだ。
http://www.guardian.co.uk/uk/gallery/2011/jun/22/belfast-sectarian-riots-northern-ireland

1点目は、Newtownards Roadで無数のユニオンフラッグがはためく下で警察の車両が道路にびっしり並んで「壁」を作っている中、石などを手にした10代の少年たち(フード)。2点目から4点目は「タイタニック」のミュラルの前の暴徒。ほかは警察車両への火炎瓶や花火などでの攻撃の様子。

この「タイタニック」のミュラルは、かなり最近、「セクタリアンなミュラル」から塗り替えられたものだ。この大通りから見えるハーランド&ウルフ(H&W)の黄色い巨大なクレーンは、タイタニック号が建造されたシップヤードにあるのだが、その一帯は「タイタニック・クオーター」として、「紛争」後のベルファストを象徴するようなバブリーな再開発が行われている。

Flickrで、ベルファストのTiago Menezesさんが、騒乱後、路面に何かの破片が散らばり、路上から人が消えたときのそのミュラルを撮影している。手前が「タイタニック」のミュラル、奥には、詳細は後述するが、「和解」のミュラルがある。

BR'11/005
*Photo by Tiago Menezes (All rights reserved)

Google Street Viewには、このミュラルが「タイタニック」になる前の状態が記録されている。エニスキレン、ラ・モン、ブラディ・フライデー、クローディ、オマー……この壁には「リパブリカンの暴力の被害」が列挙されていた。歩道の縁石は、レッド・ホワイト・ブルーで塗られている。



GSVで少し奥に進んで、この壁のある家の裏庭の方に回り込むと、「反IRA」の詩が描かれている。"You cannot ask for freedom, when you take our freedom away. You cannot ask for justice, when you murder day by day. You told the world your story, you lied at every turn. You never said your [sic] sorry, for the terrible deers you [unreadable]".



この位置でぐるりと左に90度ほど向きを変えるとその奥に別のミュラルがあるのが見える。これはハーランド&ウルフを記念するもので、タイタニック号とクレーン、そして同社の歴史を語る人物の肖像画と、ドックの労働者たちが描かれている。(H&W社の造船所で働いていた労働者のほとんどが、東ベルファストの労働者階級のプロテスタントの人々だった。)こちらは現在、NO MOREというテーマのミュラルになっている。青い服の子(プロテスタント)と緑の服の子(カトリック)が、H&Wのクレーンを遠景に、握手をしている絵だ。これがTiagoさんの写真で奥にあったミュラルである。



Moochin PhotomanさんのFlickrに鮮明な写真がある。2010年3月9日にアップされている。
http://www.flickr.com/photos/23386031@N00/4439423074/

向かい合う2人の間に書かれた言葉は:
No more bombing, no more murder
No more killing of our sons
No more standing at the grave side
Having to bury our loved ones

No more waking up every hour
Hoping our children, they come home
No more maimed or wonded people
Who have suffered all alone

No more minutes to leave and building
No more fear of just parked cars
No more looking over our shoulders
No more killing in our bars

No more hatred from our children
No more. No more. No more!


2010年4月、これらの「新しい」ミュラルについてのベルファスト・テレグラフの特集記事から。
"The 'No More' mural depicts an image of east Belfast lad Dylan Wilson holding hands with Dearbhla Ward, a local girl from Short Strand. It promotes a more positive cultural image."

Read more: http://www.belfasttelegraph.co.uk/lifestyle/features/belfasts-murals-off-the-wall-14764361.html


皮肉なことに、今回の暴動は、このミュラルからほど近い「カトリック」の地域であるショート・ストランド(ミュラルの緑の服の子のモデルとなった女の子の住んでいるところ)に対する「プロテスタント」の襲撃から始まった。1つ前のエントリでもリンクしたが、Eirigiのブログで「始まり」が記録されている(ただしアジ演説成分含有率高め)。ショート・ストランドの住宅にペイントボールが投げつけられるなどしたのが「始まり」だったそうだ。ベルファストのロード・メイヤーは、発端は100人程度による襲撃だったと述べている。

Eirigiのブログには、「HET(北アイルランド警察の、紛争の時代の事件を扱う部署)がこの40年の間の宗派に基づいた殺人についての追究を強めていることを快く思わないUVFが……」という説明があるが(UVFはおそらく多くの場合RUC、つまり当時の北アイルランド警察と結託して、「カトリック」を標的とし殺害した)、月曜・火曜と警察車両と対峙する最前線で暴れていたのは、そういった時代を直接的には知らないはずの子供たちだ。(むろん、計画を立て火炎瓶などを用意し、暴徒となった子供たちを指揮したのは同じ世代の人ではないかもしれない。)

過去記事。

2007年04月25日 タリバンの「少年兵」が「スパイ」を斬首。
http://nofrills.seesaa.net/article/40042412.html
今年3月にベルファストで報道写真家協会の写真展が開かれた。その告知などであちこちで使われていた写真も「紛争」を「体験」している「子供たち」をとらえたものだ。

※上のスクリーンショットからギャラリーのサイトにリンクしてます。リンク先で写真は大きめの画像で見ることができます。リンク切れなどの場合はBBC in pictures: "Out of the Darkness" の5枚目で。

一度見ただけで忘れることのできなくなったこの写真は、2002年12月のものだ。6歳の双子の兄弟の家のレターボックスにパイプボムが入れられ、ドアが大破した。攻撃主はレッド・ハンド・ディフェンダーズ。1998年グッドフライデー合意に反対するUDAやLVFの超過激派が結成した組織で、ローズマリー・ネルソン爆殺事件などいくつもの爆弾事件を起こしている。
December 2002 Six year old twins Sean and Dean Fegan peer through the hole where their letterbox had been following an explosion which rocked their home early this morning in an attack claimed this afternoon by the loyalist Red Hand Defenders who had put a pipe bomb through their letterbox. The blast happened in a Catholic area of Oldpark Road in north Belfast. Picture by Justin Kernoghan

Read more: http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/timeline-rosemary-nelson-murder-and-inquiry-16003265.html?action=Popup&ino=361#ixzz1PzGA632r


火曜日のありさまを報じるベルファスト・テレグラフの1面:



北アイルランド紛争のレガシーを「現役」のままにしておきたい人たちは、いつまで子供たちに、こんな顔をさせておくんだろう。

アイリッシュ・タイムズ:



月曜日の様子だが:
Earlier today, the PSNI claimed loyalist paramilitaries who are supposed to be on a ceasefire organised major rioting and opened fire on police in Belfast last night.

Around 500 people were involved in violence in the east of the city last night, which is being described as some of the most serious seen in Northern Ireland for years.

Police said six shots were fired from the republican Short Strand area, while loyalists also opened fire. Masked Ulster Volunteer Force (UVF) members were blamed for starting the violence by attacking homes in the Catholic enclave.

Two men on the loyalist side of the divide suffered gunshot wounds to the leg, officers confirmed. But bullet marks on police vehicles were blamed on the UVF and are being treated as the attempted murder of officers.

つまり、ナショナリストとロイヤリストが対決し、間に警察が入ったのだが、警察に対する攻撃が行われた。ここまではよくあること。

今回がいつもより深刻なのは、ここで双方から発砲があったこと。ロイヤリストの側で2人が脚に被弾して負傷したが、警察車両への発砲はロイヤリスト側から行われており、警察は警官に対する殺人未遂として扱っている。

そして、ロイヤリスト側で暴れているのは、「休戦しているはずの who are supposed to be on a ceasefire」武装組織である。

「休戦しているはず」どころか、「武器を使えなくした」はずなのだが。(これは昨年5月に、シャンキル・ロードでビリー・モフェットが射殺されたときも問題となり、UVFの政治部門であるPUPの党首だったドーン・パーヴィス姐御は「男にまかせとくと事態がいい方向にいかない」的にブチきれて、党首を辞し、PUP自体もやめてしまった。)

http://en.wikipedia.org/wiki/Ulster_Volunteer_Force#Post-ceasefire_activities
In June 2009 the UVF formally decommissioned their weapons in front of independent witnesses as a formal statement of decommissioning was read by Dawn Purvis and Billy Hutchinson. The IICD confirmed that "substantial quantities of firearms, ammunition, explosives and explosive devices" had been decommissioned and that for the UVF and RHC, decommissioning had been completed. On 30 May 2010, however, the UVF was believed to have carried out the murder of a member of the RHC, Bobby Moffett, on the Shankill Road in broad daylight. The shooting raised questions over the future of the PUP.

UVFは、モフェット殺害事件のあとも、2010年10月下旬にNewtownabbeyで暴動を起こしている。

今回の暴動がUVFだというのは、シン・フェインの指摘であるだけでなく、警察の見解でもある。アイリッシュ・タイムズの記事から。
Police said the UVF orchestrated the violence. "We believe at this point that members of the east Belfast UVF were involved," said Chief Superintendent Alan McCrum."“It would be a line of investigation to establish whether that was a co-ordinated and organised 'organisational' position (by the UVF central leadership)."


「UVFは本当に武装活動を終わりにする気があるんか」というのは、ミュラルの面からも疑われている。

今年5月のベルファスト・テレグラフの記事。


上述の「タイタニック」や「No more」のミュラルが新たにお目見えし、今回暴動が起きているNewtownards Roadに、今年、UVFが新たに「武装活動」のミュラルを描いたのだ(PUPの人はこれに対して「相談なく勝手に描かれてしまい、地域からの支持はない」と述べている)。これが6月に完成して、Slugger O'TooleでMoochin Photomanさんが写真を掲載している。17日付け。
http://sluggerotoole.com/2011/06/17/potd-a-backward-step/

銃を持ち覆面をつけたガンマン2人の肖像の上にUVFの紋章と、East Belfast Batt. (東ベルファスト連隊)のリボンが描かれ、右側の壁には、 "We seek nothing but the elementary right implanted in every man: the right if you are attacked, to defend yourself" という言葉が書かれている。この言葉はエドワード・カーソンによるもの。20世紀初頭、アイルランド独立戦争前の時期の「アイルランド問題」の文脈での言葉だ。まさにゾンビ。(「歴史的事実を記録する」のなら、カーソンの時代のUVFを描かなければなるまい。しかし描かれた2人のガンマンは1960年代以降の装備である。)

この時代錯誤なミュラルは、今回の暴動の最前線となった「タイタニック」のミュラルから数百メートル東にいったところ、下記の地点に登場したものだ。画面の右側の "Do less. Earn more." の広告がある壁が、GSVの撮影時は、ロイヤリストの間でサポ率が高い、グレントランFC(サッカー)についてのミュラルだったが、これが「ガンマン」に描きかえられた。(実際、左側の「タイタニック」の壁画の道に入って道なりに真っ直ぐ行くと、グレントランFCのホームグラウンドに到着する。)


大きな地図で見る

東ベルファストの「ロイヤリスト」の地域に興味がある人はこの大通りをそのまままっすぐ前へ(東へ)しばらくいってみるといいと思う。上の地点から2度クリックして進むと、左手にCheepersという店があり、その2階部分にガンマンが描かれている。車道の上に無数の小さなユニオンフラッグが掲げられている下をさらにずうっと進んでいくと、PUPのオフィスがある。PUPのオフィスの建物はレンガのままだが、左隣の建物はレンガの上に塗ったペイントがぼろぼろにはがれたままになってて、実に殺伐とした雰囲気だ。さらにずっと進んでいくと右手にCare and Shareという店が見えてきて、その店の横壁が有名なこのUVF紋章のミュラルだ。紋章ミュラルの向かいのレンガの建物に打ち付けられた板にはRHC (Red Hand Commando) とレッド・ホワイト・ブルーで描かれ、その建物の正面に回りこむと、The Con Clubというロゴの横に、Protestant Boysというバナーが掲げられていて、スコットランドのセント・アンドルーズ・クロスの旗と、ユニオンフラッグが並んで掲げられている。さらに先に進んでいくと、マクドナルドのドライブスルーの店舗の向かいに商店街というよりシャッター商店街の残骸のような光景が出てきて(営業時間外に撮影されているのではっきりとはわからないが)、この交差点から、車道の上のユニオンジャックの小旗が消える。この先は、この一角よりはまだましな感じだが、いずれにせよ、資本投下がされていないことは明らかだ。

西ベルファストのナショナリストのエリアもかなり殺伐としたところはあるが、それでも、ここよりはまだ金が入ってそうだ。それは、ナショナリストの政治家(地方議員)は勢力争いではなく、ちゃんと地域のための仕事、行政を動かす仕事をするからだ、ということが先日、指摘されていた。

次項はその点について。

※この記事は

2011年06月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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